第2話 輝かしき冒険の日々

「――返して! これリタの!」


 四歳になったリタはその絵本を力一杯引っ張った。


「やだ! 僕にも見せて!」


 そう言って、絵本の端を掴むのはリタと同じく四歳児だ。

 リタがお世話になっている宿屋の子供だった。

 兄弟ではないが、一緒に育った男の子である。

 相手が男の子であっても四歳ぐらいなら体力にさほど差はない。

 リタは男の子から絵本を取り返すと、そのまま外に走り出した。後ろから「リタちゃんのいじわる!」という男の子の声が聞こえるが、聞こえないふりをした。

 リタは外出ると、玄関口の小さな階段に座った。


 ぎゅうっと絵本を抱きしめる。

 この絵本はリタの宝物だった。

 今はお出かけ中のパパに買ってもらったモノだった。

 だから誰にも貸したくなかった。


「……パパ」


 リタは絵本を抱きしめたまま、唇を尖らせた。

 碧色の瞳には涙が滲んでくる。

 もうとても長い間、パパと会っていなかった。


「パパは……」ひっくとしゃっくりをする。「リタが嫌いになったの?」


 そんなことを考えてしまう。

 だから、いなくなっちゃった。

 賢いリタは成長するにつれてそんなことを考えるようになっていた。

 と、その時だった。

 不意に大きな影がリタに差し込んできたのだ。

 リタは顔を上げた。

 そこにいたのは背の高い男の人だった。


「……ああ~」


 男の人はポリポリと頬を掻いた。


「大きくなったな。オレのこと憶えているか? リタ」


 そう尋ねられて、リタはクシャクシャと顔を崩した。


「パパぁ!」


 そう叫ぶと絵本を落として両手を広げる。ぴょんぴょんと跳んだ。


「ただいま。リタ」


 男の人――ライドはリタを両腕で抱き上げた。


「パパぁ! パパぁ!」


「ごめんな。リタ。二年も待たせて」


 容赦なく涙と鼻水を擦りつけてくるリタが愛おしい。

 若すぎる父は、しばらく愛娘を抱きしめていた。

 すると、宿屋から一人の女性が現れた。


「おおっ! 久しぶりさね! ライド!」


 四歳ぐらいの男の子を抱えた宿屋の女将だった。

 リタを今日まで預かってくれた人でもある。


「お久しぶりです。女将さん」


 ライドはリタを抱えたまま、頭を垂れる。


「今日までリタのこと、本当にありがとうございました」


「いいってことさ」


 女将はニカっと笑った。


「目的は果たせたんだね」


「はい」ライドは頷く。「資金はどうにか稼げました」


「そうかい」女将は双眸を細める。


「顔つきも変わったね。男になったのが分かるよ。けど、嫁さんでも連れて帰ってくるんじゃないかって期待してたんだけど、そこは無理だったかい?」


「はは……そうですね」


 ライドは少しだけ悲しげに視線を伏せた。


「まあ、いいさ」


 女将はふっと笑った。


「積もる話はいっぱいある。他の連中も呼んでくるから宿に入んな」


「はい。ありがとうございます。女将さん」


 そう返して、リタを抱いてライドは宿の中へと入っていった。

 そうして月日は流れて――。




(……そろそろリタも卒業の時期か)


 西方大陸にあるマキータ国の王都キグナス。

 その宿屋の二階の一室で、ライドは窓の外を眺めていた。


 ライドは三十歳になっていた。

 顔つきは精悍。黒髪は後ろで縛っていた。

 もう青年とは呼べない歳かも知れないが、鍛錬を怠ったことのない長身の肉体は若々しさと力強さに満ちている。衣服は装甲も兼ねた厚手の黒いアーマーコート。冒険者の中でも魔法剣士がよく愛用する市販の装備だ。腰には長剣も吊るしていた。こちらは市販品ではない。若き日に手に入れた銘なき魔剣である。


 ライドは壁に背中を預けて両腕を組んだ。


(あれからもう十五年になるのか……)


 顔を上げて小さく息を吐く。

 リタを守ると誓ってから、ライドの日々は激変した。


 まずは学校の自主退学から始めた。

 とても子供を育てながら勉学など出来ないからだ。

 そもそも養父が亡くなったことで自分が食べていくのも問題だった。

 老神父さまはライドのために貯蓄してくれていたが、それにも限りがある。働かなければ食っていけない。しかし、アルバイトするにも赤ん坊を抱えては無理があった。

 リタは領主さまの孫に当たるのだが、アリスも懸念していた通り、孫とは認められず放逐、下手をすれば処分などという恐ろしい決定をされるかもしれない。

 せめてアリスの母が病で亡くなっていなければ、すんなり受け入れてくれる可能性もあったが、リタの命を天秤にかけるような真似はとても出来なかった。


 悩んだライドは、素直に大人たちに相談した。

 老神父さまや、ライドを子供の頃からよく見てくれていた信頼できる人たちだ。

 アリスの手紙とリタの存在を知り、彼らは大いに怒ってくれた。

 だが、リタを引き取ることは二の足を踏んでしまう。

 なにせ、ホルターはあまり裕福ではない街なのだ。子供一人抱えるとなると、その経済的な負担は凄まじい。彼らにも守るべき家族がいた。

 だから、彼らはライドが働く間、交代でリタの面倒を見てくれた。

 特に子供が生まれたばかりの宿屋の女将さんの協力は有り難かった。

 一年ほど経ち、リタもライドに懐いてくれるようになったが、その日暮らしのような今までの生活のままではダメだと思った。


 そこでライドは決意する。

 ――冒険者になると。


 二年間の期間限定の冒険者だ。

 ライドは、リタの生活費として老神父さまがライドのために残してくれたお金をすべて渡し、宿屋の女将さんを始めとする大人たちにリタを託した。そして起業できるだけの資金を二年で稼いでくると告げて、ライドは旅立った。


 ライドが十七歳の時だった。


(たった二年の冒険か……)


 懐かしむように、ライドは双眸を細めた。

 その時、窓の外から、パンパンっという音が響いてきた。

 窓の外を見やると、花火が上がっていた。


「そろそろ主役のパーティーの出番か?」


 今日行われるのは戦勝パレード。窓の外では国民が集まっていた。

 救国の勇者たちの登場も近いだろう。

 勇者たち――顔見知り・・・・たち・・がどんな顔で登場するのか少し楽しみだった。


「しかし、レイの時も随分と大変だったが、『勇者の試練クエスト』の大変さは誰であっても変わらないんだな」


 そんなことを呟きつつ、ライドは笑みを零した。


 あの頃の日々は今でもよく思い出す。

 初めてのパーティー。背中を預けた四人の仲間たち。

 戦士のダグ。神官のソフィア。精霊魔法師のティア。武闘家のガラサス。

 そしてライドは魔法剣士だった。


 悠久の風シルフォルニアと名付けたE級の新人パーティーだった。


 自身も冒険者になることでアリスの足跡も掴めるのではないかとも思ったが、結成から一ヶ月ほどでそれどころではなくなった。

 なにせ、このたった二年間の冒険は本当にとんでもないモノだったからだ。

 激動の始まりは、やはりあの少年だろう。

 ふとした事でライドを強敵ライバル認定して、やたらと突っかかって来るようになった自称人類最強の少年だ。驚くことにたった十一歳で冒険者の資格を得たらしい。

 従来のルールでは十五歳以下は資格を得られないのだが、本人曰く自分は勇者認定されていて特例らしい。確かにそれに見合うだけの実力があった。まあ、いずれにせよ、大剣を所かまわず振り回す彼の相手はとても面倒くさかったが。


 その少年――名をレイと言う――のせいで古代の転移装置の暴走に巻き込まれて人類未開発の地である魔王領の奥深くにまで跳んでしまったこともある。レイ自身も一緒に巻き込まれていた。後から聞いたが、試練クエストを引き寄せるのは勇者の体質らしい。


 レベルの違う魔獣が跋扈し、底知れない森に覆われた魔王領。

 誰も生きて戻ってきたことがないという魔王領の奥地から生還を果たしたのはライドたちが初めてとのことだった。

 ちなみに、その地にあった誰も知らない王国や、封じられた大邪神とやらとの死闘などは冒険者ギルドには報告していない。


 この半年程度の騒動だけで並みの冒険者の一生分ぐらいの濃密さだった。

 なにせ、一気にEからB級へと三階級も昇格するほどだ。

 試練クエストを引き寄せるという勇者の体質とは恐ろしいものである。


 恋をしたのもこの頃だった。

 同じパーティーだった精霊魔法師。ティア=ルナシスだ。

 ティアは人と森人エルフのハーフであり、あまり感情を見せない性格だった。

 とても儚げで妖精を思わせる二つ年下の少女である。

 幼馴染のアリスには恋慕まで抱いたことはなかったので初恋だった。


 ティアとは両想いになって結ばれた。

 小さく華奢なその体で、懸命にライドを受け止めてくれた。

 彼女の温もり、愛おしさは今でも腕に残っている。

 決して忘れることはない。


 けれど、結果、彼女とはライドのパーティー離脱と同時に別れることになった。

 どうしても、リタのことを打ち明けられなかったからだ。


(……もしも)


 ライドは思う。


(あの頃、オレがリタのことを打ち明けていたら、ティアはオレと一緒にホルターに来てくれただろうか?)


 今となっては詮なき話だった。

 人生とは選択の連続。

 歳を重ねたライドはそれをよく知っている。

 約束の二年が経ち、充分な資金を蓄えたライドはパーティーを離脱した。

 愛しい少女と、仲間たちとの別れは辛かったが、ライドの代わりにレイが加入することになった。魔王領から生還してからも何だかんだでレイとはずっと行動を共にしていたのだが、実はレイだけはまだ正式にパーティー登録していなかったことに気付いた時は全員で笑ってしまった。ティアも少しだけ笑ってくれたことを鮮明に憶えている。


 こうして、ライドはホルターに帰郷した。

 リタは四歳になっていた。

 嬉しいことにライドの顔を憶えてくれていたようだ。

 抱き上げると、『パパぁ!』と呼んでくれた。

 それからライドは故郷で起業した。蓄えた資金で小さな道具店を開いたのだ。


 ――『ブルックス道具店』である。


 ライドは苦労して築いたその店で精力的に働いた。

 もちろん、リタにも目一杯の愛情を注いだ。

 元々、豊かでもなく税率も厳しいホルターではとても盛況とは言えなかったが、リタを育てるには充分だった。


 かつての仲間たちとは今でも時折、手紙が来る。

 ライドが脱退時はA級だったパーティーも、その後、誰一人とて欠けることなくS級にまで昇りつめたそうだ。とても嬉しかった。ライドの仲間たちは世界でもたった十三組しかいないパーティーの一つになったのである。


 ただ、そのパーティーも今は解散したらしい。切っ掛けは戦士ダグと神官ソフィアの結婚だった。二人とも冒険者を引退し、とある王国の要職に就いたそうだ。

 武闘家ガラサスはパーティーの最年長者だった。今年で五十になるのでこの機に引退を決意した。故郷の大陸に戻り、そこで道場を開いて後進を育てたいとのことだ。


 勇者レイと精霊魔法師ティアだけはコンビで冒険を続けているらしい。

 もしかすると二人は恋人になったのかもしれない。

 それを考えると、ライドとしては複雑な気分だが。


(オレはなんとも器が小さいな)


 そんな風に思ってしまう。

 ともあれ、ライドはリタと共に平穏に暮らしていた。

 リタもよく店を手伝ってくれた。

 しかし、そんな日常はある日、唐突に崩れてしまった。

 リタが十二歳になった時。

 愛娘のその一言と共に。


「あのね、お父さん」


 リタは言う。


「あたし、冒険者になりたい。王都のファラスシア魔法学校に通いたいの」



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