第28話 その頃のライドは④

 そうして。

 様々な旅立ちがある中。

 ライド=ブルックスもまた、出立の日を迎えようとしていた。



(……やれやれだな)


 その時、ライドは一人、深い森の中を進んでいた。

 いつもの黒いアーマーコートに、腰には愛用の魔剣。

 左肩には、かなり使い込んだ古いボンサックバッグを担いでいる。

 目的の場所は森を抜けたところにある街道だ。

 狼人ウルフ族の集落から、ライドはそこへと向かっていた。


(夕方ぐらいまでには街道に出られたらいいんだが……)


 深い森のため、太陽の位置が分からない。

 かろうじて木漏れ日が差し込む程度だ。集落を出る時は丁度昼ぐらいだったので、恐らく今は一時半ぐらいだと思うのだが、それも推測程度のものに過ぎなかった。


(やはり時計は欲しいな)


 木々の間から覗く空を見上げて、ライドは思う。

 ――懐中時計。

 携帯可能でいつでも時間を確認できる便利な道具だ。

 B級以上のパーティーならば、大体所有している品でもある。

 しかし、極めて精密な機械仕掛けである懐中時計はとても高価なモノだった。

 全種族の中でも手先が群を抜いて器用な地人ドワーフの職人のみに可能なほどの精密さのため、市場に出ている個数も限られている。

 かつてライドが所属していた悠久の風シルフォルニアのリーダーであるダグが、魔王領から生還してB級に昇格した記念と、これからは必要になるということで購入したのだが、その購入額を聞いた時、全員が青ざめたほどだ。

 現在、E級冒険者であるライドが個人で購入するのにはとても無理な話だった。


(まあ、全く入手する当てがない訳ではないが……)


 ライドは双眸を細める。

 そして、この国で出会った男のことを思い出す。


『お気遣い無用です。この程度の情報、盟主レディの細やかな心配りにすぎませぬから』


 黒い紳士服を着たあの男はそう告げた。

 御用入りがあればいつでもお声がけくださいとも。

 旅に出て一年ほど経った頃に偶然関わることになった、とある組織・知識海図ミストライン

 男はその組織の一員とのことだ。今回のトラブルの解決にも色々と情報を提供してくれて助かったが、あまり慣れ合うと危険な予感がする。盟主であるというあの子・・・は少し個性的な口調も愛らしい良い子なのだが、組織そのものは底知れないのだ。

 その目的も全容も未だ見えない。

 ただ、その規模は世界に根を張るほどのものだということだけは実感していた。


(やはり距離を置くのが正解だな)


 直感がそう告げている。

 いずれにせよ、今の目的は街道に出ることである。

 ライドは再び森の中を歩き出した。

 と、その時だった。


「おっ、義兄貴アニキ。追いついて良かったぜ」


 不意に上の方から声を掛けられた。

 ライドは足を止めて振り向く。

 木の枝の上。

 そこに声の主はいた。

 肌は褐色。年の頃は十四歳ほどか。

 黄金に輝く、逆立った長い総髪と狼の耳。大きな尾と両腕の獣毛も金色だ。ゆったりとした黒いズボンに、上には十字に重ねた分厚い革ベルトを巻いている。

 獣人族の一つ。狼人ウルフ族の少年だった。


 ――きんろうのホロ。

 狼人ウルフ族において彼はそう呼ばれていた。

 獣人族の間にはこんな伝説がある。

 五百年に一度生まれる金色の獣毛を持つ子。

 その子は、すべての獣人族を統べる王になる子だと。


 ホロはまさしく金色の子だった。

 しかし、グラフ王国の人間からすれば、ただの珍しい獣人に過ぎなかった。

 ホロは仲間たちを逃がすため、獣人狩りをしていた冒険者に捕らわれたそうだ。

 その後、王都シンドラットの奴隷商に売られたホロを救出したのがライドであり、彼の実姉であるアロだった。


 獣人族の中でも狼人ウルフ族は特に恩義を重んじる一族だ。

 受けた恩は相手が何者であっても決して忘れない。

 ホロを救出したライドは人族でありつつも狼人ウルフ族の集落に恩人として歓迎された。

 ライド自身、ホロを助けたことに後悔はない。

 むしろ人として誇らしく思っている。

 ただ、結果として王都シンドラットでは『怪人・黒仮面』とかいう変なあだ名を付けられてしまい、いささか居づらくなってしまったが。

 それもあり、ライドは街道へ出て次の街に移動する途中であった。


「どうしたんだ? ホロ?」


 ライドはホロに尋ねる。

 すでに狼人ウルフ族の集落で別れの挨拶を済ませている。

 何か忘れ物でもあったのだろうか?

 すると、ホロは木の枝に腰を下ろして、


「ほれ。義兄貴アニキへのお礼だよ。受け取ってくれ」


 言って、ライドへと何かを投げた。

 パシッとライドが受け止めると、それは金色に輝く懐中時計だった。


「おいおい。ホロ」


 流石にライドも目を剥いた。


「どうしたんだ? これ?」


「金ぴかクソジジイから頂いたのさ」


 ホロはケラケラと笑う。


「あのジジイの屋敷は『金』ばっか集めて目が眩むようだったろ? だから、そいつも眩しくていつの間にか俺のポッケに忍びこんでいたんだよ」


 そう告げる。

 ライドは苦笑いを浮かべる。確かにあの夜の奴隷オークションでホロを競り落とした大富豪の屋敷は黄金一色で悪趣味極まるモノだった。


「けど、俺にはあんま使い道もねえしな。義兄貴アニキが活用してくれよ」


「……そうだな」


 ライドは懐中時計を強く掴んだ。


「折角だ。ありがたく使わせてもらうよ」


「あ。それ、後付けで外側を悪趣味に金加工してるみてえだから、どっかの街で表面を剥がして貰った方がいいぜ。剥がしたきんは売っちまえ」


「ああ。そうするよ」


 苦笑を見せつつ、ライドはそう答えた。

 金色の懐中時計をアーマーコートの裏にしまって、


「ありがとう。ホロ。元気でな」


「おう! 義兄貴アニキもな!」


 ホロはニカっと笑う。ライドもふっと笑った。


「それと……アロにもよろしく言っておいてくれ」


 実はアロとだけは面と向かって別れを言っていない。

 彼女が、最後の日まで何故かライドを避け続けたからだ。

 ライドにとっては強い心残りでもあった。


「ああ~、分かったよ」


 ホロは、ポリポリと頬を掻きながら承諾した。

 ライドは「じゃあな」と片手を上げて、そのまま街道に向かって歩いていった。

 ホロは、そんなライドを木の枝の上からずっと見送っていた。

 そして完全に見えなくなってから、


「ア――ネ――キ――」


 半眼の眼差しで後ろに向かってそう呼んだ。

 すると、二つほど離れた木の影から、ゆっくりとアロが姿を見せた。

 戦巫女の装束を纏うアロは、辛そうに眉をハの字にしていた。

 ずっとライドが去った方を見つめている。


「……おお」


 そんな姉を見やり、ホロがニマニマと笑った。


「あの男勝りだった姉貴が完全に女の顔になってるよ」


「……うるさい」


 アロは視線を逸らして言う。


「私とて主人との別れは不本意なのだ。だが、仕方がないだろう」


 そこで小さく息を吐く。


「お前を守る戦士が必要だというのが長老衆の意向なんだからな」


 アロは神狼ポウチの戦巫女。

 それは一族最強の戦士だということだった。


 奇跡的に戻って来た金色の子。

 今度こそ守り抜かねばならなかった。


 そのためにはアロが集落に残る必要があったのだ。

 それは主人――ライドにも伝えていた。

 ただ最後まで彼の前に姿を現さなかったのは別れが辛かったからだ。

 ――いや、正確に言えば、長老衆の意向も弟の護衛も何もかも放り出して彼に付いて行ってしまいそうで近づけなかったのである。


「……………」


 アロは無言で唇を強く噛んだ。


「……姉貴」


 すると、ホロはこう告げた。


「俺は狼人ウルフ族の長になるよ」


「……ああ。お前ならすぐになれるさ」


 アロがそう答える。

 事実、その話はすでに挙がっている。

 すると、ホロは、


「それも含めて半年だ」


 片手を空に掲げて、ぐっと拳を握りしめた。


「半年で俺はここら周辺の獣人族をまとめ上げる。獣人族の王になる」


「………え」


 弟の唐突な宣言に、アロは目を瞠った。


「今までみてえなバラバラじゃダメだ。グラフ王国と対等になるために、俺たちは一つにまとまる必要があんのさ。それに何より」


 仰け反るような姿勢で、ホロは姉へと顔を向けた。


「俺が獣人族の王になんねえと、テティとササラも嫁に出来ねえからな」


「………は?」


 アロは目を丸くした。

 いま出た名は、ホロと一緒に救出された他種族の獣人族たちの名前だった。

 テティは虎人ティガ族。ササラは兎人ラビト族。

 共に十六歳の少女たちである。

 今はいったん狼人ウルフ族の集落に保護されていた。


「い、いや待て。お前、まさか……」


 流石にアロも動揺していると、


「奴隷商のところにいた時、二人は本当に輝いていたんだ」


 ホロは語る。


「テティは勇敢で凛々しくて、ササラは必死に皆を励ましていた」


 ニヒヒと笑った。


「もう二人とも一目惚れさ。嫁になってくれって何度も拝み倒してさ。ようやくだったよ。そんで今は二人とも俺の女だよ」


「いや、女って……え?」


「いや姉貴。なに動揺してんだよ」


 ジト目でホロは言う。


「あ、ああ。そうだな。お前はまだ十四だしな」


「いやいや。それこそなに言ってんだよ、姉貴。獣人族で十四ならつがいがいたっておかしくないだろ。言葉通りの俺の女たちだよ。俺らが救出されてもう一週間以上も経ってんだぞ。すべきことはちゃんとしてるさ」


「…………え?」


 アロが盛大に頬を引きつらせた。


「じゃねえと、あいつらだって不安になるだろ。ましてや他種族の集落の中なんだぞ。愛を示したのはあいつらに俺の本気を伝えたかったからだ。それにそもそも他種族同士だと子供が出来にくいから数をこなさねえといけねえしな。二人には俺の元気な子供を産んで欲しいんだよ。言っとくけど、これは姉貴だって他人事じゃねえんだからな」


 ホロは姉に目をやって言う。


「姉貴って今日までどんぐらい義兄貴アニキから子種を貰ったんだよ?」


「――――ひえっ」


 弟の赤裸々すぎる問いかけに、アロは変な声を出した。

 一方、ホロは嘆息した。


「その様子だと初めてさえまだか? もう少し焦っとけよ姉貴。他種族同士だと子供が出来にくいのは人間相手でも言えんだぞ。とにかく回数をこなさねえと何十年も子供が出来ねえってことも有り得るんだぜ。姉貴はまだ若いから、あと五十年ぐらいはあんま容姿も変わんねえだろうけど、義兄貴アニキは違うんだぜ?」


「……うぐっ」


 アロは少し後ずさって呻いた。


「本気で義兄貴アニキに惚れてんだろ? 神狼さまへの誓いとかもう関係なしにさ。義兄貴アニキの子供が欲しいんだろ?」


「……………」


 アロは無言だ。

 ただ真っ赤な顔で唇を尖らせて、プルプルと全身を震わせている。

 一目瞭然すぎる姉の様子に、弟はただ苦笑を浮かべた。


「だから半年だ。半年間だけ力を貸してくれ。姉貴」


 ホロはさらに言う。


「俺は獣人族の王になる。頑張るよ。テティとササラを嫁にするために」


 そんでさ。

 そう続けて、何だかんだで姉想いのホロはニカっと笑ってこう告げた。


「姉貴は安心して義兄貴アニキのところに嫁に行ってくれよ」




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