第18話 その縄は鎖よりも強靭で
「ですが、いくつか条件があります」
ライドはネスにそう告げる。
「……条件、ですか?」
ネスが眉根を寄せると、
「はい。まずはリタが学校を卒業するまでの三年間。アリスには母親であることを秘密にしてもらいたい」
「……それは何故でしょうか?」
ネスがそう尋ねると、ライドは指を組んで、
「リタのためです。アリスが母親と知れば確実に確執が生まれます。あの子には健やかで憂いのない学校生活を過ごして欲しい」
「……なるほど」
ネスは納得する。
(とは言え、これは報告するまでもないな。新学長の様子からして彼女に母親を名乗る勇気はないだろう)
内心でそう判断する。
「それと戸籍の変更に関しても、三年間はあの子に伝えないで欲しい。その理由は同じです。これを話せば、必然的にアリスの話も避けられませんから」
ライドはそう続けた。ネスは「はい」と頷いた。
「……オレは」
ライドは少し天を仰いだ。
「リタと会うつもりありません。あの子は勘が良い。一度でも会えばオレの態度から何かを察してしまうかもしれない。だから今はもう会わない方がいい」
本来ならリタとは一度会って話をすべきだろう。
あの子の過去についても話すべきだった。
これからのことも。
だが、今回はあまりにもタイミングが悪かった。
あの子は夢を抱いたのだ。
――冒険者になりたい。
あの子が初めて抱いた夢の第一歩に水を差すような真似はしたくない。
将来を決めるようなこの時期にあの子の心を乱すようなことはしたくない。
これは父としての最後の想いだった。
(……あの子は怒るだろうけどな)
双眸を細めてそう思う。
「このままあの子がファラスシア魔法学校に入学するのなら会う機会もないでしょう。その期間に今後のことも考えます」
一拍おいて、ライドは言葉を続ける。
「アリスともです。これまでのことやリタのことを話し合うべきなのでしょうが、正直、今の心境で彼女に会うと、オレは何をしてしまうのか分かりません……」
「……そうですね」
ネスは眉を八の字にした。
「ジニスト氏には卒業までの一時的な後見人となった。そのような感じで私の方で上手く話を合わせておきましょう。そうすれば母親であることを名乗る必要もありません。正式にお伝えするのは時期を見計らった方がよさそうですね」
「……ズゥさん。アリスは……」
ライドは不安を口にする。
「……彼女は今度こそリタの母親になってくれるでしょうか……」
いま話していることは、アリスの意志に関係なく決めている。
果たして、彼女が引き受けてくれるのかは分からなかった。
「ブルックス氏の不安は分かります。これまで仕事の上で数多くの『親』を見てきた私の私見でありますが」
ネスは言う。
「今の彼女は大丈夫かと思われます。財力面でも充分です。それに彼女はご息女に深い罪悪感を抱いていると感じました。ご息女のためには何も惜しまないともお聞きしました。そこに嘘はないでしょう。でなければ、そもそも今回の話はなかったはずです」
「……そうですね」
ライドは小さく息を吐いた。
「オレはもう一度だけアリスを、オレの幼馴染を信じたいと思います……」
そう呟いた。
それ以降、ライドは沈黙した。
(……頃合いだな)
ネスは双眸を細めた。
そして、
「では、ブルックス氏」
ネスは立ち上がった。
「私はこれで失礼させていただきます。戸籍の件と、ご息女の件はジニスト氏と共に最善を尽くします」
「……お願いします」
ライドはそうとだけ答えた。
ネスは「では」と一礼して店を出た。
外に出て街道を歩き、ネスはふっと口元を綻ばせた。
(我ながら上出来だ)
と、自画自賛する。
顔を上げると太陽が燦々と輝いている。
「さて」
照りつける日差しを眩しそうに眺めるネス。
「これで彼が新学長の娘に近づくことはもうないだろう」
そう呟いた。
新学長の娘の入学許可。
これは特に問題もなかった。
ここで終わってもよかったのだが、ネスはもう一歩踏み込んでみた。
新学長から話を聞き、違法状態の可能性に気付いた。調べて確証も得る。
その情報を使って、どうせなら親権そのものを取り戻そうと考えたのだ。
ネスは新学長に恩を売るつもりだった。
先程の青年から、彼女の娘を完全に取り上げることで。
しかし、法律を盾にして詰め寄るのは悪手だ。反感を抱かせる。
正義による暴力など、ただ自分が気持ちいいだけだ。
そもそも話を聞く限り、小娘だった頃の新学長がどんな男に騙されたかは知らないが、新学長が行った対応の方こそよほど問題が多い。
だからこそ、ネスは同情や善意を以て懐に入り込んだ。
外側からの強硬ではなく、内側からじわじわと。
もちろん、ネスは彼に対して一切の嘘はついていない。
誠意を以て脚色もない事実だけを伝えた。
あなたに非はない。
けれど、ご息女のためには――。
今の新学長をあえて下げ過ぎず、少しはマシになっていることを印象付けた。
彼が自分自身を説得しやすい言葉を選んだ。
自分自身で納得し、戒めたことは何よりも強力だ。
いわゆる自縄自縛。
他者が縛る鎖よりも、よほど強力な束縛である。
その心理状態にすることが、ネスの常套手段だった。
これは倫理観の高い人物ほどよく効く。
あの青年もそうだった。
(まあ、他人の子を育てるようなお人よしだからな)
ネスは双眸を細めた。
確かに酷な対応だったかも知れないが、違法状態だったのは事実だ。
本当に刑事裁判になり、万が一にでも敗訴すれば十数年の禁固刑も有り得た。
それを考えれば、あの青年を救ってやったとも言える。
加えて、彼はまだ二十七だという話だ。
あの若さで店も出すのだから才覚もある。少年期こそすでに潰されてしまったが、『お荷物』さえなければ、これからいくらでも人生を挽回できるだろう。
(むしろ、これは彼のためでもあるな)
ネスはそう考える。
ただ、その口元は皮肉気に歪んでいたが。
「ともあれ、これで一仕事終わりだな」
足取りも軽やかに駅へと向かう。
しかし、ネスは失念していた。
悪辣なほどに優秀な彼も気付かなかったのだ。
彼がわざわざ得た
それは反転すれば
そのことをネスが思い知るのは三年後の話だった――。
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