第16話 珈琲喫茶みつぼし

「ねぇおにい、おにいってばー!」


 放課後。

 商店街を歩くおれの後ろを桃果がだるそうについてくる。


「バスいっちゃったよ~。なんでこんなクソ暑い中歩くわけ?」


「なんとなく歩きたい気分なんだよ。商店街のアーケードは屋根付きだからそこまで暑くないだろ」


「意味わかんない。歩くのだるい~、のど乾いた~」


 三才児かな。


「きついならバスで帰っていいぞ」


「非常に不愉快ながらお義母さんに『橙輔のことお願いねっ』て言われてんの~!」


 ぶつぶつ言いながらついてくる。なんやかんや付き合いいいよな。


 比奈と真結はバイトがあると先に帰ってしまったので、いまは兄妹水入らずだ。



(なーんかモヤモヤするんだよな)



 今日、記憶喪失になって初めて登校した。


 様変わりしていた川辺や栗山には驚いたけど中身は変わっていなくて安心した。クラスの雰囲気や校内の様子もなんとなく分かった。おれはそれなりに高校生活を楽しんでいたようだ。


 気になるのは真結のナイショ話だ。



(雨の匂いと、やわらかいもの。魔女)



 モヤモヤする。頭の中にモザイクがかかっているみたいだ。


 じつは記憶喪失って「記憶を失くした」んじゃなくて「隠れている」だけなんじゃないか? このモヤモヤが晴れれば記憶を取り戻せるかもしれない。


 でも肝心のモヤモヤを取り払う方法が分からない。

 だからとりあえず歩いてみることにしたのだ。


 とは言え、アーケードという半屋内にいても汗がしたたり落ちてくる。容赦ない暑さと肌にまとわりつくような湿気。正直つらい。やっぱりバスで帰れば良かったか。


「桃果」


「んー」


「付き合わせてごめんな。お詫びになにか奢るから」


「なにかってなにさ」


 手のひらサイズの扇風機で風を浴びながら桃果が睨んでくる。


「なんだろ、うーん……あっ! クリームあんみつとか!」


「え!?」


 目を見開く。


「……おもいだしたの?」


「ん、あれ? あんみつ嫌いだったっけ?」


 桃果は好き嫌いがほとんどない、はずだ。


 母さんが作ったものは残さず食べるし、再婚前は義父さんが不在がちだったこともあって自分でも料理が作れる。

 退院した日は快気祝いを兼ねた手ごねハンバーグを振る舞ってくれたくらいだ(文句言いながら)。


「……ううん好き。好きだよクリームあんみつ。なんで知ってるの?」


「なんとなく。――お、向こうに喫茶店の看板がある。休憩がてら行ってみようぜ」


 アーケードを抜けた先に木彫りの看板が見えた。『珈琲喫茶みつぼし』と読める。これでも視力はいいのだ。


 桃果はちらっと看板を見てから前髪を撫でた。


「わかった、そこまで言うなら付き合ってあげる」



 ――カラララン。


 ドアベルが鳴り響く。


「いらっしゃいませぇ」

「いらっしゃいませ~」


 二つの声が重なっておれたちを迎える。


「橙輔!?」

「橙輔さん!?」


 またしても声が重なる。

 「え?」と思って瞬きすると見慣れた姿が……。


「比奈! 真結! なんでここに??」


 革張りのソファーにアンティーク調の家具、きらびやかなシャンデリア。まるで中世のヨーロッパにタイムスリップしたような空間の中に、可愛らしいフリルのエプロンを身につけた比奈と真結が並んでいる。


 後ろで桃果がぼそっとこぼした。


「記憶戻ってないのにココ見つけるなんて、やるじゃん、おにい」





「お水どうぞ」


 比奈が運んできた冷水をごくごくと飲み干す。ああ、生き返る。


「っぷはぁ、それにしてもここが二人のバイト先とは思わなかったな」


「覚えてないのに来られたの?」


「外歩いていたら無性にクリームあんみつが食べたくなって、たまたま」


「逆にすごいね」


 比奈は苦笑いを浮かべる。


「ここ親戚のおじさんがやってるお店。週に三、四日シフト入れてもらってて」


「どうりで。高校生が働くには随分大人っぽい店だと思ったんだ」


「橙輔もしょっちゅう来てたけどね」


「え? マジ?」


「水曜日が多かったかな。お姉ちゃんがシフト入らない曜日だからいつも一緒に来てたよ。カップルみたいだったからちょっと妬けたけどね」


 そうか、栗山が見たのはバイト先に向かうおれたちか。


「疲れたでしょ、いまクリームあんみつ用意してくるから待ってて。お水はセルフだから水差し使ってね」


「わかった」


 エプロンのリボンをふわふわと揺らしながら奥の方へ消えていく。


 浴衣、制服ときて次は袖口が膨らんだ可愛らしいワンピースにフリル付きのエプロン。比奈はどれもよく似合ってる。


「おにい、鼻の下伸びてる」


 向かいの桃果は不機嫌そうに水差しをとった。


「伸びてねぇよ」


「ふん、どうだか」


 自分のグラスになみなみと水を注ぎ、喉を鳴らしてぐびぐび飲み下す。

 なにを怒ってんだ、こいつ。


「お待たせしました、クリームあんみつです」


 運ばれてきたクリームあんみつは絶品だった。


 バニラに抹茶、チョコといったアイスクリームにあずきと白玉、たっぷりの生クリームがトッピングされ、真っ赤なさくらんぼがちょこんと添えられている。


「……うまい」


 濃厚なのにしつこくない。星の形にくり抜いた寒天がさっぱりしてて良いアクセントになってる。ありふれたクリームあんみつがこんなに美味いなんて……。




 ――ふと、おれの脳裏にある光景が浮かんできた。



『はじめて見た。クリームあんみつをそんなに美味しそうに食べる人』


 比奈の声。これはなんだ?


『あたしも大好き。ここでバイトしているのも賄いで食べられると思ったから。気が合うね。あたし比奈っていうの。卯月比奈。中三。あなたの名前は?』




 この記憶はもしかして――と戸惑っている間に蜃気楼のように消えてしまう。

 あまりにも一瞬で、理解する時間もなかった。


 気がつくと涙があふれている。


「……うわっ、なに。きも」


 桃果はドン引き。

 仕方ないだろ、勝手に出てきたんだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る