第21話 その頃のライドは③

 そうして。

 ティアたちが改めて旅立った二ヶ月後のこと。


 場所はグラフ王国の王都シンドラット。

 時刻は夜の八時半頃になる。

 その日、夜であってもなお輝く煌びやかな建築物の四階フロアにて、とある立食パーティーが開催されていた。


 参加者は全員ドレスアップしている。

 男性は上質な礼服姿。女性は様々なドレスだ。

 共通点として、全員が目元を覆う仮面を着けていた。

 そしてもう一つの共通点として、彼らには全員同伴者がいた。


 ――獣人族である。


 狼人ウルフ族、兎人ラビト族、虎人ティガ族……様々な種族の獣人たちだった。

 年齢も性別もバラバラだ。

 少年や少女。若い女性から青年。全員が整った容姿をしており、背中や肩、腹部が大きく露出した白い絹の布を纏わせただけのような服を着せられている。奴隷服のような印象だが、布の素材が良いので遠目だとドレスのようにも見える。

 このパーティーのために用意された衣服だった。彼らの手首には獣人の腕を強制人化させる手錠があり、首には隷属の首輪がはめられていた。

 彼らの多くは何もかも諦めてしまった死人のような眼差しをしていた。


 しかし、そんな中で強い意志を秘めた者もいた。

 一人の少女である。

 褐色の肌に、ザンバラとした短いライトグレーの髪。同色の狼の耳に尾も持っている。琥珀色の瞳は勝気な印象があった。

 年の頃は十八ほど。この場にいる獣人族たちの中でも特に美麗な顔立ちと抜群のスタイルを持つ彼女も同じ服を着ていた。強制人化の手錠。隷属の首輪も同じだ。


 彼女の名はアロ。

 狼人ウルフ族のアロである。

 二ヶ月ほど前にとある森の奥で、とある魔法剣士と戦った少女だった。


(……不快な場所だ)


 アロは静かに牙を鳴らした。

 この立食パーティーは、お気に入りの奴隷を見せびらかす悪趣味な集会だった。


(ここにいる人間どもを皆殺しにしてやろうか)


 そんなことを思う。

 それはやろうと思えば可能だった。

 しかし、それをしてしまっては主人・・に迷惑がかかってしまう。

 それだけは絶対にしてはいけない。


 今や、彼女は神狼ポウチの戦巫女ではないのだ。

 主人だけに仕える戦士なのである。

 まあ、まだあの日の誓いは果たされていないので暫定的なモノではあるが。


(いや、暫定ならば尚更だ。主人に迷惑をかけるなど言語道断だ)


 主人のために、アロはグッと堪えた。

 と、その時。


「……ほほう」


 後ろから感嘆の呟きが聞こえてきた。

 アロが振り返ると、そこには恰幅の良い小柄な四十代の男がいた。

 隣には俯いた顔の兎人ラビト族の十代の少女が従っている。


「これはこれは」


 男はまじまじとアロを観察した。

 彼女の豊かな胸元や、滑らかでしなやかな腹部。布服の間からはみ出す褐色の脚線美などに不躾な視線をぶつけてくる。

 あごに手をやる男は、ニタニタと笑みを浮かべていた。


(……こいつ)


 アロの胸中に、不快感と同じほどの殺意が湧いてきた。


「これは素晴らしいな。気に入ったぞ」


 言って、男がアロに手を伸ばしてくる。

 アロは少しの間も空けずにその手をパンっと払った。

 男は目を丸くした。

 そして、


「……私に触れるな」


 アロは言う。


「私に触れていいのは私の主人だけだ」


 怒りを込めて牙も剥く。


「……雌犬が」


 一方、男は極めて不快そうな顔を見せた。


「貴様。この私の手を払うとは何事だ。躾も出来ていないのか」


 そう言って、再び手を伸ばしたその時。


「……失礼」


 不意に声が割り込んでくる。

 男とアロが振り向くと、そこには一人の紳士がいた。

 黒を基調にした礼服に、同色の仮面。

 立ち姿からして洗練された長身の青年だった。


「私の同伴者が何か御無礼を?」


 青年がそう尋ねる。と、


「これはあなたの飼い犬か?」


 男は青年を睨みつけた。


「犬の分際で私の手を払いおった。いささか躾がなっていないのでは?」


「……ああ。それは失礼いたしました」


 青年が仰々しく頭を垂れる。


「しかしながら、躾が行き届いていないと感じられたのは誤解です。そこはむしろ躾が行き届きすぎていたところなのでしょう」


「……なに?」


 男がギョロリと青年を睨み据えた。

 青年はアロの方に目をやった。


「アロ。私の傍へ来なさい」


「……分かった」


 アロはブスッとした顔でそう返すと、青年に近づいていく。

 そのままの顔で青年の前に立つと、


「アロ。そのような顔をするなと言っただろう」


 言って、青年は両手でアロの頬にそっと触れた。

 アロは一瞬ビクッと肩を震わせたが、すぐに表情から険が解かれていく。


「良い子だ。アロ」


 青年の親指が彼女の唇に触れて、八重歯に似た牙にも届く。


「おお、なんと……」


 それを見て、男は軽く目を瞠った。

 牙を持つ獣人族にこんなことをすれば、たとえ隷属の首輪があっても普通は指を噛み千切られるものなのだが、狼人ウルフ族の少女は「……ン」と吐息を零すだけだった。

 それどころか、さらに愛撫を望むようにあごを上げる。頬には朱も入っていた。

 男が「ほほう……」と感嘆の声を上げる。


「いかがです? 愛らしいものでしょう? 教育の賜物でね。しかし、いささか徹底しすぎたせいか、この娘は私以外の男に触れられるのを嫌うのですよ」


 青年は「アロ」と再び彼女の名を呼んだ。

 アロは青年の首と背に手を回すと、自分から体を強く寄せてしがみついた。

 大きく柔らかな双丘が、青年の硬い胸板に圧し潰される。

 彼女の狼の尾が、左右に大きく揺れた。


(……アロ。別に尾まで振らなくてもいいぞ)


 彼女の腰を抑えつつ、耳元で青年がそう囁いた。


(う、うるさいっ)


 アロは顔を真っ赤にして小声でそう返した。

 そんなやり取りは聞こえず、男は尋ねる。


「これはお見事。雌犬が男にしがみついて尻尾を振るのは本能からの求愛と聞きますからな。何でも『孕ましてくれ』とおねだりしているとか。くくく。気性の荒い狼人ウルフ族の雌犬をよくぞそこまで手懐けたものですな」


 ところで、と言葉を続けて、


「その娘は今夜『出品』されるのですかな?」


「……いえ。見ての通り、この娘は私のお気に入りでして」


 青年は、アロの後頭部を優しく撫でた。


「手離すつもりはありません」


「…………」


 青年の台詞にアロは無言だ。

 ただ露出した褐色の肌は赤みを帯びて、尾はさらに激しく左右に揺れていた。

 その様子に、男はニマニマとした笑みを浮かべている。


「それでは私たちはオークション開始まで自室で休ませてさせていただきます。うっかり放置してしまい、拗ねさせてしまったようですので」


 青年がそう言うと、アロは少し俯くだけで何も答えない。


「フハハ! それは仕方がないな!」


 男は、恰幅のよい腹を抑えて大いに笑った。

 青年は「では」と一礼すると、アロと腕を組んでこのフロアから退出した。

 長い廊下を二人は腕を組んだまま歩く。


「……アロ。あまり派手な行動は控えてくれ」


「う、うるさい」


 アロは唇を尖らせて反論する。


「私をあんな場所に一人にした主人が悪いんだ」


「情報収集をしていたんだ。そこは勘弁してくれ」


 そんなことを小声でやり取りしている。

 ややあって、二人はとある部屋に到着した。

 今回のイベントの主催者が客人たちのために個別に用意した休憩部屋だ。

 鍵を開けて室内に入る。

 そこは天蓋付きのベッドまである中々に豪勢な部屋だった。

 このイベントの客人たちが裕福であることを示している。


「……やれやれ」


 青年――ライドは仮面を外すと、テーブルの上に置いた。


「やはりオレはこういった着飾った場が苦手だな」


 コキンと首を鳴らして、嘆息する。


「主人」


 そんなライドに、アロが腕を絡めたまま上目遣いに願う。


「早く。早く外してくれ」


「……何度も言うが、それは偽物フェイクだぞ。自分で外せるんだが……」


「いいから。早く」


 アロがねだる。ライドは嘆息しつつ、アロの首輪に触れた。

 カチャリと音が鳴り、隷属の首輪が外される。

 ライドはそれを手に取って、仮面の横にコトンと置いた。

 この首輪は形だけのレプリカだった。流石に強制人化をさせる手錠は本物だが、アロがこの国で自由に行動できるようにするための偽装である。

 アロは、いつものように・・・・・・・ライドに解放された首筋をさすってもらう。


「痛くはないか?」


「……ん。大丈夫だ」


 優しいライドの声に、アロはフサフサの尾を激しく振りながら、


「それで何か分かったのか? あいつ・・・についてとか?」


 表情だけは真剣にしてそう尋ねる。

 ライドは「ああ」と頷いた。


「今回の奴隷オークション。『知識海図ミストライン』の男からの情報通りだったな」


 この国、西方大陸にあるグラフ王国は人族以外の他種族を見下す傾向があった。

 東西南北中央の五つに分かれた大陸。

 そこには大きく分類して六種の人類がいた。


 平均的に百八十年ぐらいの長寿である他種族に比べて百年程度と短命だが、能力のバランスの良さと適応力の高さで、全大陸において最大勢力となっている人族。

 中央大陸にある大樹海に本拠地を置き、最も長命かつ精霊魔法に長けた森人エルフ族。

 東方大陸に住まう圧倒的な膂力と『氣』の量を持つ鬼人オウガ族。

 南方大陸の鍛冶一族。手先の器用さにおいては並ぶ者のいない地人ドワーフ族。

 北方大陸の荒れた大地にて、桁違いの生命力と頑強な竜鱗で生き続ける竜人ドラゴ族。

 そして全大陸にいる狼人ウルフ族も含める獣人たち。


 それら種族が、現在確認されている知性と文明を持つ人類だ。

 まあ、ライドは個人的にもう一種族だけ知っているのだが、彼らは基本的にある領域内から出てこないので例外だった。


「このオークションは獣人だけじゃない。森人エルフ地人ドワーフまでいるそうだ。だが、彼らよりも注目を集める目玉商品があるそうだ」


 そこでライドは双眸を細める。


「参加者の噂では伝説の獣人――『金色こんじき』が出品されるそうだ」


「――ッ!」


 アロが目を見開いた。


「……『金色こんじき』。なら弟はやっぱり……」


「ああ」ライドは頷く。「ここに囚われている可能性が高い」


「…………」


 アロは視線を落として沈黙した。

 その表情は険しい。


「……アロ」


 そんな狼人族の少女に、ライドは穏やかな声を掛ける。


「今夜は様子見だ。まずは弟さんが本当に無事なのかを確認するんだ」


「……ああ」


 アロは頷いた。


「アロ。弟さんは必ず助ける。だから信じてくれ」


 そう告げるライドに、アロは顔を上げた。


「ああ、信じている。主人のことは誰よりも」


「ありがとう。だが……」


 そこでライドは渋面を浮かべた。


「これも何度も言っているが、その『主人』というのは止めてくれないか」


「それはダメだ」


 腰に両手を当てて、たゆんっと大きな胸を揺らしてアロは言う。


「主人は私の主人だからな」


 ライドは「……はァ」と小さく嘆息した。

 アロと出会って一ヶ月。

 彼女は、ずっとライドを『主人』と呼んでいた。

 何故かと聞くと、それが神狼の誓いだからそうだ。

 よく分からないが、あの戦いで勝ってしまったのが発端のようだ。

 あの日、気絶から目覚めた彼女はライドのコートで裸体を隠しつつ、


『……今からあなたは私の「主人」だ。私の生涯ただ一人の』


 そんな台詞を告げてきた。

 彼女にとって相当に屈辱的な台詞だったらしい。

 その表情は極めて険悪で不本意だと訴えてはいたが、


『……好きにしてくれていい。ここで殺すのも犯すのもあなたの自由だ』

 

 そこまで言う。


 ライドとしては本気で対応に困ってしまったものだった。 

 一旦その場は誤魔化してどうにか退散したのだが、彼女はその日からどこに行っても追いかけてきた。どこに逃げても匂いで追跡してくるのである。

 獣人族の嗅覚、恐るべしだった。

 結局、ライドも根負けして彼女の面倒を見るようになった。

 例えば彼女の身を守るために隷属の首輪を偽装するなどとかをだ。


 そうして一緒にギルドの仕事もこなすようになった。

 アロは冒険者ではないので、基本的にライドの手伝いをしてくれた。

 最初の頃は義務感か使命感から服従するような態度のアロだったが、少しずつ信頼もしてくれてその表情は徐々に柔らかくなっていった。

 色々とあったが、今ではこの国における相棒とも言えた。

 だからこそ、彼女の抱える問題をどうにかしてやりたいと思ったのだ。


 ――奴隷商に攫われた弟を救いたいという願いを。


「まずは今夜。深夜のオークションからだな」


 ライドはそう呟く。

 アロも頷いた。

 夜は深まり、その時は近づいていく。

 こうして。

 ライドの物語もまた、人知れず続くのであった――。



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