第15話 真結のナイショ話

 ――キンコン、と予鈴が鳴った。


「マユマユ、次は数学じゃなかった?」


「あ、そうでした。数学の先生はたくさんの教材を持ってこられるんです。クラス委員としてお手伝いしなければ」


「片づけやっとくよ」


「ありがとうございます桃ちゃんさん。ではお先に失礼します」


 慌ただしく立ち去る真結。

 弁当箱をしまっていた桃果がちらっとおれを見る。


「おにいも行きなよ。クラス委員でしょ」


「え? あ、そうなのか。悪い比奈、先にいく」


「……うん」


 自分の弁当箱を素早く片づけて真結のあとを追った。


 振り向くと比奈がさみしそうに手を振っている。後ろ髪を引かれるってこういうことか。




 ――――数分後。


(で、数学の先生はどこにいるんだ!?)


 真結を追いかけるつもりが校内で迷子になってしまった。教室に戻ろうにもまだ場所がよく分かってない。


 しばらくウロウロしていると「橙輔さん」と階段の上から呼ばれた。真結がぴょこっと顔を覗かせている。


「どうしたんです、迷子ですか?」


「恥ずかしながら。真結を手伝おうと思ったんだけど」


「ありがとうございます。いまそちらへ行きますね」


 しばらくすると大きな箱を抱えた真結がゆっくりと階段を降りてきた。箱が大きすぎて顔がほぼ隠れていて、足元が不安定だ。


「すごい量だな」


「はい。今日はとびきりたくさんの荷物を任されてしまって――きゃっ!」


 足を踏み外してバランスを崩した。




「真結!」




 とっさに腕を広げて衝撃とともに抱きとめる。


「……」

「……」


 はらはらと舞うプリントの中で、真結のびっくりしたような顔がすぐ間近に。


「あっ……悪い、すぐに降ろ――」


「っ――橙輔さん!」


 ぎゅっと抱きついてきた。



(ええっ!?)



 突然のことに体の力が抜けて……


「いでっ!」


 どしーん。

 派手に尻餅をついた。


「はわわ、すみません!」


 我に返った真結が慌てて後ずさりする。


「私、ホッとしたせいで思わず抱きついてしまいました。おケガはありませんか?」


「尻がめちゃくちゃ痛い……以外は大丈夫」


「お尻……ええと、保健室行きますか?」


「恥ずかしいからやめておく」


「ですが」


「いいよ、これでも鍛えてるから。真結がケガしなくて良かったって尻も喜んでる」


 ぺちぺち尻をたたくとようやく表情をゆるめた。


「ありがとうございます。お尻さんにはごめんなさいとお伝えください」


「どれどれ……おっけー許すってさ!」


「良かったです」


「おれなんかの尻より真結は? ケガないか?」


「ええ大丈夫です。橙輔さんのお陰ですね」



(さっきビックリしたな)



 あの瞬間おれに抱きついてきたのは本当に安心したから……なんだろうか。

 やけに必死な、泣きそうな顔をしていた気がする。腕も、震えてた。


 真結の頬に乱れた毛が張りついている。妙に色っぽい。


「? どうかしましたか?」


「いや、なんでもない。とりあえず散らばったプリント集めるか」


「はい。超特急ですね」


 手分けして散乱したプリントの回収にあたる。


 こつん。

 手元に夢中になっていたせいで軽く頭が当たった。


「ごめん!」


「石頭なので平気ですよ」


 互いに苦笑い。


 喋り方といい態度といい、真結は本当に穏やかだ。比奈とはまた違った魅力がある。


「そういえば花火大会では驚いたな。比奈そっくりの別人が現れるんだ、幻覚でも見ているのかと思った」


「桃ちゃんさんが提案してきたんです。驚かせてみようと。ちょっと意地悪でしたね」


「でもアドバイスもらったお陰で助かったよ。あの時ほんとに聖女さまみたいに見えたなぁ」


「……聖女ですか?」


「しまった」


 こんな恥ずかしいこと言うまいと思っていたのに、つい口からポロリと。


「いやだって、なんだか儚げで透明感があったから花火が見せた幻のような気がして。――ははっ、なに言ってるんだろうなおれ。桃果には内緒にしてくれよ。またバカにされる」


「……」


 プリントを拾おうと伸ばした手に、そっと真結の手が重なってきた。

 偶然と思いきや微動だにしない。かすかに震えてる。


「真結……?」


「私は聖女ではありませんよ。ずるくて、醜い、魔女なんです」


「魔女?」


 うつむいているせいで顔が見えない。


「……私、橙輔さんにお聞きしたかったことがあるんです」


「聞きたいこと?」


「はい。約一年分の記憶を丸々失くしたと伺いましたが、ほんの些細なこと、断片すらも思い出せないのでしょうか? 記憶は関連するものとつながっていて、そこから引き出されることがあると聞いたんです。匂いや、味覚、触れたものの感覚……知らないはずなのに知ってると思ったものはありませんか?」


 顔を上げ、青い瞳で覗き込んでくる。心の奥まで見透かされる気がした。


「そう、たとえば――……雨の匂いと、やわらかいもの、なんて」


 雨の匂いと、やわらかいもの。




 ――――分からない。


「ごめん、心当たりがない。それはなにか比奈に関わる記憶なのか?」


「いいえ私の……。忘れたいけれど忘れられない記憶なんです」


「真結の? それって――」



 ぴと。



 真結の人差し指がおれの唇をふさぐ。やわらかい指が。


「そこから先はすべて思い出したときにしてください……」


 口元は笑っているけど瞳が揺れている。哀しそうに。


「――さて、これでプリントは全部でしょうか。急いで教室へ戻りましょう」


 立ち上がった真結はいつもと変わらないように見えた。


「教材はおれが持つよ」


「ありがとうございます。いまの話はナイショですよ。比奈にも桃ちゃんさんにも秘密です。……忘れないでくださいね」


 肩を並べて歩き出した。

 真結は黙っている。おれも黙って足を動かす。



 雨の匂い、やわらかいもの、魔女。



 ぜんぜん分からない。


 でも、なぜか真結の顔を見ると胸がぎゅっと痛くなる。初めて会った花火大会のときから。


 この感情はなんだろう。

 おれの彼女は比奈のはずなのに。


 記憶を失くす前のおれと真結は一体どんな関係だったんだろう……?

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