第17話 語られる事実

「まず、最初にはっきりと申し上げておきます」


 ネスはそう切り出した。


「これはあなたの責任などではありません」


「………え?」


 ライドは目を瞬かせる。


「……そう。あなたに責任などない。ただタイミングが悪すぎた……」


 ネスは指を組んで再度そう告げる。


「どういうことでしょうか? ズゥさん」


 ライドが眉根を寄せてそう尋ねると、


「ブルックス氏」


 ネスはライドを見据えて尋ねる。


「あなたは十八年前から実施された奴隷制度廃止についてはご存じですか?」


「……ああ。聞いたことがあります」


 ライドは頷く。


「王太子――現在の国王陛下が推し進めた改革ですね。ホルターではほとんど奴隷なんていなかったので騒ぎにはなりませんでしたが、王都ではかなり騒然としたとか」


 当時、ホルターでは一部の富裕層の元以外では奴隷はいなかった。

 不愉快な話ではあるが、この国では奴隷は労働力ではなく、高額の性奴隷や愛玩動物として扱われていたため、富裕層のステータスのようなモノだったからだ。

 そんな状況もあり、当時のライドにとっては全く無関係な話だった。

 ネスは「ええ」と頷き、


「王都の富裕層や裕福な地方の貴族の間では相当な不満がありました。結局、王家の政策では従わざるを得なかったのですが……」


 小さく嘆息して、


「それでも納得のいかない者たちが相当数いました。彼らはある方法を使って法の目をかいくぐったのです」


「……ズゥさん? 先程から何の話を?」


 ライドが眉根を寄せると、ネスは「もう少しお聞きください」と制した。


「この話はかなり有名な話なのです。特に富裕層の多い王都では。彼らはどうしてもお気に入りの奴隷を傍に置きたいと考え、奴隷に対し、養子縁組を行ったのです」


「……奴隷を養子に、ですか?」


 反芻するライドにはネスは「はい」と頷いた。


「見目麗しい少年少女ばかり。当時は不自然なほどに養子縁組が乱立していました。その状況が王家に伝わるまで時間はかかりませんでした」


 ネスは脱力するようにかぶりを振った。


「結果、王家は新たな法を一つ導入しました。養子縁組には厳密な審査を行うこと。そして仮に違法な養子縁組を行った場合、いかなる者であっても厳罰に処すと」


 実際に禁固二十年の実刑を下された貴族もいました。

 ネスはそう補足する。

 そして、


「それが十六年前のことです。そうしてここからが本題です」


 ネスは切り出した。


「ブルックス氏。あなたは十二年前に養子縁組を申請されたのはないですか?」


「え? あ、はい」


 ライドは頷く。


「ホルターの東地区の役所で届けました」


「……当時」


 ネスは小さく息を吐いてから言葉を続ける。


「十五歳だったあなたがですよね? 最悪だ。これだから貧民区の役所は……」


 小さく愚痴のような言葉を零してネスは言う。


「ブルックス氏。あなたは恐らくご存じないのですね。この国の法律では養子を迎えることが出来る年齢は十八からになっていることを」


「………え?」


 ライドは目を見開いた。


「い、いや! 待ってください! 普通に書類は通りましたよ!」


「それは恐らく役所の怠慢でしょうね……」


 ネスは嘆息した。


「そもそも十五で親権を得る養子縁組という前例もなかったでしょうから、勝手にあなたの年齢を誤記と判断して素通りさせたのでしょう。それ以前に申請者が未婚、未成年ならば、本来は審査があって当然だったはずなのですが……」


「……そん、な」


 ライドは少し腰を浮かせて唖然とした。


「そして、それこそが問題なのです」


 ネスは本題に入る。


「結論……というよりも結果論で言うのであれば、あなたは十二年前、『違法な養子縁組』を行ったことになるのです」


「――――な」


 ライドは完全に立ち上がって目を剥いた。

 ガタンッと木の椅子が揺れた。


「いやいや! ちょっと待ってください!」


 ライドは手を突き出して反論する。


「流石にそれは無茶くちゃだ!」


 もっともな意見を口にする。一方、ネスは「はい」と頷いて、


「確かに無茶くちゃな話です。仮に刑事裁判になったとしても勝つことは可能でしょう。ですが、奇異な注目を集めることになると思います。なにせ、あなたとご息女の年齢は近すぎる。そして裁判は王都で行われます。そうなれば十六年前に数多くあった奴隷の養子縁組裁判と重ねて騒ぐ者たちも多いでしょうね……」


 一拍おいて、ライドを見やる。


「これも不躾で申し訳ないのですが、ジニスト氏のご息女ならば相当に見目麗しい少女なのでは?」


「…………」


 ライドは答えられない。

 親馬鹿と言われるかもしれないが、確かにリタはとても美しい容姿をしている。


「……ゴシップにされることは確実のようですね」


 言葉にせずとも察して、ネスは嘆息した。


「正直なところ、私はあなたご自身のことはさほど心配しておりません。あなたには疚しいところは一切ないとお見受けしていますから」


 ネスはライドを見据えた。


「私として心配なのはご息女の方です。この手の裁判では結果にかかわらず女性は傷つくことになります。自身の出生も知ることになっては尚更です。勝訴してもレッテルを貼られるケースは多々あります。それに私が最も懸念しているのは――」


 一呼吸入れて、ネスは言う。


「ホルター男爵家です。ジニスト氏はいざ知らず、彼女の他の血縁者たちはご息女をどう思っておられるのです? 彼らがどう動くのか予測できますか?」


「…………」


 これにもライドは答えられない。


「下手をすれば、勝訴確実の裁判もひっくり返される可能性もあります」


 ネスは語る。


「そして、恐らくあなたもジニスト氏もホルター家を一番恐れている。彼らがどう動いてもご息女が彼らに傷つけられることは確実だとお考えなのですね」


 リビングに沈黙が降りる。

 ややあって、


「……オレは」


 ライドが、グッと強く拳を固めた。


「……オレはどうすればいい?」


「……弁護士としましては」


 ネスは指を組んで私見を告げる。


「今の戸籍をそのまま放置しておくのはまずいでしょう。違法状態であることに変わりはありません。ご息女の親権を別の人物に譲渡すべきです。そしてその相手は――」


 そこでネスは言い出しにくそうに口を閉ざした。

 ライドは唇を噛んだ。


「……アリス、か」


「……はい。経済面においてはその一択かと」


 ネスは神妙な表情を見せつつ、そう答えた。


「お気持ちはよく分かりますが、養子縁組ともなればその負担は大きい。ご息女のこれからの生活を鑑みればやはり……」


「…………」


 ライドは無言だ。

 ただ静かに立ち尽くし、天井を仰いでいた。


「……唐突に」


 ライドは力なく呟く。


「来るもんなんだな。終わりって奴は」


「……ブルックス氏」


 ネスは同情の眼差しを向ける。


「ズゥさん。リタの親権をアリスに譲渡したら何が変わる?」


「……それは」


 ライドの質問に、ネスは一瞬言葉を噤んだ。


「戸籍を変更すれば、あなたとご息女は縁故のないただの他人になります。今回の違法状態は元を正せば役所のミスです。加えて、あなたの事情を鑑みれば、情状酌量で罰則はないと思われます。ですが」


 一拍おいて、


「自主的にご息女とは距離を置かれる方がよいでしょうね。様々な感情を無視してでも、ご息女の将来のことだけを考えるのならば」


 ネスは沈痛な面持ちを見せた。


「無礼は承知の上で、あえて悪意のある言い方をします。世間にとってあなたは、年頃の少女に対して親権を違法に取得していた未婚の男性になるのです」


「…………」


「せめてご息女が十八歳……いえ。二十歳になるまでは互いに距離が置かれる方がお二人のためになると申し上げます」


 ライドは未だ言葉がない。

 ただ静かに椅子に腰を下ろした。


「……ブルックス氏」


「……分かっている。分かっています」


 ライドは額に手を当てて、深く息を吐いた。


「戸籍を変えれば、オレとリタは赤の他人になるのですね……」


「……はい」


 ネスは頷く。


「ですが、それでもう裁判になることだけはありません。ご息女が世間の偏見やホルター男爵家の悪意に晒されるリスクだけは防げるでしょう」


「…………」


 沈黙が続く。

 ネスもそれ以上語らずにライドの決断を待った。

 そして、


「……分かりました」


 ライドは苦悩を押し殺して決意した。


「オレは、リタの親権をアリスに譲渡します」



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