第5話 サイコロは振られて

 カチャカチャカチャ……。

 掌の中から、そんな音が零れる。

 それは二つの賽子さいころだった。


「……ふん」


 小さな呟きも零れる。

 そこはとても広大なフロアだった。

 まるで王城の謁見の間。

 事実、玉座もある。

 天井にも届きかねないほどに背の高い王者の椅子だ。

 その椅子に足を組んで座るのは、意外にも少女だった。


 年の頃は十二歳ほどか。

 美麗な顔立ちに、腰まである大きくウェーブのかかった純白の髪。

 勝気な眼差しの色は金色だ。スタイルは年齢通り幼く感じるのだが、仕草には色香がある。スラリとした脚線美を優雅に組んでいた。首元を抑えて背中を大きく開いたフリルスカートの黒いドレス姿も良く似合っている。


 そして最も特徴的なのは頭部から生えた雄羊のような多関節の角。

 王冠のごとき黄金の二本角だった。


 ――竜人角ドラゴホーン竜人ドラゴ族特有の角である。その肌に竜鱗こそ顕現させていないが、彼女が竜人ドラゴ族である証だった。金色の瞳孔も獣のように縦に割れている。


「そろそろ、イリシスが遭遇した頃か」


 桜色の唇を動かして彼女は呟いた。


「妾は狭量ではない。しかし、そちらはまずいのだ」


 小さく吐息を零す。


「序列同一位のティア=ルナシス。そして序列三位のレイ=ブレイザー」


 腰掛に肘をつく。


「そちらはあまりにもヌシさまに近しすぎる。同じ同一位でもあの小娘程度ならば気に病む必要などない。所詮あやつはヌシさまの『娘』よ。赤帽子や狼娘もヌシさまにしてみればまだまだ小娘じゃ。しかしながら、ティア=ルナシスなどには手を打たずにはおられぬ」


 そこで再び吐息を零した。


「口惜しや。妾があと十年……いや、あと五年早く生まれておればこの様な小細工はいらなんだ。妾こそが不動の序列一位となれたものを」


 嘆きの言葉が零れ落ちる。

 彼女は天を見上げて「……ままならぬものよな」と呟いた。


「妾の今の未熟な肢体ではまだヌシさまを受け切れぬ。無論、今の身でもすでに覚悟はしておる。破瓜の痛みも女の快楽も受け入れて妾のすべてを捧げよう。されど優しきヌシさまはそれを由とはされますまい」


 一拍おいて、


ヌシさまは万象の王。王に寵姫がいるのは当然の理。ゆえに他の寵姫は認めよう。だが正妃の座だけは譲れぬのだ。そちらは正妃の器ゆえに見過ごせぬ。ティア=ルナシス。そしてレイ=ブレイザーよ」


 彼女は玉座の隣に置かれたテーブルに賽子さいころを振った。

 二つの賽子さいころはコロコロと転がる。

 そして止まった。

 彼女は双眸を細めてふっと笑った。

 賽子さいころは共に『1』の目で止まっていた。


「妾は時が欲しい。妾が万全となる時が」


 そして彼女は、あごに指先を置いてこう呟いた。


「悪いが、そちらには振り出しに戻ってもらうぞ」



       ◆



「……知識海図ミストライン?」


 場所は、紫色に灯る街に戻る。

 レイは男の言葉を反芻して、眉をひそめていた。


「それって確かあれだったよね? ティア」


 男からは視線を外さず、レイがティアに問う。


「……うん。噂には聞いたことがある」


 ティアが頷いて答える。


「古代の遺物や伝承級の宝具。古文書や古代魔法とかも蒐集する組織」


 一拍おいて、


「別名、遺物蒐集家ロストコレクターズ。その全容は分からないけど、時には相当過激に強奪することもある警戒すべき組織だって聞いたことがある」


「いやはやそれは悲しい認識ですな」


 イリシスと名乗った男が帽子を被り直し、苦笑を零した。


「我々としては紳士的に対応しているつもりですよ。金銭で知識を買い取るケースもあります。ですが、我々は知識の大海原を管理する者たち。掛け替えのない知識を守るためには時に行き過ぎてしまうことも否めませんがね」


「……そう」


 ティアは双眸を細めた。


「別にあなたたちの在り方はどうでもいい。聞きたいことは二つ。まずこの虚塵圏ウロヴァス・コーデは本当にあなたが作ったモノなの?」


「ええ。その通りです」


 イリシスはにこやかに笑って答える。


「解析するのには苦労しましたがね。我々はこの知識を技術として昇華しております」


「……そう」


 ティアは眉をひそめた。


「じゃあもう一つ。あなたの目的は何? どうして私たちを閉じ込めたの?」


「それは我らが盟主レディの至上命令なればこそ」


 イリシスは言う。


「……盟主レディ?」


 今度はレイが眉をひそめた。


「それって君たちの頭目ボスってこと? そんなのがボクたちに何の用さ?」


「そうですな。例えばあなたが持つその大剣。そして希少な飛行の魔法式が組み込まれた精霊姫殿の千年樹ミレニアの杖。どちらも魔王領にて入手した伝承級の宝具だとお聞きします。正直、私としては回収したという気持ちはありますが、それは困難なのでしょうな」


 イリシスは苦笑いを浮かべた。


「従って、私の目的はあなた方を『振り出し』に戻すことのみです。我らが盟主レディにとってあなたたちの行動はこれ以上見過ごせないそうですからな。そう――」


 そこでイリシスは双眸を細めた。


盟主レディが心から愛する『天象てんしょうけん』殿。これ以上、あなた方を彼に近づかせることはまだ許可はできぬとのことです」


「「…………は?」」


 その時、ティアとレイは二人揃って目を丸くした。


 ――天象てんしょうけん

 それは今となっては数えるほどの者しか知らない二つ名だった。


 かつてA級冒険者だった頃のライドの二つ名なのである。

 その剣を以て天の事象を制する者という意味だ。

 精霊たちと共に剣舞でも舞うかのように、あらゆる精霊魔法を使いこなすライドに相応しい二つ名だった。なお本人は相当に嫌がっていたようだが。


 ともあれ、ティアもレイも驚きが隠せずほんの一瞬だけ硬直してしまった。

 そして、それがイリシスの狙いでもあった。

 目にも止まらぬ速さで懐に手を入れると、小さな黒い箱を取り出したのである。


「「――――な」」


 それにも二人は驚いた。

 その黒い箱に見覚えがあったからだ。


「――レイ!」


 ティアは叫んだ。同時にレイは跳躍して大剣を抜こうとするが、


「一歩遅い」


 イリシスの持つ黒い箱に赤いラインが奔った。

 直後、レイとティアの姿が消える。

 それは古代の秘宝。転移の遺物だった。

 かつて悠久の風シルフォルニアを魔王領に転移させた宝具と同種のモノだった。

 だが、

 ――ビキンッ!

 箱に亀裂が奔り、二つに割れてしまった。


「……やはり魔法式が壊れてしまったか」


 イリシスは渋面を浮かべる。


「貴重な知識の結晶が……強引に指定先を決めたせいか? せめてランダムに転移させるべきだったか? いや、万が一にも彼女たちを魔王領などに跳ばしてしまってはマズい。盟主レディはあの二人を認めていない訳ではないからな」


 イリシスは壊れた箱をじっくり観察するが、もはや復元は不可能だった。

 ただそれでも大切そうに懐にしまって、


「……こればかりは仕方がないと諦めるしかないな」


 小さく呟く。


「なにせ、我らが麗しき盟主レディの至上命令ではな」


 そして、イリシスはステッキで足元の石畳を強く突いた。

 そこから亀裂が入り、ボロボロと紫色の世界は剥がれていく。

 数秒も経たずにして世界に喧騒が戻って来た。


「さてさて」


 イリシスは歩き出す。

 そうして彼は街の中へと消えていくのであった。


 その一方で。



「うわわッ!?」


 レイは仰天していた。

 突然、空高く空中に放り出されたのだから当然だった。

 そして眼下には海が広がっている。

 レイは為す術もなく海に落ちた。

 ゴボゴボともがきながら、


「――ぷわあっ!」


 どうにか海面に顔を出した。


「なんで海っ!? つうかここどこさ!?」


 そう叫んでいると、


「……大丈夫? レイ?」


 少し上の方から声が聞こえてきた。

 立ち泳ぎしながらレイが顔を上げると、そこには千年樹ミレニアの杖に腰を下ろしてふわふわと宙に浮かぶティアの姿があった。

 しかし、ティアも一度は海に落下したのだろう。緑のローブは濡れて肌に張り付き、大きな三角帽子はしなれた様子だった。


「大丈夫だけど、ティア! ここどこ!」


 一拍おいて、


「やられた! さっきのって転移の宝具だよね!」


 レイが痛恨の極みの表情で言う。

 ティアも神妙な顔で「うん」と頷き、


「……本当にやられた。あれを見て」


 言って、ある方向を指差した。

 レイは体を反転させて、その方向に目をやった。

 そして、


「……げ」


 思わず呻いた。

 そこからは陸地が見えた。

 それだけではない。大きな街も見える。海沿いの大都市だ。

 そして、その中には天を衝くような塔を持つ大聖堂があった。


「う、うそ、あれって……」


 レイは青ざめた。

 ティアも同じく顔色が悪かった。

 出来れば夢であって欲しい。しかし、恐らくこれは現実だ。


「エイジスア大聖堂。四年前、ダグとソフィアが結婚式を挙げた場所……」


 ティアが言う。

 レイは「う、うそォ」と愕然とした表情でティアを見上げた。


「……嘘じゃない。あの街並みにも見覚えがある」


 そしてティアは眉をしかめつつ現実を見据える。


「多分ここはダグとソフィアがいる国……バラトス王国の王都の海域だと思う。私たちはあの転移の宝具で――」


 グッと下唇を噛んで、こう告げた。


「西方大陸から南方大陸にまで跳ばされてしまったみたい」




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