第8話 にがい過去

「メイク崩れちゃったから直してくる!」


 と走り去った比奈。


 おれは途方もない疲労感を覚えてビニールシートに座り込んでいた。


 別れを切り出したら逆に「惚れさせてやる」宣言をされてしまった。どうやら比奈の心に火をつけてしまったようだ。そのうえ衆人環視の中で不毛すぎる言い争いをしてしまった。恥ずかしい。


(なんでこんなことになっちゃったんだろ)


 ビニールシートの周りに生えている雑草をぶちぶちと抜きながら考える。



(おれなんかと付き合っても……。また傷つけるかも知れないのに)



 あれは――中学二年のとき。人生で初めて告白された。


 相手は件の黒髪ロングの子だ。

 たまたま同じ委員になった縁で、顔を合わせれば短く言葉を交わす仲になった。


 お互いに母子家庭であると打ち明けてからは話す時間がより長く、深くなった。


 その子曰く、モテるせいで見知らぬ男から声をかけられたり無理やり触られたりあらぬところを盗撮されたりストーカーされたり、いろいろ辛い思いをしているらしかった。


 モテるのも良いことばかりじゃないんだな、と同情して、何度か話を聞くうちに一緒に帰るようになった。

 テスト前には図書館で一緒に勉強したり、テスト明けには憂さ晴らしのカラオケに付き合ったり、新しい遊園地や新作の映画を観に行ったりするようになった。


 彼女はとにかく話を聞いてもらいたいようだった。

 友だちがいないこと、母親が不在がちなこと、話題になっている動画や映えスポット……話し相手を欲しがっているようだった。


 いま思えば、だれでも良かったわけじゃなくて、おれ目当てだったのかもしれない。


 誘われる日は決まって部活が休みの日で、ヒマを持て余していたこともあり基本的にはOKしていた。どうせ出かけるなら一人でも二人でも変わらない。男ひとりじゃ絶対に行かないようなキラキラスポットは、見ていて楽しかった。



 ある日の水族館からの帰り、電車の中で、


『五十嵐君、かわいい彼女、ほしくない?』


 と訊かれた。

 頬を朱に染めてどこか緊張している風だった。


『ほかの男の子と違ってガツガツしてないところが好き。つきあってよ』


『いや無理だけど。』


『もちろんOKよね、ありが────はっ?』


 即お断りすると穏やかだった彼女は豹変。

 「いままでのデートはなんだったの?」「デートだったのか? ごめん気づかなかった。言ってくれればよかったのに……」という不毛なやりとりのあと、ぶるぶると肩を震わせて「しんじらんない! このあたしを振るなんて!」とヒステリックに叫んだ。


 折しも土曜夕方の帰宅ラッシュ。混み合う電車の中で罵詈雑言の雨あられを浴びせかけてきた。


 周りの目も気にせずヒートアップする彼女は別人みたいだった。


 なにも言い返せないまま最寄り駅までの地獄のような時間を耐え抜き、彼女の制止を振り切って改札を抜けた。


 土砂降りの雨の中、右も左も分からないままひた走る。


 随分走り回ったあと、ようやく家にたどり着いた時は玄関先で崩れ落ちた。


 それから三日ほど寝込んで登校すると、おれはなぜかストーカー認定されていた。

 どうやらあの日、電車内での様子を遠くから見ていた生徒がいたらしく、おれがあまりにもしつこいので穏和な彼女がとうとうキレた!……ということになっていた。彼女が吹聴したわけではなかったことに少しだけ安堵したが、しばらくは肩身の狭い思いをしていた。


 二週間もすると噂は消え、いつもと変わらぬ日常が戻ってきた。


 ただひとつ変わったこと。

 彼女がおれを無視するようになったこと。


 廊下ですれ違っても華麗にスルー。メールも電話もブロック。必然性に会う機会は減っていき……三年生になる前に彼女が転校したことで完全に縁が切れた。なんでも東京に遊びに行ったとき芸能事務所にスカウトされたとか。


 惜しまれつつ彼女が旅立って。あんなに浮ついていたクラスメイトたちが噂話すらしなくなった頃、一通のメールが届いた。



『お元気ですか。貴方より何倍もカッコイイ彼氏ができました。いまとても幸せです。貴方のことを思い出して泣くこともありません。だからこそ言います。貴方は最低です。その気もないのに本気の恋をさせました。罪深い人です。どうせ貴方には分からないでしょうね。次の子は誤解させるようなことしないで、ちゃんと幸せにしてあげてください。さよなら。』



 おれの無神経な態度が彼女を傷つけたのだとおぼろげに理解した。


 相手の好きと自分の好きがイコールじゃないと結局どちらも苦しい。

 期待させたり失望させたり誤解したり、間違えたり、傷つける。だったらいっそのこと友だちのままでいた方がいい。


 比奈とも。


「やっぱり、もう一回よく話して……あっ」


 とんっ。

 周りを見ずに立ち上がったせいで近くを歩いていた人に当たってしまった。


「すみません、ケガないですか?」


「いえ大丈夫ですよ~。こちらこそぼんやり歩いていたので」


 顔を上げたのは白地にピンクの撫子が散りばめられた可愛らしい浴衣の女の子だった。ゆるくまとめた髪の毛は簪で、前髪は向日葵のピンで留めてある。


 パァン、と打ち上がった花火で顔が明るく映し出される。


「…………ひな?」


 その人の顔立ちは比奈そっくりだった。人目を惹く整った容姿も深みのある青い瞳も。なにもかも。

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