第4話 勇者と精霊魔法師

 初めて出会った時、彼のことは神さまかと思った。

 精霊の神さまだ。

 それほどまでに彼に従う精霊たちの数は圧倒的だった。

 自分に従う精霊たちの数は九百ほど。それでも破格の数だった。


 だが、彼は全くレベルが違う。

 数えるのならば、百万や二百万どころの話ではなかった。

 もはや認識できない規模で彼の周りには精霊たちが集まっていた。


(……なにこれ……)


 彼女――ティア=ルナシスは、表情こそ変わらずとも絶句していた。


「ライド=ブルックスだ。魔法剣士をしている。よろしく」


 言って、彼――ライドは手を差し出してきた。


「……ティア。ティア=ルナシス。精霊魔法師」


 緊張を顔に出すことなく、ティアはライドと握手を交わした。

 ティアが十五歳の時のことだった。



 ――コツコツコツ。

 彼女はホテルの廊下を歩いていた。

 緑色の大きな三角帽子に、同色のローブ。手には大きな千年樹ミレニアの杖。うなじ辺りまで伸ばした薄く紫がかった白銀の髪はふわりとしており耳を隠している。

 まつ毛も白く、肌も雪のように白い。紫色の眼差しは淡々としていて無表情だった。体格は小柄で華奢。数百年も生きる森人とのハーフのため、十六か十七程度に見えるが、実年齢は二十八歳である。


 ――S級精霊魔法師・ティア=ルナシスだった。

 彼女は今、とある部屋に向かっていた。

 いつまで経っても食堂に来ない相棒を呼びに行っているのだ。

 目的の部屋に到着してノックをするが返事はない。

 やはり眠っているようだ。

 ティアはフロントで借りて来た合鍵を使ってドアを開けた。

 内装はティアが借りた部屋と同じ造りだった。

 広い部屋には机と花を飾った暖炉。壁には絵画。それと相棒の大剣が立てかけてある。奥にはバルコニーもあった。

 そして部屋の一角には、キングベッドが鎮座していた。

 そこには仰向けになって眠り込む人物がいた。

 ティアの相棒である。


「………」


 ティアは無言で嘆息した。

 相棒は黒いタンクトップに下着だけという無防備な姿で眠りこけていた。

 今も大きな双丘・・・・・が上下に動いている。


「………」


 自分の姿はあの頃からほとんど変わらない。

 対して、悠久の風シルフォルニアの中でも最も大きく容姿が変化したのは彼女・・だろう。


 ――S級勇者・レイ=ブレイザーである。

 実はレイは女性だったのだ。彼女との付き合いは長いが、本人があまりにガサツすぎてレイが成長期に入るまでパーティーの誰一人も気付かなかった事実である。道理でライドやダグ、ガラサスと一緒に入浴するのを嫌がる訳である。


 しかしながら、ティアは思う。

 見事に実ったものであると。身長はティアより少し高い程度なのに、今やソフィアよりも大きい。しかも仰向けに寝ていても崩れる様子もない。


「…………」


 ティアは千年樹ミレニアの杖を離した。杖は自身の能力でフワフワと浮く。

 両手が空いたティアは、ローブ越しに自身の胸を掴んでみた。

 むにゅむにゅむにゅ。

 そこには確かな感触がある。

 ローブに隠されているが人並みにはあるはずだ。きっと。

 森人の血のせいで成長は遅いがあの頃よりもあるはずだ。たぶん。

 しかし、レイに比べると大きく劣ってしまうと言わざるを得ない……。


(……ライドは……)


 ティアは微かに眉を動かした。


(……やっぱりもっと大きい方が良かったの?)


 そんなことを思う。

 これが別れることになった一因なのかとずっと悩んでいた。


(……考えても仕方がない)


 ティアは小さく嘆息して双丘から手を離した。

 浮遊していた杖を再び掴む。


(うん。それはもう直接聞けばいいことだから)


 そのためにも、今はレイを起こすことが先決だった。

 ティアは無言でレイに近づくと、


「――起きて」


 無造作にレイの腹部に杖を叩きつけた。

 レイは「ぐふっ!?」と息を吐くと、ベッドの上で跳ね上がった。


「な、なにっ!? 襲撃っ!?」


 すぐにベッドの上で臨戦態勢になった。

 が、目の前にティアがいることに気付いて、


「あれ? ティア?」


「ティアじゃない」


 ティアは杖でレイの頭を突いた。


「いつまで寝ているの? もう朝食の時間」


「え? そうだった?」


 レイは「ふわあ」と欠伸をすると、その場で胡坐をかいた。


「ごめん。ちょっと乗り気じゃなかったから寝坊しちゃった」


「……どうして乗り気じゃないの?」


 表情を変えずに聞いてくるティアにレイはムスッとした顔を向けた。

 サラリとしたボーイッシュな黒髪の前髪だけを指先で弄り、


「だってここまで来たらもうじきなんでしょ? ライドの住んでるホルターって街は」


「……汽車で三日ほどと聞いている」


 淡々と答えるティアに「むう」とレイは唸った。


「もうすぐそこなんだよ! なのにここで足止めなんて納得いかないよ!」


「……ギルマスの直接依頼じゃあ仕方がない」


 ティアが言う。

 ここ――カンザル王国の王都ラーシスにある冒険者ギルド。

 そこに立ち寄った時、いきなりギルドマスターに呼び止められたのだ。

 折角のS級冒険者の来訪。ここは是非とも王都にある冒険者養成校の前途ある生徒たちに頂点の実力を披露して欲しいと。

 要は一日講師をして欲しいと依頼されたのである。

 正直、レイだけでなくティアも乗り気ではなかった。

 しかし、ギルドマスターの直接依頼ではとても断れなかった。


「やだよ~」レイは倒れてバタバタと暴れた。


「すぐそこにライドがいるんだよ~。パスしようよォ、ティア~」


 そんなことを言うレイに、ティアはかぶりを振った。


「無理。もう引き受けたから」


「むう~」


「それにこれはいい期間かもしれない。ライドにどうやって悠久の風シルフォルニアに復帰してもらうかそろそろ考えないといけないから」


 と、ティアが言う。

 ――そう。彼女たちがここまで来たのは、メンバーが三人引退した今、昔の仲間であるライドにパーティーに復帰を願うためだった。


「はいっ! それならボクに秘策アリさ!」


 言って、レイが上半身を起こした。

 そしてこんなことを宣言する。


「ボクとライドが恋人になればいいんだ! そしたら復帰してくれるよ!」


「……え?」


 珍しくティアは驚いた顔をした。

 対し、レイは人差し指を唇に、大きな胸を片手で支えた。

 かつては少年だと思われたレイも、今やスタイル・美貌ともに紛れもない美女だ。その仕草は何とも色気に溢れていた。


「え? レイ? あなたはライドのことが好きだったの?」


「え? ティア? 知らなかったの?」


 レイは目を瞬かせた。


「ぶっちゃけ魔王領にいた頃からだよ。だからボク、いま凄くドキドキしてるんだよ。ライドがもうすぐそこにいるから」


 豊かな胸元に片手を当てて、頬を赤く染めつつそう呟くレイ。

 一方、ティアは内心で動揺している。


「……そう」


 まあ、それを表情には出さないが。


「アハハ。ティアってばいつも本ばかり読んでるからね。本の虫。あんまりそんな恋愛事には興味なさそうだもんね」


 そう指摘するレイに、ティアは何も答えられなかった。

 当時、ライドとの関係はパーティー内でも秘密にしていたが、その弊害とも言えるまさかの恋敵の出現だった。それも自分に持っていない武器も備えた強力な恋敵だ。


(……だけど)


 ティアには少しだけ安心する材料があった。


(……レイの精霊数はだいたい一万八千ぐらいだから……)


 近年になって確認されるようになった精霊数。

 しかし、ティアはずっと以前からその存在を知っていた。

 何故なら、ティアの瞳は『精霊眼』という森人でも稀な瞳であり、本来は不可視である精霊を視認することができるからだ。

 その瞳で見たところ、レイの精霊数は一万八千ほど。

 とんでもない数だが、それはレイの本来の精霊数ではない。

 出会った頃のレイの精霊数は二百程度だったのだ。

 それが増大しているのである。

 丁度、魔王領に転移した頃から。


 それは他のパーティーメンバーにも言えることだった。

 他のメンバーの精霊数は平均で一万五千ほどだった。レイが少し多いのはレイがに世話の焼ける弟のように思われていたからだろう。


 ――そう。彼……ライドに、だ。


(ライドは本当に精霊の神さまなのかも知れない)


 ティアはそう思う。

 これはティアの推測。ライドも自覚のないこと。

 恐らく、彼が心から大切な思う者には自然と精霊の加護が与えられるのだ。

 それも莫大な加護がだ。

 まあ、魔法が使えないダグやガラサスにはあまり恩恵はなかったが。


「…………」


 ティアは微かに頬を朱に染めた。

 ティアの今の精霊数。

 自身の精霊眼だけでなく、ギルドでも調べたその数は――二十万・・・超え・・

 ティアが史上最強の精霊魔法師と呼ばれる所以である。

 ただティアとして重要なのはその精霊数が昔から変化していないことだ。

 十一年も経った今でもだ。


 恐らく、レイたちの加護は友情と信頼から与えられたモノだ。

 対し、ティアの加護は男女の愛からのモノだろう。

 しかし、愛の加護が別れてからも変動しないことなどあるのだろうか。

 普通ならば少しは低減するモノではないのだろうか。


 だからティアは思う。

 どうしても期待してしまう。

 もしかすると、彼は今でも自分を愛してくれているのかも知れないと。


(………なんて)


 ティアは自身の推測に、少し気落ちした。


(なんて都合のいい考え)


 単純に一度与えた加護は消えないだけかも知れない。

 結局、別れることになったのだから、むしろその可能性の方が高かった。

 そんな風にティアが表情は変えずに静かにへこんでいると、


「えへへ。どうやってライドに甘えようかな? ライドの方が年上だし、初めての夜はきっとリードしてくれるよね?」


 レイが自分の肩を掴んでクネクネとしていた。


「えへへ。ライドは優しいから、ボク、きっと無茶くちゃ甘やかされるよねェ。昔、剣と魔法を教えてもらった時みたいに手取り足取りでさ。うん。そうやってボクってライド色に染められていくんだよねェ」


 自分の世界に入ってそう呟くレイに、ティアは無表情のままムカッとした。

 杖をレイの頬に押しつけて、


「五月蠅い。まだ寝てるの? 夢見がちな処女」


「いやいや」レイは杖をどかして笑った。


「ティアだって処女じゃん。本だけ愛する喪女じゃん」


「…………」


「え? 何で無言?」


「…………」


「ええっ!? もしかしてティアって処女じゃないの!?」


 唖然とした顔で詰め寄るレイを再び杖で押しのけて、


「……五月蠅い。私のことはいいから」


 ティアはこう告げる。


「とにかく朝食をとって出かけよう。ファラスシア魔法学校という所に」



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