第7話 忘れていると思うけど、いまのキス、初めてじゃないからね!
「ん、あれ比奈?」
食べたゴミを片づけて戻ってくると姿がない。トイレにでも行ったのかと待っていると暗闇から飛び出してきた。
「橙輔、見てこれ!」
手にはLLサイズはあろう特大メロンソーダがひとつ、ストローが二本刺さっている。
うっ、なかなか難易度が高いやつだ。
「SNSで屋台出てるっていうから探したけどなかなか見つからなくて時間かかっ……きゃっ!」
「比奈!」
つんのめりそうになった体をとっさに抱きとめる。
間一髪、比奈もメロンソーダも無事だ。
「あ……ありが……と」
「ど、どういたしまして……」
うっすら上気した頬に、はらりと髪の毛がかかる。こんなん記憶がなくてもドキッとするだろ。
「ごめん、とっさに受け止めちまった。ごめんな」
体を離そうとすると逆に強く抱きしめられた。比奈はおれの胸の中に留まっている。
「……比奈、離すぞ?」
「もう。カップルなんだからもうちょっと抱きしめててもいいのに」
また不満そうな顔。
これで何回目だろう。
本当は比奈だってもっと楽しい時間を過ごしたかっただろうに、猛アピールのすえ無理やり恋人になったおれが記憶喪失になったせいで全然楽しませてやれてない。
比奈が気の毒だ。
こんなにかわいいのに。
おれなんかに振り回されて。
「なぁ、比奈」
「ん?」
「おれたち別れた方が良くないか?」
ドンッと花火が打ちあがり、夜空にオレンジの放物線が広がった。
しかし比奈は花火なんて見ようともせず、固まっている。
「さっきから考えてたんだ。おれキオソー状態だし、女の子と付き合うのは初めてだからたくさん迷惑かけると思う。楽しく……カップルらしく振る舞うこともできない。だから仕切り直しじゃないけど、別れて、もう一回やり直した方がいいと思う。お互いに」
自分で言いだしたくせに、ちょっと声が震えてる。できるだけ顔を見ないようにした。
「おれから告白したってことだから、比奈がフったことにしてほしい。本当にごめん」
辺りが静まり返る。
比奈もおれも花火すら沈黙している。
(あれ?……『分かった。ばいばい』って言われると思ったんだけど)
どう考えてもそれが最善だ。
比奈の迷惑も考えずに告白しつづけてOKをもらったおれは記憶喪失。別れる絶好のチャンスじゃないか。こんな美人なんだから引く手あまた。おれに拘る理由なんてひとつもない。
なのに、どうしてこんなに沈黙が長い?
もしかしておれ、比奈と付き合いたくてとんでもない条件を出したのかな?
たとえば恥ずかしい写真を隠し持っているとか。
重要な秘密を握っているとか。
……分からん!
思い出せない!
「だいすけ」
ようやく比奈が動いた。シートの上にメロンソーダを置いてから、ふぅ、か細く息を吐く。
「顔、上げて。あたしをみて」
落ち着いた声音だった。おそるおそる顎を上げて比奈に向き合う。
青く澄んだ瞳は無機質におれを映している。
「橙輔の気持ちは分かった。……言いたいことはそれで全部?」
「うん。ごめん」
「じゃあ目を閉じて中腰になって。橙輔、背が高いから手が届かない」
ああこれは積もりに積もった恨みをこめて「さいてー!」って殴られるパターンだな。痛いのはヤだけど自業自得だ。それで比奈の気が済むのならグーパン……いや平手打ちでお願いしたいけど。
「わかった」
覚悟を決めて中腰になった。目を閉じてその時を待つ。
「ほんとにごめん。おれの身勝手だから記憶が戻ってもよりを戻したいなんて言わない。なんなら誓約書とか――」
「ふざけないで!」
襟元を引っ張られたかと思うと、むにっと柔らかな感触に包まれた。
口の中に広がるメロンソーダの味。目と鼻の先に比奈の顔がある。
(……はっ!!??)
(キスしてる。……キスしてる!! なんで!!??)
「さっきの答えだけど、」
ゆっくり唇を離した比奈は肩を震わせながら、
「やだ」
と吐き捨てる。
敵を見るような目だ。殺意すら感じる。
「ひな……?」
「絶対にヤダ。絶対に別れない! やだ、やだ、やだ!!」
駄々っ子かよ。
「落ち着け比奈、みんな見てるぞ」
「それでもやだ! なんて言われてもイヤなものはイヤ!」
興奮して髪の毛が乱れているのもお構いなし。
「で、でもさ、こんなおれといても全然楽しくないだろ? なんかゴリ押しして無理やり付き合ってるみたいだし、ずっと不機嫌そうだから、おれのこと嫌っているんだと思って」
「大好きに決まってるでしょ! ばか!!」
「ふへっ!?」
大好き? マジ?
「この際だから言わせてもらうけど、あたし、男の人が苦手で、だれかと一緒になるくらいなら生涯独身で構わないって小学校の作文で書いたくらいなの。そんなあたしが、橙輔のせいで初めてバストアップに挑戦してみようって思ったの」
「なんで胸の話……?」
「黙って聞いて!」
体当たりしながら顔を押しつけてくる。彼女の不安と絶望をしめすように細い肩が小刻みに震えていた。
「男嫌いのあたしが……このあたしがよ、橙輔に会って初めて変わりたいと思ったの。人を好きになってみよう、背伸びしてみよう、メイクもおしゃれも勉強して、恥ずかしくない自分に……きれいになりたいって思った!――分かる? 橙輔のせいなんだよ、あたしがおかしくなったのは。こんなに声を張り上げて……うっ、恥ずかしげもなく駄々をこねるなんて、ひくっ、有り得なかったのに。それなのに自分は記憶喪失だから無かったことにしてくださいなんて都合のいいこと言わないで。ほんとふざけてる。すごく腹が立つ。許せない。仕返ししてやる――」
「し、仕返しって?」
「決まってるでしょ!」
キッと目尻を吊り上げた比奈はびしっと鼻先を示した。
「先に惚れたのは橙輔。だから今度はこっちの番。あたしが橙輔を振り向かせてみせる!」
ドドーン!
特大の花火が打ちあがった。
「……いまなんて?」
「だから! 橙輔があたしを好きになるの! そうすれば晴れて両想い。万事解決でしょ! 妙案だと思わない?」
いや、泣きべそかきながら親指立てられても。
「えと、あの……」
「もう決めたの。ぜったい、好きにさせてみせるんだから覚悟しなさい! あと忘れていると思うけど、いまのキス、初めてじゃないからね!」
「……ちょっと待て! ファーストキスじゃないって、じゃあ、何回目だよ!?」
「悔しかったらさっさと思い出せばいいじゃない!――うわぁああんっ!!」
ああもう、泣きたいのはこっちの方だよ……。
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