第23話 心の叫び
「……カイト?」
目尻に涙を滲ませつつ、リタは入り口に立つその人物の名を呼んだ。
店舗の入り口に立っていたのは一人の少年だった。
そばかすがやや目立つ十五歳の少年だ。
宿屋ニックスの女将シータの次男。
そしてリタの幼馴染でもある。
四歳ぐらいの頃までは兄妹のように一緒に過ごし、絵本の取り合いなどもしたことがある。互いに成長しても親しい間柄のままの少年だった。
「……もう戻って来ちまってたのかよ」
カイトは強く唇を噛んだ。
「……くそ。きっとショックがデカすぎると思って、店の前で待つつもりで早めに来たのに出遅れちまったのかよ」
「――カイト!」
リタはカイトの元に駆け寄って両肩を掴んだ!
「これってどういうこと! この店の状況は何なの! パパはどこにいるの!」
質問攻めにするリタに、
「……リタ」
カイトは渋面を浮かべた。
そして一呼吸入れて、
「俺もある程度なら事情は聞いているよ。この店のことも、ライド兄ちゃんのこともだ。けど、とても俺の口からは言えない」
「ど、どういうこと?」
涙さえも零してリタが尋ねる。
カイトは視線を逸らして、
「詳細は母ちゃんが話してくれるよ。俺はリタを迎えに来たんだ」
そう告げて背中を向けた。
「付いてきてくれ。母ちゃんがウチで待っている」
そしてカイトは歩き出す。
リタは酷く困惑していたが、今は幼馴染の後を追った。
歩く間、カイトはずっと無言だった。
カイトは幼い頃から明快な少年だった。
だから、幼馴染のこんな重苦しい背中は初めて見る。
歩く度に、リタの不安は膨れ上がっていった。
とてつもなく長く感じる時間を歩いて、二人は宿屋ニックスに到着した。
「……母ちゃん」
宿のドアを開けて、カイトが店内に声を掛けた。
今日は定休日ではないというのに、店内にはシータしかいなかった。
神妙な表情で二人用のテーブル席の椅子に腰を掛けていた。
「リタを連れてきたよ」
「……ありがとよ。カイト」
カイトは静かに頷く。
「母ちゃん。俺は二階にいるよ。そっちの方がいいだろ?」
「……ああ。そうだね。頼むよ」
シータにそう頼まれたカイトは一度だけリタの方を見た。そして悲しそうに眉を少し下げてから、無言で二階へと姿を消していった。
リタは未だ困惑していた。
すると、
「……リタ」
シータがゆっくりと手招きする。
「そこに座りな。あんたに伝えなきゃいけない話がある」
「……シータおばさん……」
リタは不安で押し潰されそうだったが、それでもシータの向かい側の席に座った。
そして、
「……さて。リタ」
シータは極めて真剣な顔で切り出してきた。
「これからあんたにとって、とても重くて辛い話をするよ。覚悟して聞いておくれ」
そうしてシータは語り始める。
その内容は、ライドの仲間である女性たちにした話と同じだった。
ライドが義父であること。
アリスが実母であること。
リタの親権はアリスに譲渡されたこと。
ライドがすでに店を畳んでこの国にもいないこと。
別れの言葉を何一つ直に伝えられないのは辛い。
けれど、このタイミングしかなかった。
リタの将来のためには、自分は傍にいない方がいいと決断するのには。
ライドのそんな決意を極力感情は出さずに、シータは淡々と語り続けた。
そしてすべてを語り終えた時。
「――――――――」
リタから、完全に表情が消えていた。
健康的だった肌の色は蒼白に。
宝石のようだった碧色の瞳は虚空を見据えて輝きを失っている。
「……リタ」
シータが声を掛ける。
しかし、リタに反応はない。
「――リタっ!」
少し強く声を掛けた。リタは微かに顔を上げた。
シータは沈痛な想いで強く拳を握る。
「……いきなり色んな話を聞かされてショックなのは分かるよ。けど、これはもうどうしようもない事実なんだよ」
そうして大きく息を吸って、
「あんたはこれからのことを考えなきゃいけない。まずは母親のアリスと――」
「あたしにお母さんなんていないッ!」
――ガタンッ!
突然、椅子を倒す勢いで立ち上がってリタは叫んだ!
「今さら母親って何なのよ! そんな人はいない! いらないわよッ! あたしにはパパだけでいいんだからッ!」
涙を零してリタは叫び続ける。
「こんなの! こんなのォォ!」
ずっと腰に吊るしていた大剣を外すと、両手で掲げて床に投げつけた!
ガランガランッと大剣が転がっていく。
「冒険者だってッ! パパがいないのなら意味なんてないのよッ! どれだけたくさんのお金を稼いだって店がないのなら何の意味もないのにィ!」
そう叫んだ。
シータは目を瞠った。
「……リタ。あんた、まさか冒険者になりたかった理由って……」
リタを赤ん坊の頃から知るシータはすべてを察した。
しかし、だとしたら本末転倒もいいところだ。
「……パパあァ、パパあァ……」
リタはボロボロと泣き続ける。
シータは、何の言葉も掛けられなかった。
リタのすすり泣く声だけが宿に響く。
すると、
「……リタ?」
訝しんでシータはリタの名を呼んだ。
リタが、ふらふらと宿の入り口に向かって歩き出したのだ。
そうして、
「……リタ。お
俯いたまま、リタがポツリと呟いた。
「………は?」
「パパがいなくなったなんてうそだもん」
ガリ、と親指の爪を強く噛む。
「リタが悪い子だったから、パパが怒ってかくれんぼしてるだけだもん。リタが謝ったらすぐに出てきてくれるもん……」
そんなことを呟いている。
シータはゾッとした。
これはかなり危険な兆候だと察した。
だから、
「――待ちな! リタ!」
立ち上がって、リタを呼び止める!
しかし、リタはふらふらと歩くだけで声が聞こえている様子すらない。
シータは「くッ!」と小さく舌打ちし、身に着けていたエプロンのポケットから一通の封筒を取り出した。そして、
「ライドからの手紙を預かっている!」
そう告げた。
これにはリタも反応を見せた。
ピタリと動きを止めると、目を見開いてシータを見やる。
「パ、パパの手紙……?」
引き寄せられるようにシータの元に近づいてきた。
「ああ。そうさね」
シータはリタの胸元にその封筒を押し付けた。
「ここにはライドの想いが綴られている。まずはそれを読みな」
「パ、パパの……」
リタはその手紙を両手で抑え込むように掴んだ。
同時にシータは、ゆっくりと手を離す。
そして彼女は大きな腕と胸でリタを強く抱きしめた。
「今日は泊まって行きな。その手紙を読んでどうすべきかゆっくりと考えるんだよ」
優しい声でそう告げた。
リタはしばし茫然としていたが、
「……ううゥ、うゥああああアアァ……」
嗚咽が零れ落ちる。
そうして。
リタは泣いた。
幼い子供のように、ただ泣き続けた。
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