第37話 邂逅編:ぎゃる
「え?」
だれかに呼ばれ気がして振り返る。
母親に頼まれた買い物を済ませて帰宅するところだった。
周りを見てもだれもいない。空耳か。疲れているのかもしれない、とアパートへ急ぐ。
コーポすみれ。築三十年超の老朽化したアパートには空室も多く、電気が灯っているのはわずか。二階へつづく錆びた階段の手前でそいつはスマホをいじっていた。おれの気配に気づいて目線を上げる。
「おそーい」
「……またおまえか、ぎゃるめ」
佐倉桃果。再婚(予定)相手の連れ子だ。
初めての会食には姿を見せず、このアパートの前で待ち伏せておれと母親に暴言を吐いたクソ女。なぜか最近こうして姿を見せるようになった。
「お腹空いた。夕飯なに?」
スーパーの袋を覗き込んでくる。
「お、鶏唐のいい匂い。これ商店街のお肉屋さんでしょ。いいよね、カロリーとか炭水化物とか関係ねぇって言わんばかりにゴロゴロしてて肉汁たっぷり、特製のタレが染みこんでてマジ神だと思う。あたしの大好物」
食レポしながらおれに続けて階段をのぼってくる。
「おまえさ、なんで毎回毎回飯食いに来てんだよ。家で食べろ、家で! 親父さんがお手伝いさん雇ってくれてるんだろ」
「あのおばさんの味付けきらい。塩分がどうたらってやたら薄いし、メインが魚や野菜ばっかりなんだもん。桃は肉食なの。はいこれ、材料費と水道光熱費」
財布からポンと五千円札を出す。
中学生がこんな大金を出せるなんて、一体いくら小遣いもらってるんだよ。しかし母子家庭の身としてはわずかな金でも嬉しいわけで……。
「今日は鶏のから揚げと長ネギの味噌汁と冷凍の白米をチンするだけ。以上だ。庶民的だろ。小遣いでレストランのフルコースでも食べに行け」
「ばかじゃない? この時間帯に中学生が入店できるわけないじゃん。いいから早く食べよ。お腹空いてるんだから」
「ったく」
こっちは再婚話でピリピリしているっていうのになにを考えてるんだ。
家の中に入り、早速夕食の支度にとりかかる。佐倉は「酢の物食べたーい」と言いながら手際よくキュウリを刻み、さっとゆでたモヤシを加えて即席で一品用意してしまう。おれよりよっぽど慣れている。
「「いただきます」」
再婚相手(予定)の連れ子とテーブルを囲むのも何度目だろう。慣れつつある自分が怖い。
「おまえ、こんなことしてていいのか?」
「なに」
「再婚に反対なんだろ? 子ども同士が仲良くしていたら親もその気になるじゃないか」
佐倉はポリポリとキュウリを咀嚼しながら
「え、なに、あんた仲良いと思ってんの?」
と言い放つ。
「思ってねぇよ! つうか思いたくもねぇ!」
「じゃあいいじゃん。桃はご飯食べられるし五十嵐は食費が浮く。ウィンウィン」
「ぐう」
言い返せないところが悔しい。
そのとき佐倉のスマホが鳴った。「はいはい」と奥の方へ走って行く。
「あ、マユマユ? どうしたの? 明日? ああ課題の提出日か。プリント机の中に入れっぱなしだ。いいよ持ってこなくて、朝イチで終わるし」
相手は友だちらしい。にしても声でけぇな。
「いま? うん、彼ピの家にいるんだ~」
「ぶーっ!!!!」
味噌汁噴きそうになった。
むせてゴホゴホしていると佐倉が戻ってきて顔をしかめる。
「きったな、なにしてんの」
「おまえのせいだろ! 友だちにウソついてんじゃねぇよ!」
「いいじゃん減るもんじゃないし」
「おれの自尊心とメンタルが著しく傷ついてんだよ!」
「意外と繊細なんだね」
おもむろに目を細めると、前髪を撫でた。
「じゃあ、『そういうこと』にしたらいいんじゃない?」
「え?」
隣まで歩いてくるといきなりブラウスのボタンを外しはじめた。
「ちょっ……なにして……」
「五十嵐は再婚に反対してるんでしょう。もしも連れ子同士が『そういう』関係になったら親としては心配で一緒になれないよね?」
鎖骨の下にちらっと覗く桃色の下着。とっさに目をそらしたけど佐倉はおれの腕を掴んで胸元に引き寄せた。味わったことのない感触。なんだこの柔らかさ。
「五十嵐って彼女いんの?」
「いるわけ……ない、ずっと部活浸けで」
女の子が好きだとか、かわいいとかも、分からなくて。
「桃が五十嵐の初めてになってあげていいよ。みっともないことも、恥ずかしいところも、全部さらしていいよ。だいじょうぶ、慣れてるから。親同士じゃなくて子ども同士がくっついたら……それもある意味、家族だよね?」
ふっ、と耳元に吐息を吹きかけられる。ぞわぞわと鳥肌が立った。
(やべぇ)
焦った拍子に机にぶつかり箸が転がり落ちた。いまがチャンス、とばかりに腕を振りほどいて佐倉を押しのける。
「ちょっとぉ」
不満げな声を無視してタッパーに食材を詰め込んだ。ふたの上に五千円札を乗せて佐倉に突きつける。
「これ、家で食べろ」
「五十嵐?」
「佐倉とはそういう関係になれない。再婚話をリセットするためなんて間違っていると思う。だから今日は帰ってくれ。もう二度とここに来ないでほしい。……頼むから」
「…………あっそ」
タッパーを奪い取ると脇目も振らず玄関を飛び出していく。途中まで送ろうか迷ったが、あっという間に見えなくなってしまった。廊下には五千円札が落ちている。
(もうぐちゃぐちゃだ。おれの心)
母親の再婚は受け入れがたい。でも母親が幸せになるなら快く受け入れてやりたいと願っている自分もいる。肯定と否定、ふたつの気持ちが同時に存在しておれの中で暴れ回っている。どうしたらいいのか分からない。
――――『橙輔さん、お願いですから起きてください!』
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