第16話 ネス=ズゥという男

 ファラスシア魔法学校の顧問弁護士。

 それが彼――ネス=ズゥである。


 年齢は四十六歳。

 女性より小柄で小太り。顔に食い込むような丸眼鏡が特徴的な人物だ。

 常に上質な紳士服を着たその姿は、着飾ったネズミのような印象を受ける。

 しかし、コミカルな容姿などで彼を侮ってはいけない。

 彼は極めて有能な人物だった。


 同業者は、ネス=ズゥという男をこう評価する。

 ――気付かれることもなく蝕んでいく無味無臭の毒のような弁護士だと。





「お初にお目にかかります。ブルックス氏」


 その人物は唐突にライドの店にやって来た。

 汗だくでハンカチで頬を盛んに拭くネスである。

 まず名刺を渡されたライドは、ネスを生活部屋のリビングに案内した。

 テーブルを挟んで座ってもらい、そこで彼にアイスコーヒーをお出しした。

 ネスは「ありがとうございます!」と言って一気に飲み干した。

 余程外が暑かったのか、ゴクゴクゴクと凄い勢いだ。

 何と言うか、仕草一つ一つがとてもコミカルな印象をライドは受けた。


「ズゥさんでしたか。それでご用件はなんでしょうか?」


 ライドは、ネスが落ち着いてから話を切り出した。

 ネスは「はい……」と頷くと、丸眼鏡の奥で双眸を細めて、


「今日お伺したのは他でもありません。ブルックス氏。あなたのご息女に関しての重大なお話があるのです」


 一拍おいて、


「ブルックス氏。あなたはホルター男爵家のご令嬢である、アリス=ホルター氏をご存じですね」


「―――ッ!」


 久方ぶりに聞く幼馴染の名にライドは目を見開いた。


「私はアリス=ホルター氏――現在はアリス=ジニスト氏と名乗り、ファラスシア魔法学校の学長を務めることになった彼女の依頼であなたの元に訪れました」


「――アリスが!」


 ライドは思わず立ち上がったが、ネスは片手を突き付けて、


「落ち着いてください。ブルックス氏。まずは事実確認をさせて頂けませんか?」


 そう告げて、彼はアリスから聞いた話をライドに説明した。

 十二年前、アリスが当時十五歳だったライドに赤ん坊を押し付けたこと。

 そして現在のライドの娘であるリタが、その時の赤ん坊であること。

 そこに間違いはなかった。


「……そうですか」


 ネスはとても心痛を抱くような表情を見せた。


「まず当時のジニスト氏について私の知る限りお話しましょう」


 ネスはそう告げた。

 そしてアリスの当時の状況を語る。

 だが、実は、ネスはそこまでアリスの実状に詳しくはない。

 少なくとも薬物や洗脳といったところまではアリスからは聞いていなかった。

 ただ当時のアリスが付き合っていた男は極めて悪辣な人物であり、アリスには正常な判断が出来ていなかった。子供を捨ててしまったのもそのせいだと語った。


「……………」


 ライドは無言だ。

 そう聞かされても、子供を捨てることなど許せない。


「お怒りは分かります。私はただの雇われ弁護士ですが、それでも学校関係者です。子供を無下にする行いは許せない」


 ネスはライドに共感する姿勢を見せた。

 ただ、その後、


「ですが、ジニスト氏は本当に後悔しているようなのです。それは彼女と直に話をしてヒシヒシと感じました。何度もあなたとご息女への謝罪と感謝を口にしていました。特に謝罪に関しては痛々しいと感じるほどです」


「……………」


 ライドは未だ無言だった。

 ただ、アリスが後悔しているという話は頭ごなしに嘘とは思わなかった。

 子供の頃のアリスは勝気な少女だったが、一度落ち込んでしまった時は、極端なほどに自分を追い込んでいくことがあった。

 もしリタのことで後悔しているのなら、その落ち込みぶりは想像できる。

 幼馴染だからこそ、今のアリスの姿も想像できてしまった。


「それで……アリスは何と言っているんですか?」


「……実は、ジニスト氏は偶然ご息女とすでに再会されたそうです」


「――ッ!」


 目を見開くライドに、ネスはかぶりを振った。


「ご安心を。実母であるとは名乗られていないそうです。ただ、その際にご息女の将来の夢をお聞きになったそうです」


「……冒険者、ですか?」


 ネスは「はい」と頷く。


「ジニスト氏としては彼女の背中を後押ししたいそうです」


「……………」


 ライドは再び黙り込んでしまった。


「……ブルックス氏のお気持ちは分かります」


 すると、ネスがそう告げた。


「今さら母親面など不快なことでしょう。その感情はあなたがとても深くご息女に愛情を注いできたという証です。ただ、子供の夢とは尊いものです。不躾ではありますが、それはあなたの方がより強く感じられておられるのではないでしょうか」


「……………」


 その指摘にも、ライドは沈黙するしかなかった。

 共感できてしまう。


「ジニスト氏は、学長として自身がサポートするので、ご息女に夢を叶える機会を与えて欲しいと願っています。彼女が学校に通う許可を貴方にして欲しいとのことです」


(……アリス)


 ライドは言葉を発せなかった。

 冒険者はとても危険な稼業だ。

 仮にもライドはA級冒険者だった。それは我が身で体験している。

 ただその日々が、ライドにとってかけがえなく輝かしかったことも確かだった。

 ライドは指を組んで悩み、深く熟考する。

 そうして、


「……分かりました」


 ライドは決断した。


「あの子が将来冒険者になるのかはともかく、学校に通うことは認めます」


「……ありがとうございます」


 ネスは両膝に手をつき、深々と頭を下げた。


「それとアリスとも話がしたい。アポは取れますか?」


「はい。もちろんです。今後のことについてはお二人で話し合うべきでしょう」


 一拍おいて、


「ご息女の学費もそうですが、これまでのこともです。今日までの養育費。謝罪金にも発展するでしょうが、きっとジニスト氏は全面的に受け入れることでしょう」


 と、ネスは言う。

 これは事実だった。

 アリスは本当に後悔している。拒否などするはずもない。


 ただ、実はライドもネスも知らない事実もあった。

 蛇足のような話だが、実は正気を取り戻してから、アリスはずっとライドとリタに生活費と謝罪金を送金していたりするのだ。

 ブルックス教会に匿名で相当な金額を寄付しているのである。

 アリスは、ブルックス教会がすでに解体されているなど思ってもいなかった。

 そのため、今も王都にある教会本部にブルックス教会宛で寄付をしていた。

 寄付金に関して教会本部にはルールがある。

 教会本部への寄付は寄付先が指定されている場合はその教会に配分される。だが、すでに寄付先がなくなっている場合だと、各教会に均等配分されてしまうのだ。


 従って、アリスの毎月の寄付金は一切ライドにもリタにも届いていなかった。

 こればかりは流石に不運だとしか言えなかった。


 閑話休題。


「……そうですね。これを機にアリスとはしっかりと話し合いたいと思います」


 ライドは少し遠い目をしてそう呟いた。

 すると、


「……ブルックス氏」


 おもむろにネスが視線を伏せた。

 ライドが彼に目を向ける。

 しかし、ネスは沈黙し続ける。


「ズゥさん?」


 ライドが眉をひそめると、ネスは意を決したように顔を上げた。

 その眼差しはとても真剣なようだった。


「ブルックス氏」


 ネスはその眼差しをライドに向ける。

 一拍おいて、彼は口を開いた。


「実は言うべきか悩んでいました。ですが、やはりお伝えした方がいい」


 そう前置きをして、


「あなたにお伝えしなければならない事実があります。恐らく、あなたが気付かないままに陥ってしまっていると思われる現状を」


 ――そうして。

 いま静かに毒が回り始める。


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