【第5部更新中】エレメント=エンゲージ ―精霊王の寵姫たち―
雨宮ソウスケ
第1部
第1話 その日、少年は父親になった
ライド=ブルックスには幼馴染がいる。
アリス=ホルターという少女だ。
蒼い瞳に、腰まで伸ばした黄金の絹糸を思わせる髪。身内びいき――幼馴染は身内になるのだろうか?――を除いたとしても間違いなく美少女だった。
その上、彼女は領主さまの長女だった。
対するライドは黒髪黒眸の平凡な少年だった。教会に住む孤児でもある。
けれど、ライドは幼い頃から彼女とはよく一緒に行動していた。
正確には振り回されていたというべきだが。
なにせ、彼女はお転婆……もとい、とても活発な性格をしていたから。
『――いい? ライド?』
二歳年上のアリスは木剣を片手にこう言った。
『あなたは私の下僕なの! だから私が困ったら絶対に助けるの!』
『う、うん。分かった』
六歳の頃のライドはコクコクと頷いた。
『お嬢さまが困っていたら、きっと助けるよ』
『――お嬢さまじゃない!』
彼女はゴンと木剣でライドの頭を叩いた。
ライドは『いたいっ!』と頭を両手で抑えた。
『何度言ったら分かるの! 私のことは「アリス」って呼びなさい!』
『う、うん。分かったよ。アリスお嬢さま……』
『だから違う! 「アリス」よっ! お嬢さまは要らない!』
そう叫んで、彼女は再び木剣を振り下ろした。
アリスとはいつもこんな感じだった。
『――いい? 私はいずれ冒険者になるわ』
アリスは言う。
『お父さまに決められた未来なんて私はゴメンよ。ライド。その時はあなたも付いてきなさい。拒否は却下よ』
『……まあ、いいけど』
ライドは答える。ライドも冒険者という職業には興味があった。
危険な事は嫌だけど、この目で広い世界を見てみたいとは思っていた。
『――いい? ライド』
アリスはニカっと笑った。
『あなたはずっと私と一緒なの。私に付いてきなさい』
彼女はそう告げた。
それから木剣を地面に突き立てて、
『これはあなたの人生への前払いよ』
そう言って、ライドの両頬を抑えてチュっと唇を重ねた。
子供のキスだ。しかし、アリスの耳は真っ赤だった。
一方、まだ幼すぎたライドはキョトンとしていたが。
『こ、これで契約成立だから!』
アリスはそう言うと、木剣を引き抜いて走り出してしまった。
その場にはキョトンとしたままのライドだけが残された。
とても懐かしい記憶だった。
そして、
「………は?」
十五歳となったライドは固まっていた。
脳裏には、その時以外の記憶も次々と流れている。
――そう。二年前。十五歳になると同時に街を飛び出していってしまったと聞いていた幼馴染との日々の記憶だ。
「……ア、アリス……?」
乾いた声で、幼馴染の名を呟く。
手には一枚の手紙が握られていた。
前述もしたが、ライドは孤児である。
カンザル王国にある人口四万程度の小さな街・ホルター。
そこにある精霊さまたちを祭る教会の前に、ライドは赤ん坊の頃に捨てられていた。
小さな街だけあって教会は決して裕福とは呼べない。
しかし、老神父さまは幼いライドを養子にした。
ライドはスクスクと成長した。
優しい老牧師さまの教育もあって、とても真っ直ぐな人間へとなった。
そしてライドは特別な少年でもあった。
ずば抜けた魔法の才を持っていたのである。
――精霊に愛された子供。
そう呼ばれるほどに彼の魔法の才は逸脱していた。
アリスが彼を気に入っていた理由の一つである。
その才能を活かし、ライドは王都の魔法学校に通うことが出来た。
名をファラスシア魔法学校。魔獣退治や、世界各地にあるダンジョンに潜って魔石採掘を生業とする冒険者から、王宮魔法師まで輩出する全寮制の有名校だ。
ライドは十三歳の時、学費免除の特待生として入学することが許された。
優れた環境によって、ライドの才能はさらに開花する。
第一学年、第二学年共に首席で終えた。
しかし、そんなある日、訃報が届けられたのである。
養父である老神父が亡くなったとのことだった。
ファラスシア魔法学校は校則がとても厳しく、入学してから三年間、家族であっても連絡が禁じられている。例外はこういった訃報のみ。そのため、ライドは老神父が体調を崩し始めていたという事実を知ることも出来なかった。
ライドはホルターへの一時帰郷を認められた。
アリスが二年も前に街を飛び出したという話を聞いたのも今回の帰郷でだった。
そうして親しい街の人たちと共に、老神父さまを弔った。
遺品の整理は養子であるライドが行った。しかし、問題は教会だった。
老朽化もしていた教会には後任者がいない。
電報で王都の教会本部にも意向を尋ねたが、出向させる人材がいないため、ホルターの教会はそのまま取り潰すことになってしまった。
ライドにとっては実家。老神父さまとの思い出も詰まっている。
しかし、こればかりはどうしようもなかった。
ライドはせめて最後の思い出に浸ろうと無人の教会にやって来た。
そして、そこにあった異変に気付いたのである。
誰もいないはずの礼拝堂に何かの気配を感じたのだ。
(……空き巣か?)
ライドは警戒する。
自分で言っては何だが、腕には自信がある。
接近戦においても魔法戦においてもだ。
ライドは足音を消して気配の元に近づいていく。
並べられた長椅子。その最前列にまで行き、
(―――え?)
思わず我が目を疑った。
そして同時にそこに置かれていた一通の封筒にも気付いた。
恐る恐る……というより、完全に震えた指先で手紙を取った。
封筒の宛先はライドだった。
嫌な汗がブワッと噴き出してくる。
それでも読まない訳にはいかない。
なにせ、長椅子にはこの手紙と一緒にとんでもない存在まで置かれていたからだ。
出来れば幻覚であって欲しいと祈りつつも、ライドは手紙を開いた。
そこにはこう記されていた。
『親愛なるライド。
ごめんなさい。あなたよりも先にこの街を飛び出してしまったこと。
本当はあなたの卒業を待つ予定だった。
けど、仕方がなかったの。あのままだと私は三十歳も離れたラドクリフ伯爵の元に嫁がされるところだったから。
私は一足先に冒険者になったわ』
ここまでが手紙の前半だった。
ここまではいい。何となくアリスの状況は察していたからだ。
アリスがよく屋敷を抜け出してライドの元にいたのも、父親との確執が大きいからということは察していた。ホルター家に長男が生まれてからは、アリスの父親にとって彼女は政略結婚の道具に過ぎなくなってしまったことも。
だから、魔法の才はともかく、剣才においてはライドも凌ぐアリスがどんなに懇願してもファラスシア魔法学校に通うことは許してもらえなかった。
アリスは危機感と焦燥を抱いていたに違いない。
しかし、だからといって……。
『ライド。ごめんなさい。
私は今、楽しいの。冒険者としてとても充実しているの。私のパーティーはこないだⅮ級に昇格したわ。
愛する人も出来たのよ。私のパーティーのリーダーよ。とても頼りになるの。
家を出て初めて知ったわ。
私にはこういった我を通して強引なぐらい人が必要だったんだって。ライドみたいな優しい人も良かった。けど、優しさだけじゃダメだったの。
そんな彼が言ったの。今のパーティーには私が必要だって。もっと上に行くには一年近くも冒険から離れていた私が必要だって。私は彼の期待に応えたい。だから』
ギシリ、と。
ライドの拳が強く固められた。
『
こんなことはあなたにしか任せられない。もしお父さまに知られたら、その子は処分されてしまう可能性があるから。
だからお願い。守って。その子を守って。私たちのパーティーがもっともっと上に昇って行って、いつかS級になったら、きっと迎えに行くから。
お願い。ライド。どうかその子を守って。
その子の名前は――』
「……リタ」
手紙を強く掴んだまま、ライドはその存在に目をやった。
揺り籠の中でスヤスヤと眠る生後半年ほどの赤ん坊を。
ライドは恐る恐るその子を抱き上げた。
アリスと同じ金色の髪。恐らく名前からして女の子だ。
その時、赤ん坊――リタがパチリと目を開いた。
その瞳の色は碧だった。
アリスとは違う。まるで宝石のような瞳だった。
数秒ほどキョトンとしていたリタだったが、不意にくしゃりと表情を崩した。
そして大音量で鳴き始めた。
ライドは慌てて宥めるが、ほとんど効果はない。
ライドは非常に苛立った。
この子にではない。
アリスと、そのリーダーとかいう男に対してだ。
要はこの子が冒険の邪魔だということでライドに押し付けたのだ。
――自分たちの子を捨てたのである。
(……アリス)
アリスは我儘な少女だった。
けれど、こんな真似をする人間ではなかった。
たった二年の月日で変わってしまったのか……。
(いや、違う……)
きっと、アリスの手紙に嘘も悪意もない。
アリスには、この子を捨てたという実感はないのだ。
幼馴染に預けただけ。パーティーがもっと軌道に乗れば迎えに行く。
きっと、本気でそう考えている。
幼馴染だからこそ彼女の心情が分かる。
結局のところ、彼女はお嬢さまだったのだ。
まだ心が子供である少女が、子供を産んでしまったのである。
かくいうライドもまた子供だった。
けれど、彼は子供を見捨てられない子供だった。
「泣かないでくれ。リタ」
ライドは優しい声でリタに声をかけた。
すると、リタはピタっと泣き止んだ。
ライドは自分の顔辺りまで赤ん坊を持ち上げた。
「オレが君を守るから。きっと守るから」
そう宣言する。リタはキョトンとしていたが、不意に、ペタペタと紅葉のように小さな手でライドの頬を触った。
『こ、これで契約成立だから!』
奇しくもアリスの声が脳裏に蘇る。
彼女の娘であるリタはキャッキャッと笑った。
ライドとしては盛大な溜息をつきたいところだ。
けれど、絶対に見捨てられない。
かつて老神父さまが自分にそうしてくれたように。
「今日からオレが君の父親だ」
こうして。
この日。ライド=ブルックスは一児の父になったのであった。
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