第3話 彼女…?

「……どこへ行けって?」


「そりゃあ――ああそっかキオソーでしたね」


「キオソーってなんだよ」


「記憶喪失の略。なんか言いにくいんだもん。丸々一年無かったことになってるなんて羨ましいなぁ、桃も忘れたーい。こんなヤツと戸籍の名前が並んでいるなんて。家族欄に佐倉橙輔って書かなくちゃいけないなんて。挙句の果てに同じ学校だなんて、もう最悪ぅ」


「ひでぇな、死にかけた人間に言うセリフかよ」


「傷ついた? でもこうやって軽口言えるんだから良かったじゃん。桃だって再婚した直後に兄貴が死んだら縁起悪いし~。それよりさっさと行きなよ、遅れたら怒られるよ?」


 肝心の部分をぼかして人を煽ってくる。だんだんイラついてきた。


「だ・か・ら、だれに怒られるんだよ。桃果も知ってる相手か?」


「……ほんと忘れてるんだね」


 まじまじとおれを見つめる。口にくわえたポッキーがぽきっと折れて細い唇の奥へと呑み込まれていく。


「今夜しぐれ川で花火があがるんだよ。花火大会の夜に待ち合わせする相手といったら彼女しかいないじゃん」


「…………へ?」


「かーのーじょ。恋人。ラバーズ。お分かり?」


 ポッキー二本を両手に持ち、かちかちと合わせてから同時に頬張る。「んまっ」と幸せそうに咀嚼している。




(……ちょっと待て)




 彼女。

 かのじょ。

 カノジョ。

 恋人。

 お付き合い!?


「えええええ! あだっ、足痺れ……」


 正座からいきなり立ち上がったせいで派手にすっ転んだ。


「ぷぷ。ださっ」


「う、うるさい! おれ、かのっ、じょ、かのじょっ、い、いたのか!?」


「どもりすぎ」


「だだだだって、おれ、あれだぞ」


「未経験なんでしょ。だと思った」


「ばばばかやろ、高校生に無茶言うな! じゃなくて、その、いままで、だれとも付き合ったこと、なな、ないんだよ」


「じゃあ人生初の彼女なんだ。ひゅーひゅー」


 すっげえ冷たい目で口笛吹かれても。


「てか彼女ってだれだよ! なんで桃果が知ってるんだ?」


「教えてあげてもいいけどぉ~」


「けど?」


「もう出ないと間に合わないよ。ほら」


「うわぁあああっ」


 半狂乱で服を引っ張り出す。ジーンズにシャツ、無難だけどダサすぎないもの。


「行ってきます!」


「ん。転ばないように気ぃつけて~」



 バタタタ……



 ……ダだだだだだだだ!



 ばん!!



「おかえりー」


「お帰りじゃねぇよ、つか待ち合わせ場所しらねぇし!!」


「御子柴(みこしば)駅前の噴水広場」


「おお、さすが桃果……って相手の顔も名前も知らないぞ! 教えてくれ!」


「あー……」


 天を仰ぐ。



「どっちかな」



 どっちってなにさ。


「ま、心配しなくても駅で待っている女の子の中で一番可愛いからすぐに分かるでしょ。目が合えば向こうから話しかけてくると思うし。感極まって抱きついてくるかも」


 ええ……ハードル上げるなよ……。こわいよ。


「とにかく駅前だな。行ってくる」


「ん」


「ああっと、部屋片づけておけよ。ジュースこぼすなよ、ごみはちゃんと分別して」


「うるさい。さっさと彼女んとこ行け」


「かのじょぉお……まじかよぉおお……」


 ばたばたと廊下を駆けていると母親が台所から顔を出した。


「あら橙輔、どこに行くの?」


「デー……いや花火大会。友だちと約束してて、忘れてて」


「でも昨日退院したばかりなのよ? 今回はお断りしたら?」


 母さんの心配はありがたいが、なにせ相手が分からない。


「へーきへーき、行ってきます!」


 スニーカーが汚れていないことを確認して玄関を飛び出した。



(おれに彼女? まじ!? うそだろ、うそだと言ってくれ……!!)

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