第19話 かわいいやつ

 休憩室の場所は知らないがSTAFF ONLYと書かれた扉を開けるとそれらしいスペースがあった。デスクとロッカー、それに休憩用のソファーが置いてある。


「怖かったよな。ここ座って落ち着けよ」


 血の気が引いた比奈をソファーに座らせる。


「なにか飲むか? それとも毛布とか体を暖められそうなもの……」


 なんとはなしに手を離そうとすると、


「やだっ」


 と強く掴んできた。


「ここにいて……おねがい……」


 カタカタと震えている。

 瞳にはたくさんの涙。よほどショックだったんだろう。


「分かった、気が済むまでこうしてる」


 手をつないだまま隣に座るとホッとしたように息を吐いた。


「巻き込んじゃってごめんね、橙輔」


「謝らなくていいよ。おれが勝手にしたことだから」


「ケガなかった?」


「全然。バドで鍛えたグリップ力が役立った」


「嬉しかったけど……でも、もし本気で殴られたらどうするつもりだったの」


「比奈が殴られるよりマシだ。案外、殴られたショックで記憶が戻ったかもしれないし」


「もう、そんな痛い思いしなくていいよ」


 小さく笑い声を上げる。


「あのね。橙輔、前もこうやって助けてくれたんだよ」


 肩にもたれかかって目を閉じる。長い睫毛が印象的だ。


「店長が不在のとき変な客に絡まれて困っていたら『店員さーん店員さーん』って呼んでくれて、どの料理がお勧め? コーヒーは苦いのか? って時間稼いでくれて、その人がつまんなくなって出ていくまで引き留めてくれた。で、結局注文したのはメロンソーダっていうオチ。……ふふ、思い出したら泣けてきちゃった」


 おかしそうに目尻を拭っている。

 青ざめていた顔に少しずつ血の気が戻っていくのが分かった。


「さっきだって、ひくっ、あたしを庇ってくれる大きな背中にどれだけホッとしたか……、っぐす、おかしいな泣くつもりなかったのに」


 恐怖で止まっていた感情がいまになって動き出したのか、ぽろぽろと涙をこぼした。


「どうしよ、まだ仕事あるのに……」


「良かったらティッシュ使うか?」


 差し出したポケットティッシュを見て比奈が大きな笑い声をあげた。


「まったくもう……ありがと!」




 それからしばらくの間、取り留めのない言葉を交わした。


 学校でのこと、桃果と歩いた真夏のアーケード、クリームあんみつの感想、記憶のかけら――……今日起きた出来事をたくさん話した。もしいつかまた記憶を失くしても比奈が覚えていてくれるように。


 比奈は驚いたり笑ったりちょっぴり妬いたりしながら聞いてくれた。


「なんだかいいね、こういうの。二人で記憶を共有しているみたいで」


「メモリーのバックアップってやつだな」


「なんだか機械的でヤダ。二人だけの秘密とかの方がいい」


「じゃあそれで」


「もう、テキトーだなぁ」


「……嫌いになったか?」


「ううん大好き!!……あ、つい誘導された」


 ぽろっとこぼしたあとで顔を赤くしている。

 くくく、まんまと引っかかった。


「見ないでよ恥ずかしい」


 胸元にぽすんと顔を押しつけてくる。


「あ~ぁ、花火大会で『もう一度惚れさせる』って大見得きったのに、なんでこうなっちゃうのかな」


「と言うと?」


「惚れさせるつもりが逆にあたしが惚れ直してるってこと。くやしいなぁ」


「ってことは惚れさせる計画はあきらめるのか?」


 ガバッと顔を上げた。


「諦めません! 絶対に!」


「そうこなくっちゃ」


 すっかり元の比奈だ。元気になったみたいで良かった。


「もうこんな時間。店長やお姉ちゃんが心配していると思うからそろそろ戻るね――……っとと!」


 立ち上がろうとしてバランスを崩した。



「比奈!」



 慌てて手を伸ばし――――気がつくとソファーに比奈を押し倒していた。


「だ、橙輔……」


 かすれた声。

 乱れた髪の毛。濡れた瞳。ほんのり赤く染まった顔。胸がドキドキする。


「もしかして襲いたくなっちゃった?」


「ば、バカ――そんなわけ」


「いいよ」


 おれの背中に両腕を回して抱き寄せる。


「あたしのこと、好きにしていいよ、だいすけ」


 切なげに名前を呼ぶ。艶めいた表情。冗談だろって笑う余裕もない。


「……ひな」


 なんだか無性に喉が渇く。


 キスしたいのか、おれ、比奈に。


 恋人として?


 それとも男として?


 おれは――。




 コンコンコン。


「おにい、そろそろ帰るよ」


 キャンセル。比奈もおれもまじまじと顔を見合わせ、同時に噴いた。


「なんとなく、そんな気がしてたんだよね」


「おれも」


 身体を起こそうとするとぐっと腕を引っ張られ、頬にチュッと生温かい感触が残った。


「スキあり」


 イタズラに成功した子どもみたいなドヤ顔。

 しばらく固まっていると呆れたように頬をつついてきた。


「彼氏なんだからこれくらい慣れてよね」


「な、慣れるわけないだろ!」


「じゃあ慣れるまで毎日キスする?」


「心臓がもたねぇよ」


「じょーだんです。本気でもいいけどね」


「ったく」


 からかわれているのに不思議と腹は立たなかった。


 思えば今日一日でいろんな比奈を見た。クラス内でのどこか物静かな様子と、店員としての一所懸命な姿と、おれの前で見せる笑顔。そのすべてが愛しいと思った。


 ああこれが「かわいい」の気持ちなのかな。



(なんだよ自分、すげぇ単純だな。女の子を好きになれないと思っていたのはただの思い込みで、好みの相手じゃなかっただけなんじゃないのか)



 すぐには答えがでない。でも悪くない気分だ。


「あれ、ねぇ、どうして黙ってるの? もしかして怒った? ごめんね」


 必死な表情で両手を合わせてくる。ころころと変わる表情。こんなところも比奈の魅力だ。


「怒ってねぇよ。かわいいなと思っただけ」


「へっ――か、かわいい!? あたしが!!??」


 一瞬で赤くなる。自分からはグイグイくるくせに押しには弱いんだな、おれの彼女。



 ほんと。

 かわいいやつ。




 第二章 おわり。


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