第4話 彼女!

「あっちぃ、めちゃくちゃ汗かいた」


 大急ぎで電車に飛び乗ったけど、冷房が効いた車内で少しだけ冷静さを取り戻した。

 これでも病み上がり。万が一のことを考えて断れば良かったのかもしれない。ああでも相手が分からないんだ、連絡先も。桃果は知っている様子だったから頼めば良かったかも。でももう後の祭りだ。


「…………かのじょ……ねぇ」


 ふと脳裏に浮かんだのは黒髪ロングストレートの女の子。中学のころ隣のクラスにいて、接点はなかったがやけに目立つ子だったから知っている。


 ぱっちり二重に整った顔立ち、世間一般でいうところの「可愛い女の子」だ。彼女が通りかかるとそれまで下ネタを口走っていた同級生たちが挙動不審になるのは日常茶飯事。聞けば盗撮画像をこっそりスマホの待ち受けにしていたり、夜ごとあらぬ妄想をしたり、なんなら告白してすでに玉砕した者もいるらしい。


 分かるぜ~って相づち打っていたけど、あんまり理解できなかった。


 正直、かわいい、とか、すき、とか、付き合うとか。よく分かんないんだよな。


 だから巡り巡って『あんなこと』を言われるなんて夢にも思わなかった。




 ――――『五十嵐君、かわいい彼女、ほしくない?』




 停車した駅で賑やかな一団が乗り込んできた。大学生だろうか、男女数人のグループだ。女子は華やかな浴衣、男子は浴衣や甚兵衛。屋台でなに食べる、花火はどこで見る、と盛り上がっている。


 おれの「彼女」も花火を心待ちにして今ごろ駅に向かっているんだろうか。

 桃果の言うところのかわいい子が。



(かわいいって、なんだ?)



 だれが?

 なにが?

 一体どんな子なんだ?


 そんな子がおれなんかの彼女でいいのか?――あれこれ悩んでいるうちに駅に着いた。




「うわぁ、すげぇ人込み」


 改札を出ると待ち合わせをしている感じの人間がたくさんいる。さぁて一体どの子が……いや、相手の顔知らんわ。


 ぐるっと一周してみたけどおれに反応する相手がいなかったので噴水の縁に腰かけて到着を待つことにした。なにかメッセージはないかとスマホも開くも音沙汰なし。相手の連絡先が分からないって不便だな。


「お?」


 青い浴衣の少女が街路樹の前に立っていた。さっきまではいなかった。お手洗いにでも行っていたのだろうか。


 凛と伸びたまっすぐな背筋に大胆な配色の花柄模様がよく似合っている。さながら旅館の若女将って感じだ。蜜色の髪の毛をきれいにまとめ、前髪は少し寄せてクローバーのピンで留めている。肌が白く、目鼻立ちが異様に整っていて、なんとなく外国の血が入っている気がする。



(すげぇ。こんな子がリアルにいるんだ)



 自分の中の「かわいい」は分からなくても世間一般の「可愛い」基準は分かっているつもりだ。この子は「可愛い」。ランキングがあるなら上から数えた方が早い。


 もしかしてこの子が待ち合わせ相手? いや、まさかな。


「……?」


 ふとこっちを見る。

 しばし見つめあう。奇妙な間があった。他人とは思えないほどの沈黙が。

 まさか、マジで、マジなのか?


「……もしかし、て?」


 ぽつり、と雨が滴った。ちがう、涙だ。

 大きな瞳からぼろぼろと涙をこぼしている。


「あの、だいじょうぶですか……?」


 思わず声をかけると彼女はぷいっと視線を背けて走り去ってしまった。


「え、あの、え」


 ぽつん、と取り残されるおれ。


(一体なんだったんだ……)


 理解が追いつかない。なんで逃げられた。

 不審者だと思われたのかな、ショック。


 一気にテンションが下がったが、とにかく待ち合わせ相手ではなさそうだ。それもそうだ。蒸発した父親に似て背が高くて運動がちょっとできる程度のおれに、あのランクの「可愛い」子がなびくはずがない。


(青い瞳の、すっごくきれいな子だったな。ちょっと緊張しちまった)


 強張った肩をほぐしながら朱色に染まる雲を見上げる。時刻は午後五時七分。気の早い星がちらちらと光っている。


 待ち合わせ相手(かのじょ)はまだ来ていない、はずだ。



 ――次の電車が到着したらしく改札から人があふれてくる。見やすい位置にいるつもりだけどおれに近づいてくる人影はない。


「ねぇ良かったら一緒に花火行かない?」

「屋台なんか奢るからさ」


「結構です」


 トイレから出てきたさっきの子に大学生っぽい男二人が話しかけている。待ち合わせって感じじゃない。ナンパだ。


「すみませんが友だちを待っているので」


「でも一時間前からここにいるじゃん」

「相手は彼氏? すっぽかされたんじゃないの?」


 なかなかにしつこい。浴衣の子も困惑していようだ。


 仕方ない。一肌脱ぐか。



「――ごめん、お待たせ!」


 ぐっと背筋を伸ばし、大股で三人に近づく。たったいま来たばかりのように。


 男二人がぎょっとしたようにおれを見た。やべ、って顔に書いてある。おれはあくまでも冷静に、友好的に振る舞う。


「あれ、この人たちは? 知り合い?」


「……知らない」


 事情を理解したのか彼女も首を横に振る。


「へぇ、そっか。で、おれの彼女になにか用ですか?」


 あくまで笑顔。でも声は低く威圧的に。

 大学生が相手でも背丈だけは負けない自信がある。数センチ上からじろっと睨みをきかせれば明らかな動揺が伝わってくる。


「ちっ、なんだよ」

「あんまり彼女待たせるんじゃねぇよ」


 ぶつぶつ文句を言いながら回れ右して去っていった。ふう、拳で分からせる展開にならなくて良かった。その場合あっけなく敗北しただろうけど。


「大人しく引き下がってくれて良かったな。……んじゃおれはこれで」


 離れようとすると「ちょっと待って」と腕を引かれた。眉根をきつく寄せてなにか言いたげな顔だ。


「どこにいくの?」


「え?」


「あとなにいまの棒演技。普通に話しかければいいのに、どうしてそんな他人行儀なの?」


「……んん?」


「それともなに? あたし以外に待ち合わせしている女の子がいるの?」


「あのぅ、もしかして」


「答えなさい、ダイスケ」


 ずいっと顔を近づけてくる。肌理(きめ)の整った肌が眩しい。


「なんでおれの名前……」


 名前を知ってる。

 もしかして、もしかしなくても。


「おれの彼女……さん、ですか?」


「ちょっ――なにその言い方!」


 たちまち目を見開いて怒り出した。


「せっかく来てあげたのに他人のフリするし、かと思えばナンパから助けてくれるし、しかも『彼女さん』ってなに! 意味分かんない!……なんなの『彼女』をこんなにからかって!――橙輔のばかっ!」


 ぽかぽかと胸を叩く『彼女』を前に、おれは苦笑いするしかなかった。

 夢じゃないよな、と自分の頬をつねりながら。

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