第3話 愛娘の望み

 朝。

 パチリ、と。

 リタ=ジニスト・・・・は目を覚ました。


 黄金の絹糸のような長い髪がベッドに広がっている。碧色の瞳はまだ寝ぼけ眼だ。

 スレンダーな肢体には、下着と男物のシャツだけを羽織っている。

 そのシャツは、ファラスシア魔法学校に入学する際に持ち込んだ私物だった。

 まあ、厳密に言えば私物ではないか。

 父が長年愛用していたシャツを一枚拝借したのである。


 リタは上半身を起こした。

 今日も圧倒的に成分が不足している。

 それを感じ取ったリタは、机の上からこれまた私物の絵本を取った。

 絵本をぎゅうっと強く抱きしめる。

 これによって成分を少しでも補充する。


「……お父さん……」


 リタはファザコンだった。 

 それも超重度のファザコンだった。十五歳になった今でも一緒にお風呂に入ることも躊躇わない。むしろ望むところだ。親友にも話したことはないが「パパのお嫁さんになる」という夢を全く捨てきれないほどの極みレベルだった。


 そんな彼女がどうして父の元を離れて全寮制学校の生徒になっているのか。

 それもひとえに父のためだった。


 リタの実家は、小さな道具店だった。

 経営は正直に言えば万年赤字だ。リタもよく手伝っていたので分かる。

 一日に数回しかお客さんが来ない日もあった。


 しかし、リタにとってはそれでも良かった。

 何故ならお客さんが来なければ、その間は父を独り占めできるからだ。

 まあ、それはあくまでリタ個人の想いである。


 問題は赤字が続けば、いつかは店も畳まなければならない日が来てしまうことだ。

 リタは父が立ち上げた大切な店を守りたかった。

 だからこそ冒険者になろうと思った。危険を伴う職業ではあるが報酬も大きい。C級にでもなれば、数回の仕事でもあの店の数年分の運営資金を稼げる。


 幸いにも、リタには剣才も魔法の才もあった。

 授業で習ったのだが、近年『精霊数』というステータスが発見されたそうだ。

 いわゆる魔法と呼ばれる技術は分類して二種類ある。

 一つは神官が使用する『神聖魔法』。

 魔力を用いて肉体に干渉し、治癒や強化バフ弱体化デバフを行う魔法。

 もう一つは火水土風光闇の自然の六元素を操る魔法――『精霊魔法』だ。

 世界に宿る無数の精霊たちを操り、自然の理に介入するのが精霊魔法だった。


 そしてどちらの魔法の才も、術師がどれほど精霊に愛されているかによって決まる。

 精霊数とは文字通り、愛されている精霊の数のことだった。


 常人ならば百ほど。天才と呼ばれる者でも五百程度。

 しかし、調べたところ、リタの精霊数は二十万・・・を超えるそうだ。


 講師陣は戦々恐々となったらしい。

 なお、魔法を使用する際の魔力も精霊たちより術師の体内に供給されるため、リタはどれほど魔法を連発しても魔力切れを起こしたことはない。

 これほどまでに桁違いな精霊数を持つ者は、S級冒険者でも一人しかいないそうだ。


 講師陣はリタの将来に大いに期待した。ただ、リタ自身としては幸運だったとしか考えていない。これで安全に店の運営資金を稼げるとしか考えていなかった。


(後はC級ぐらいの冒険者資格だけね)


 大切な絵本を机の上に置き直し、次いでシャツを脱ぐ。ボトムスに下着を履いただけの姿になるが、制服に袖を通す前に脱いだシャツをぎゅうっと抱きしめた。

 折り畳み、ベッドの傍に置いた。

 洗濯する度に父の温もりが薄れていくようでそれが残念だった。


 ともあれ、室内に設置された簡易洗面台で顔を洗って髪を梳かし、制服に袖を通した。

 洗面台の鏡の中の自分を見やる。

 十五歳の少女。もうじきこの学校も卒業する三回生の生徒。


(……もうじき)


 リタはそっと鏡に触れた。


(お父さんのところに帰れるんだ)


 そう思うと心が弾む。鼓動が高鳴る。

 けれど、リタには大きな不安もあった。

 実はこの学校に通うことは父に反対されていたのだ。

 というより、冒険者になること自体を反対された。


 ある意味当然の話だ。

 確実に命の危険が伴う仕事に子供を就かせたいと思う親はいない。

 しかし、リタは意固地になっていた。


『お父さんの分からず屋!』


 そう叫んで家を飛び出してしまった。

 行く当てもなくリタは街近くの草原にまで向かった。

 そこで迷いを振り払うように木剣を振っていた。

 そんな時だった。


『……良い太刀筋ね』


 不意に後ろから声を掛けられたのは。

 振り返ると、そこには騎士と見間違えるような綺麗な女性がいた。

 彼女はリタと同じ黄金色・・・・・の髪を持つ・・・・・女性冒険者・・・・・だった。

 それもB級の冒険者。

 まるでリタの目指す姿がそこにいるようだった。彼女は冒険者を引退し、ギルドの推薦でファラスシア魔法学校の学長となるために来たそうだ。


『けど、どうしてこの街に?』


 王都から汽車で三日もかかるこの街にどうして来たのだろうか?

 そう尋ねると、彼女はとても悲しげな眼差しを向けた。


『……少しこの街には縁があってね』


 彼女はそうとだけ答えた。

 ただリタが自分の名前を告げた時、彼女は大きく目を見開いた。


『……リタ? リタ・・ブルックス・・・・・?』


 そうして震える手でリタの髪に触れた。

 リタは不思議そうに小首を傾げるだけだった。


『……ジニスト・・・・さん?』


 彼女の名を呼ぶ。


『い、いえ。何でもないわ』


 彼女――ジニストさんはかぶりを振った。


『ごめんなさい。それよりお父さんと喧嘩をしたのね?』


 彼女は一度強く唇を噛んで、


『なら、私に任せて。あなたのお父さん――彼と話すわ・・・・・


『……え?』


『私はファラスシア魔法学校の学長になるわ。優秀な生徒になるかも知れない子の後押しぐらいしないとね。それに――』


 彼女はもう一度、リタの髪に触れた。

 自分と同じ黄金の髪を。


『冒険者があなたの夢と言うのなら、せめてこれぐらいはね……』


 そうして彼女は去っていった。

 リタはその日から一週間ほど宿屋の女将さん――シータおばさんのところに世話になっていた。お父さんと喧嘩をしたと言ったら「仕方がないね」と泊めてくれた。

 まあ、当然ながら宿の手伝いはしたが。

 そうこうしている内に、ジニストさんの代理人という男の人が宿に来た。

 彼の案内でジニストさんと再会した。

 流石はB級冒険者。そこはこの街でも最高級ホテルの一室だった。

 彼女曰く、どうにか父を説得してくれたそうだ。


 入学は認めてくれる。学費も出してくれる。

 ただ完全な承諾は得られず、妥協案としてジニストさんが保護者代理の後見人になってくれた。彼女が校内でもリタの様子を見てくれるらしい。

 説明が難しくてよく理解できなかったのだが、結論からすると、どうやらリタは学校に通う間は『リタ=ジニスト』になるそうだ。


 それはリタにとって不満だったが、父に許してもらうには仕方がないと思った。


『出発は今日よ』


『……え?』


 ジニストさんの言葉にリタは目を丸くした。


『入学試験があるのは知っているでしょう? それにあなたは出来れば特待生がいいのでしょう? 特待生用の試験は日程的に今から出発しないと厳しいのよ』


『……分かりました』


 そう言われて、リタは納得した。

 けれど、父と話す時間がほとんどない。

 まだ喧嘩したことも謝ってもいない。そもそも今回は赤の他人・・・・にまで頼って父を説得したのだ。父がどう思っているのか不安だった。

 リタは急いで家に帰ったが、まだ営業中のはずなのに店の扉には『閉店』の看板がかけてあり、店内の明かりは落とされていた。


『……お父さん?』


 店内や生活部屋も覗くが、どこにも父の姿はなかった。

 どうやら留守にしているようだった。


『……ううゥ。お父さん……』


 もう時間がない。リタは仕方がなく出立の準備を始めた。

 荷物をまとめる間に父が帰宅するかもしれないと期待したが、それもなかった。

 父と会話をすることも叶わず、リタは断腸の想いで実家を後にした。

 そうして無事特待生の試験も合格した。

 特待生になれたことは本当に良かった。これで父の負担を最小限に出来る。

 しかし、厳しい校則のせいで父とは連絡を取ることも許されなかった。


 父と喧嘩別れしたこと。

 それは、ずっとリタの心に突き刺さっていた。


(けど、大丈夫だよね)


 鏡の中の自分を見つめて、リタは自身に語り掛ける。


(喧嘩は初めてじゃないもん。こうして主席にもなったんだから)


 流石に今回は凄く怒られる。

 それは覚悟している。

 けれど、きっと許してくる。あの大きな手で頭を撫でてくれて「おかえり。リタ」と言ってくれるはずだ。誰よりも優しい。父はそんな人だった。


「うん。大丈夫」


 リタは両手で口角を上げて笑った。


「早く会いたいな。お父さんに」


 父との再会。

 リタはそれを信じて疑いもしていなかった。

 ――そう。この時はまだ……。



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