第27話 赦しでもなく、断罪でもなく

 それからおよそ一ヶ月後。

 アリスは、とある街に訪れていた。

 カンザル王国の王都ラーシスから南西に位置する街。

 ホルターとは、ちょうど真逆の位置にある人口二十万の大規模な都市だ。


 その一角にある冒険者ギルドのギルド長室。

 そこにアリスはいた。

 来客用のソファーに一人座って、ある人物の来訪を待っている。

 ただ、その服はいつもの白いタイトスーツではなかった。

 身に纏うのは、軽装タイプの白い全身甲冑だった。

 黒いアンダーウェアの上に着こんでいる。

 ソファーの空席には細剣レイピアを立てかけて、目の前のローテーブルの上には同じく白いヘルムと口元に装着する仮面マスクが置かれていた。


 そして大きな変化がもう一つ。

 アリスは長かった黄金の髪をばっさりと切っていた。

 肩にかからないところで真っ直ぐ切り揃えている。

 化粧も全くしていなかった。不思議と化粧をしていない方がさらに若々しく見えて、今は二十代前半と思われても違和感はない。ますますもってリタによく似ていた。


「…………」


 アリスは無言でその時を待っていた。

 ややあって、


「……お待たせしました」


 六十代ほどの女性が部屋に入って来た。

 彼女はこの冒険者ギルドのギルドマスターだった。

 冒険者からギルド職員になった人物であり、冒険者時代は神官だったそうだ。

 元神官に相応しく、ゆったりとした衣服を着た温厚そうな女性だった。

 アリスは立ち上がると、彼女に一礼した。


「お時間をいただきありがとうございます。ジニストギルドマスター」


「いえいえ」


 彼女――シャーリー=ジニストはかぶりを振った。


「またあなたの顔を見ることが出来て嬉しいですよ。アリスさん」


 そこで微笑む。


「私にとってあなたは娘同然なのですから」


「……ありがとうございます」


 アリスは再びシャーリーに頭を垂れた。

 彼女こそがアリスの恩人であり、後見人でもあるギルドマスターだった。


「ですが、私などを娘だと仰ってくださるのならば、私はつくづく親不孝者です」


 アリスは申し訳ない想いで唇を噛んだ。


「折角ギルドマスターに示していただいた道も、わずか三年で辞めてしまいました」


「それは気にする必要はありませんよ。アリスさん」


 シャーリーは、アリスの肩に手を置いて優しく微笑んだ。


「元々、迷い苦しんでいたあなたが自身の歩く道を見つける手助けになればと思い、勧めたことなのですから。後任にも伝手はあります」


「……ギルドマスター」


 アリスは泣き出しそうな顔でシャーリーを見つめた。


「……歩くべき道を決めたのですね」


 そう尋ねるシャーリーに、アリスは静かに頷いた。

 ソファーに立てかけていた細剣レイピアを手に取り、腰に装着する。

 続けて、ローテーブルに置いていた白いヘルムを両手で掴む。

 目元の部位と口元だけが解放されているタイプのヘルムだ。

 アリスはそれを被った。

 そして最後にガチャリと口元に仮面マスクを装着した。


『……今後、私は』


 仮面マスクを通すことでアリスの声が別人のようにくぐもった。

 男性のようにも女性のようにも聞こえる声だった。


『人前で素顔を見せることはしません』


「……アリスさん」


 シャーリーは悲しげにアリスを見つめた。


『その名前ももう不要です』


 アリスはシャーリーに視線を向けた。


『今日より私は、ただリタとライドのために生きます。報われることなどなくていい。知られる必要もない。ただ二人を守り、二人を助けるだけの存在です』


 結局、臆病者の自分は謝罪さえも真っ当に出来なかった。

 それどころか、すべきこともせず、二人には辛い想いだけをさせてしまった。

 だから、償いは行動で示そうと決意した。

 しかし、自分の存在は彼らの負荷にしかならない。

 知られれば不快感しか与えない存在だ。

 娘はきっともう顔も見たくない気持ちだろう。

 だから、自分は何も語らない盾となる。


 赦しは望まない。

 断罪を受けて楽になろうとも思わない。


 二人に負荷をかけないように素顔を隠し、影から二人を守って助ける。

 ただ二人のためだけに尽くして生きる。

 結果、誰にも看取られずに息絶えたとしても構わない。

 最期まで二人に気付かれなくていい。

 目指すべきものは彼らにとって路傍の石であることだ。

 この命が終わる日までの贖罪。

 それこそが、アリスの選んだ道だった。


『私は今日から「ストーン」と名乗るつもりです』


「……決意は固いようですね」


 シャーリーは双眸を細めた。


「ならば、せめてあなたに二つの贈り物をしましょう」


 そう告げて、シャーリーはアリスの手を取って、ある物を握らせた。


「一つはこれです」


『……これは』


 アリスの手に握られた物。

 それは冒険者カードだった。

 冒険者カードには、基本的に五項目の情報が記載されている。

 カード所有者の名前。職業。個人ソロランク。

 所属パーティー名。パーティーランクである。

 そのカードには三項目だけ記されている。

 名前と職業と個人ソロランクだ。

 名前はアリス=ジニスト。職業は魔法剣士。個人ソロランクはBだった。

 それは三年前にアリスが返納した彼女の冒険者カードだった。


「お二人の後を追うのでしょう? ならばカードはあった方がよいでしょう。冒険者ギルドのある国では身分証にもなりますから。そして」


 シャーリーは、アリスの冒険者カードに、ある道具をそっと添えた。

 小さな緑色の魔石が組み込まれた小石のような道具である。

 それは限られたギルド職員のみが使用できる冒険者カード更新の道具だった。

 冒険者カードがうっすらと輝き始めた。


 そして冒険者カードのアリスの名前が変わっていく。

 数秒後、そこに記されていた名前は――。


『……アニエス=ストーン?』


 アリスはその名を読み上げた。


「あなたの新たな名前です。再びあなたに名を贈りましょう」


 シャーリーは言う。


「そしてその名前は私の生まれるはずだった娘の名でもあります」


『………え?』


 アリスは顔を上げた。

 シャーリーは、ふっと笑った。


「もう三十年以上も前の話です。今は亡き夫と決めた名前でした。私たちの間にようやく授かった子。男の子なら『アーク』。女の子なら『アニエス』と名付けるつもりでした。けれど、辻馬車の事故で結局あの子が生まれることはありませんでした」


 そして彼女はアリスの両頬に――ヘルム越しにだがそっと触れた。


「よくお聞きなさい。アリスさん」


 真剣な眼差しで、シャーリーは告げる。


「あなたの道はあなただけのものです。私は何も言いません。ですが、決して自分の命を軽んじてはいけませんよ。例え彼らのためだとしても、相手のために命を落とすことは謝罪でも贖罪でもありません。あなたの自己満足に過ぎませんからね」


『……分かっています。ギルドマスター』


 アリスは彼女の腕を掴んで頷いた。


『私自身の命を軽んじるつもりはありません。それこそ自己満足ですから。二人に私の命を背負わせるような真似はいたしません』


「……そう。それが分かっているのなら充分です」


 シャーリーは微笑んだ。


「アリスさん。『アニエス』の名を。私の亡き娘の名を受けとってもらえますか?」


『……はい』


 これにもアリスは頷いた。


『心より感謝します。ギルドマスター』


 アリス――アニエスは感謝を告げた。


『私は今日から「アニエス=ストーン」です』


「……アニエス」


 シャーリーはアニエスを優しく抱きしめる。


「最後に一つだけ。どんなにあなたが自分自身のことを許せないとしても、あなたの幸せを願う人間がここに一人いること。それを忘れないでください」


『……はい』


 アニエスは彼女の背中を強く掴んだ。

 ヘルムの下で一滴の涙を零して。


『……ありがとう。ありがとう、お母さま』


 そう告げた。

 二人は数秒の間、抱擁していた。

 そして離れる。


『では行ってきます』


 アニエスは言う。


「ええ。行ってらっしゃい」


 シャーリーは笑って応えた。

 アニエスはドアまで進むと、そこで反転。深々とシャーリーに頭を垂れた。

 そして彼女は旅立っていった。

 残りの人生をすべて捧げた贖罪の旅に。


「…………」


 一人残されたシャーリーは、しばし無言だった。

 が、ややあって膝を折り、両手を重ねて祈りを捧げる。

 あの子は確かに罪を犯してしまった。

 それはとても重い罪だった。

 けれど、あの子は人生を賭けてまでその罪を償おうとしている。

 だからこそ、祈らずにはいられなかった。


「嗚呼、精霊たちよ。万象の王たる大いなる精霊の神よ」


 母は心から願う。


「何卒、彼女に赦しの加護があらんことを」




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