第9話 聖女様

 混乱してきた。


「なんで早着替えしてるんだ? 髪型や浴衣まで違う。メイク直しじゃないのかよ」


 相手はキョトンと目を丸くする。


「私は比奈ではありませんよ?」


「他人のそら似!? いやまさか……でも……」


 世の中にこんな美少女が何人もいてたまるか。だが見た目以外は雰囲気といい喋り方といい比奈とは全然違う。


「すみません、人違いです。失礼しました」


 疑念は消えてないが取りあえずこの場を収めることにした。


「構いませんよ。お相手は彼女さんですか?」


 気を害した様子はなく、逆親しげに話しかけてくる。


「えっと……そうですね、一応、彼女みたいな感じです。今のところは」


「歯切れが悪いですね。ケンカでもしたのですか?」


「うわぁ図星。……ってなんで分かるんですか? 超能力!?」


「女の子の勘です。と言いたいところですが、言い争う声が聞こえたので予想してみました。アタリだったんですね。どうしてケンカを? 仲良さそうに見えたのに」


「ちょっとした事情があって別れを切り出したら怒られて……絶対に別れない。もう一回惚れさせてやる! って」


 興奮気味に叫んだあとで我に返った。ちょっと恥ずかしい。

 しかし相手はにこりと微笑む。聖女のように穏やかに。


「彼女さんが戻られるまで、よかったらお話、聞きましょうか?」





「――なるほど記憶喪失ですか。大変でしたね」


「まぁ本人はなんにも覚えてないんで。周りを心配させたのは申し訳ないですけど」


 分からん。おれはなんで初対面の相手に一部始終を説明しているんだろう。分からないけど、自分でも驚くほど喋っている。


「大きな事故だったんですよね? きっと彼女さんもすごく心配だったでしょうね。当たり前だったものを突然失うのはとても怖いことです」


「でもおれはこうして生還したわけだし……あっ」


 おれにとっては一年のタイムトラベルでも比奈にとっては連続した時間の続きだ。

 昨日まで好意を向けてきた相手が突然別れを切り出したら驚いて、傷つくだろう。



 パンパン、と立て続けに打ちあがる花火をぼんやりと見つめた。



 おれはきっとこの日を心待ちにしていたんだろうな。

 カレンダーに♪付きの予定を書き込むほど好きだった相手との花火デートだ。浮かれていたに違いない。


 比奈もこの日のためにバイトでお金を貯めて浴衣やメイク道具を用意したと言っていた。


 でもおれはなにも覚えてない。



 ――『男嫌いのあたしが……このあたしがよ、橙輔に会って初めて変わりたいと思ったの。人を好きになってみよう、背伸びしてみよう、メイクもおしゃれも勉強して、恥ずかしくない自分に……きれいになりたいって思った!』



「おれサイテーっすね」


 比奈の気持ちも知らず一方的に別れようとしていた。


「そんなことはありません。彼女さんもきっとそんなふうに思ってないですよ」


 暗闇の中にやさしい声が響く。


「おれはどうしたらいいんでしょうか」


「それはあなたの気持ち次第ですよ。記憶喪失によって過去を失ったあなたが同じ未来を選ぶのか、それとも別の道を探るのか。自分がどうしたいのかが大切です」


「おれがどうしたいのか……」


「ええ、選択肢はいくつもあるのですから、どうぞ後悔のないように。……さて、友人が待っているのでそろそろ行きますね」


 聖女さま(仮)が背中を向けた。

 人込みに紛れる直前、にこりと笑う。


「退院したばかりと聞いていましたがお元気そうで良かったです。またお会いしましょう、橙輔さん」


「なんで名前……」


「――橙輔!」


 後ろから腕を掴まれる。振り向くと比奈が立っていた。もちろん浴衣も髪型もそのままだ。


「あ、比奈」


「待たせてごめんね。どうしたの? お化けでも見たような顔して」


「いや……」


 すでに聖女さまの姿はない。

 花火が見せた幻覚だったのだろうか。


「橙輔? 具合悪いの?」


「いや、なんでもない。それよりさっきはごめん。突然変なこと言いだして」


「あ……うん、あたしもきつい態度とってごめんなさい。彼女あたしのこと覚えてないの、やっぱりショックで……。本当にごめんね。橙輔が悪いわけじゃないのに」


 青い瞳にじわりと涙が浮かんだ。


「二週間前、事故にあったって聞いたときは心臓止まるかと思って。もう二度と会えなかったどうしようって考えるだけで涙止まらなくて……。だから、さっき駅で会ったときもいろんな気持ちがガーッとこみ上げてきて泣いちゃったの。花火の席ではちゃんと恋人らしく甘えようと思っていたのに、そういうのしたことないから、きつい言い方しちゃって……。あたし、最低だ」


 肩を震わせて涙を流す彼女。


 そんなことねぇよ――と言うかわりに、おれは手を伸ばして比奈を抱き寄せていた。


「だいすけ……?」


 細い体を両腕でそっと抱きしめる。

 なにやってんだおれは、と思うが、手が勝手に動いたのだから仕方ない。


 抱き寄せられた比奈はおれの腕の中でじっとしている。

 鼻をすする音がした。


「あのね……どうしても言いたかったことがあるんだけど」


「ん」


「戻ってきてくれてありがとう。本当に良かった……。だいすきだよ橙輔」


 打ちあがった花火に照らされた笑顔と、涙できらきら輝く瞳。


 胸がどきんと震えた。


 ああ、この子が、卯月比奈。

 おれの彼女。




「……なぁ、本当におれでいいのか? 自分で言うけど、たぶんそんなにいい男じゃないぞ?」


 比奈は迷いなく頷く。


「もちろん。橙輔じゃなくちゃヤだ」


「はは、そうかよ……」


 だれのことも「かわいい」と思えなかった自分が初めて好きになった女の子、比奈。自分にどんな心境の変化があったのか、ちょっと興味が湧いてきた。


「いまに見てなさいよ、絶対に惚れさせてみせるんだから」


「まぁ、がんばれよ」


 フィナーレの花火が盛大に咲き誇る。一度ついた火は止められないのだ。

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