第6話 彼女(仮)とゆく花火大会

 花火の会場は商店街を抜けた河川敷だ。


 歩行者天国の狭い路地にどこからともなく人が合流してくる。さっきからチラチラと周りの視線を感じるのはそれだけ目立っている証だ。みんな比奈の「可愛さ」に目を奪われている。


「たこ焼きでしょ、焼きそばに綿あめ……あとクレープに鶏のから揚げも買いたいね!」


 それなのに本人は無自覚に屋台をあさっている。


「まだ買うのかよ、もう両手いっぱいだぞ。金無くなるんじゃね?」


「いいの。ずっと前から夢だったんだ、花火大会の屋台で好きなもの好きなだけ買うの。今日のために必死でバイトしたんだから全部使い切るつもり。そしたら今度は夏休みのために頑張らないと」



 ――夏休み、ねぇ。

 おれの記憶は中学三年の夏休みで停まっている。


 払っても払ってもまとわりつく害虫のようにムカつくほど暑い夏だった。


 バド部最後の大会をひかえて卒業後の進路に悩み、母親から再婚したい人がいると打ち明けられて悩み、他のちっちゃいことでも色々悩み、自分の中で正確に刻まれていた人生の針が急に狂ったような気がしていた。


 それがどうだ。いまの自分は一年後の未来に立っている。


 桃果や義父に初めて会ったときの戸惑いや佐倉姓になったときの複雑な気持ちも、高校入試の緊張感や合格発表の嬉しさも、なにも残ってない。その間の悩みや葛藤をぜんぶすっ飛ばしてここにいる。


 変な気分だ。得したような、損したような。


 医者が言うには、何かのきっかけで記憶が戻ることもあれば一生戻らない可能性もあるらしい。


 おれの時計は狂ったまま。

 一年分ずれた針はいつか元に戻るのだろうか。



「みてみて!」


 気がつくと比奈が大量のビニール袋を抱えて駆け寄ってきた。


「ポテチ? チョコレート? 食いものばっかだな」


「射的で大当たりを撃ち抜いたらお菓子セットだったの。花火観ながら食べようね」


「楽しそうだな」


「うん。橙輔が一緒だからとっても楽しい!……はっ」


 いきなり我に返ってぷいと顔を背ける。


「……いまの冗談だから」


 笑っているかと思えば怒って。

 怒っているかと思えば恥ずかしがって。


 変なヤツ。




 ひととおり屋台を買いあさってから、手ごろな場所を見つけ、比奈が用意してきたビニールシートに腰を下ろした。


 地面から伝わってくる熱がじんわりと温かい。


 比奈は早速たこ焼きを取り出した。

 青のりがたっぷり乗ったたこ焼きで、立ちのぼる湯気で鰹節が踊ってる。ごくり。うまそう。

 

「良かったら食べさせてあげようか?」


「あ、いや。比奈のバイト代で買ったもんだろ。自分で好きなだけ食べろよ」


「……そうじゃないんだけど」


「うん?」


「もういい。あたしと橙輔はさっき会ったばかりの他人だもんね」


 無言でパクパクとたこ焼きを頬張っていく。


「おい、口にソースついてる」


 差し出したティッシュを見て比奈は目を丸くした。


「橙輔ってほんとに記憶ないんだよね?」


「ないけど?」


「その割にはナチュラルに優しすぎ……いい、なんでもない。ありがと」


 口の周りを丁寧にふき取りながらも口角は上がったままだ。


「これお返し。美味しいよ」


 差し出されたのはクレープだ。たっぷりの生クリームの上に半分に切ったイチゴが乗っている。


 こちらもうまそう。


「じゃあ、せっかくだから貰おうかな」


「そうこなくっちゃ。あたしにも橙輔のバナナクレープちょうだい」


 互いのスプーンですくいとり、ほぼ同時に口に運ぶ。

 口の中いっぱい広がる甘み。うまい。


「むふ~、おいし❤」


 比奈が笑っているとなんだかおれも嬉しくなる。




 花火の打ち上げ時間まであとわずか。

 日が沈んで辺りが暗くなり、近くにいる比奈の顔もぼんやりとしか見えなくなる。


 なんだか妙な感じだ。


 初対面の彼女とブルーシートの上にふたりきりで花火を待っているなんて。


「もうすぐだね。わくわくする」


 前のめりになる比奈はどの角度から見ても美人だ。

 艶やかな浴衣を着て髪の毛をきれいにまとめていることもあるけど、どんな格好でもきっと人目を引くだろう。


 そんな彼女が、なんでおれの彼女に??


「聞いてもいいか?」


「うん?」


「交際のキッカケ。付き合っているってことはどちらかが告白したんだよな? おれと比奈、どっちが先に好きになったんだ?」


 比奈は一瞬びっくりしたような顔をすると、恥ずかしそうに視線を背けた。


「むぅ……記憶がないとそういうことも平気で聞いてくるんだね」


「覚えてないんだから仕方ないだろ。大事なことだから確認しておきたくて」


「まったくもう、一回しか言わないからね」


 こほん、と咳払いしておれの顔をじっと見つめてきた。


「高校に入学してすぐ橙輔から告白してきたの」


「おれから?」


「うん、すっごく場違いなところでね。返事を保留にしていたら、そのあと何度も何度も告白されたの。もううんざりするくらいにね」


 当時を思い出したのか、眉根を寄せて顔つきが険しくなる。


(マジか、おれから? 信じられねぇ)


 しかも相当迷惑をかけたようだ。申し訳ない(覚えてないけど)。


「で、約一ヶ月前に花火大会の話が出たとき『彼女』として一緒に行って欲しいと言われて、とうとう根負けしてOKしたわけ。断ったらまたしつこく告白されると思って」


「うわ、なんかごめん。記憶にないけど過去のおれがお騒がせしました」


 たまらず頭を下げると、まんざらでもなさそうに笑ってた。


「ほんとにね!…………でも、あたし、ほんとうは」




 ――そのときドンッと花火があがった。




「わぁっ! きれい!」


 比奈の頬からするっと涙がこぼれ落ちるのが見えた。

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