第17話 記憶のかけら

「橙輔? なんで泣いてるの?」


 比奈が不思議そうに近づいてくる。


「分かんねぇ」


「へんなの」


 笑いながらおれの目尻をぬぐう。やさしい手だ。


「こちら、お待たせしましたお飲み物です」


 きれいな緑色のメロンソーダをテーブルの上に並べていく。


 「頼んでいないけど?」と目線で訴えると「サービスです」とウインクを返してきた。こっちにもサクランボが乗っている。


「サンキュー」


「どういたしまして。……覚えてる? 橙輔よくこの席に座ってたんだよ。初めて来店したのは去年の八月、外の景色がよく見えるこの席でボーっとしてた。注文したのは一番安いウーロン茶。氷が溶けきるまで何時間も居座るから声を掛けたの」


「なんて?」


「もうすぐ閉店ですよって。ここ、夜は別の経営者さんのバーになるから一度閉めるんだ。明日も来ていいかって聞くから、なんであたしに聞くのって思いながら『来たいならどうぞお客様、ただしウーロン茶ひとつで何時間も粘らないでください。ファミレスじゃないんだから』って注意したの。次の日はちょっと高いメロンソーダを注文してきた。次の日も、次の日も、次の日も……。変なヤツって思ってたけど、いつの間にかドアベルが鳴るのを心待ちにしてる自分がいた」


 シュワシュワと弾けるメロンソーダを見つめながら嬉しそうに語る。


「お小遣いが入ったからってクリームあんみつ頼んだときはすっごく幸せそうな顔してた。見ているこっちが呆れちゃうくらい。でもあたしも大好きだったから気が合うと思って初めて名前訊いたんだ」


 名前……。さっきの光景と同じだ。

 あれはおれの妄想なんかじゃない。記憶の一部が蘇ったんだ。


「どうしたの橙輔、ボーっとしちゃって」


 きょとん、と首を傾げる比奈。そうだ、真っ先に伝えなくては。


「比奈、おれ思い出し――」


「比奈、すみませんが運ぶの手伝ってくださーい」


 キッチンの方で真結が手を振ってる。


「はぁい! 長話しちゃってごめんね。仕事戻るから」


 忙しそうに駆けていく。この調子ではゆっくり話すのは無理そうだ。今度にしよう。バイトの邪魔はしたくない。



(ここが、おれと比奈が初めて出逢った場所か)



 ぐるりと見回してもなんの感傷も湧かないけど、エプロン姿でてきぱきと動く比奈がいるだけで懐かしい感じがする。


「……やらしい目つき」


 桃果がアイスクリーム並みに冷たい目で見ている。


「ちがうって。……前のこと思い出せそうな気がしたんだよ」


「フーン。良かったじゃん」


「なんだその顔。もっと喜べよ」


「どうでもいい。桃にとっては変わらないもん。兄と妹。それ以上にはならないもん」


「……おまえはなにを言ってるんだ?」


「さぁね」



 ――がっしゃーん!!

 派手な音が鳴り響いた。



「申し訳ありません!」


 比奈が客らしき男に向かって頭を下げていた。足元にはグラスが転がり、床は水浸しだ。


(なんだ? 水こぼしたのか?)


 青ざめた横顔を見ているとこちらまで落ち着かない。


「おにい、あいつ、隠れて動画撮ってる」


 桃果の一言で男の手元に意識が向いた。ポケットに突っ込んだ手元からスマホの頭が覗いている。動画撮影中のランプがついていた。


 たまたま? いや、そんなハズないだろう。比奈を隠し撮りしているんだ。


「あいつ迷惑系の動画配信者かもしんないよ。最近悪質なのが流行ってるんだって。若くて可愛い店員にいちゃもんつけて困っている様子をアップするの」


 じゃあ水をこぼしたのもわざとなのか? 店内に人が少ないのをいいことに。んなことして何が楽しいんだよ。


「お客様、おけがはありませんか?」


 恐縮する比奈。男は盗撮中(仮)のスマホをぐっと傾ける。顔を撮るためだろうか。


「あー服がびしょびしょだ。どうすんだ。土下座して謝罪しろよ。代金もタダだろうな」


 なんだとコラ。

 横柄な態度にカッと体が熱くなる。


「おにい」


 立ち上がりかけところを桃果に制され「分かってる」と拳を握りしめた。


 熱くなるおれとは対照的に、比奈は毅然とした態度で男に相対している。


「もちろん謝罪します。ですが土下座はしません。代金については私では判断できませんので店長に確認します。いま別の店員が呼びに行っておりますので少々お待ちください」


 真結の姿が見えないと思ったら状況を瞬時にみきわめて店長を呼びに行っているらしい。さすがの連携プレーだ。


 男がチッ、と舌打ちした。


「この店の店員は謝罪もまともにできないのか。教育がなってねぇな!」


 ドンッと机を叩いた。

 あきらかな威圧だ。


 比奈は体をすくませる。だが目を反らしたり逃げたりしない。ちゃんと向き合っている。


「なんだァ、その目はよぉ」


 ドン!ドン!ドン!


 顔を真っ赤にして執拗に机を叩く。異常だ。声を荒げてますますヒートアップしていく。


「お前オレをバカにしてるんだろう。そうだろう、ふざけんなよ――!」


 腰を浮かせて大きく拳を振りかぶった。

 殴る気だ! 


「きゃっ」


 比奈が顔をかばう。




 ――――――刹那。




「やめてくだい。この店員さんは殴られるようなことをしましたか?」


 間一髪、おれの腕が男の拳を受け止めた。

 もう、我慢できなかった。

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