第3話 【奇霊】

与太

奇霊





 第三章【奇霊】




































 人間は神がつくったということは俺は信じられない。神がつくったものとしては人間は無常すぎ、不完全すぎる。しかし自然が生んだとしたら、あまりに傑作すぎるように思うのだ。


            武者小路実篤






















 「兄ちゃん!僕図書館行きたい!」


 「珍しいな。どうした」


 「押し花するの!!」


 「お。なんか違う目的だった」


 図書館の本で押し花をしてはいけないことを伝えると、林人はとてもがっかりしていた。


 沢山の本があるから、ありとあらゆる花を押し花に出来ると思っていたのだろう。


 やれやれと調は林人の頭を撫でる。


 「兄貴、俺図書館行ってくる」


 「押し花はしちゃダメだぞ」


 「は?」


 白波は1人図書館に向かった。


 どうしてかというと、ここに置いてある新聞を読むためだ。


 新聞を取るにしてもお金がかかってしまうため、こうして情報収集するためにも図書館に来て新聞を読むようにしているのだ。


 白波か星羅が行っている。


 以前林人や大地を連れて来たとき、林人はあの通り騒ぐし暴れるし走り回るしで大変だったのだ。


 大地は大地で静かなのだが他の子供にちょっかいを出されると無言で睨みつけてしまい、泣かせてしまったことがある。


 大地としては睨んだつもりはなかったのだが、林人のように目がルンルンランランリンリンとしていなく、どちらかというとギン、といった感じなため、勘違いされることが多いのだ。


 調は単純に行きたくないとのことだった。


 「事件事故は多いけど、明らかに人為的なものか」


 メールも来ていなかったし、しばらくはのんびり出来ると思っていた白波だったが、そのとき、小耳に挟む。


 「ねえ、聞いた?神隠しの話」


 「聞いた。やばくない?」


 「もう何人いなくなったんだっけ?」


 「5人じゃなかった?怖いんだけど」


 「早く帰ろ」


 そんな話をしてそそくさと帰っていった女性2人。


 「・・・・・・」








 「ていうことがあるみたい」


 「へー、大変だ」


 「本に喰われたんじゃね?」


 「怖い!もう図書館に行けない!」


 「どうせ連れて行ってもらえないよ」


 「もう5人いなくなってるみたいだよ。なんだっけ、あの、パン屋さん」


 「『パンだパン』?」


 「ああ、そうそう」


 「むしろよく忘れたな、この名前」


 「そこのパン屋さんの娘さんも図書館行ったっきり帰って来なくて行方不明届出してるって」


 「あそこのカレーパンめちゃ美味いんだよなぁ。なんでだ?時間が経っても皮がパリってするんだよ。まじですげぇ発明」


 「これのこと?」


 「おお!それそれ!なんで持ってんだよ」


 「いや、話聞くのに一応買ってきた」


 娘がいなくなったときの状況を聞くべく、白波はパン屋さんまで行ったようだ。


 買ってきた白波に感謝を述べることもなく、次々に兄弟たちは袋に入ったパンに手を伸ばして口に運んで行く。


 調と林人がカレーパンを取り合っている横で、大地がちゃっかりメロンパンとチョココロネを確保し、星羅はフルーツサンドを食していた。


 白波はそこに残っていたチーズパンに手を伸ばす。


 「いててて!!!分かったよ林人!じゃあ半分こしよう!半分こ!!!」


 どうしてもカレーパンが食べたったのか、林人は調の手ごと噛みついていたため、調は半分することで林人から自分の手を解放させた。


 なんとか落ち着いて食べ始めたころ、調が自分の膝の上でカレーパンをまだはむはむしている林人の頭に顎を乗せながら話す。


 「ま、暇だし調べてみっか」


 「誰がいく?」


 「俺と白波」


 「えー!!!ずるい!僕も押し花する!」


 「押し花はしねぇから留守番な」


 「なんで白波?」


 「いや、話持ってきた張本人だから」


 「僕ね、実はね、絵本好きなんだよ」


 「星羅、林人と大地頼むぞ」


 「・・・自信ないんだけど」


 「僕ね、実はね、兄ちゃんのズボンにカレーこぼしちゃったの」








 「ここか」


 「でもさ兄貴」


 「ん?」


 「神隠しが起こってるとして、それが夜だったらもう図書館しまってるよ?どうするの?」


 「あー、多分、夕方くらいだと思う。よく言うだろ。“逢魔が時”って」


 かろうじてまだ開いている図書館に入ると、調と白波は一旦図書館内を見て歩き回る。


 ふと、調と白波は同じ空間で足を止める。


 「・・・ここだな」


 「うん。ここだと思う」


 そこは、調にはもやもやと黒い影のようなものが視え、白波には恨み辛みなどの負の感情が視える場所。


 「どうする?あと一時間くらいで閉まるけど」


 「・・・とりあえず粘ってみっか」


 そこは古い書物などが置かれた部屋で、自分達以外に誰もいないことを確認してから、その部屋に置かれている椅子に腰かける。


 徐々に日が傾いてきて、窓から差し込む夕陽によって作られる影も形を変えて行く。


 そんな光景をぼーっと調は眺めていると、白波は部屋を歩き回ってそこにある本たちを開いていく。


 それから少しして、図書館の人が部屋を回ってきて閉館だから出て行くようにと言われてしまった。


 「あ、すみません。兄貴、もう帰・・・」


 ふと、調が座っていた椅子の方を見てみると、そこに調の姿は無かった。


 「え?」


 「どうかなさいましたか?」


 「あ、いえ・・・」


 白波は図書館を出ると、慌てて調に電話をかけてみる。


 しかし、調は一向に出ない。


 急いで家に帰ると、先程起こったことを星羅に話す。


 「え、どうすんのそれ」


 「だから相談してんだよ」


 「・・・俺達じゃ相手に出来ねえじゃん」


 「だから相談してんだよ」


 「・・・とりあえず、林人と大地寝かすか」


 林人と大地がこれを聞いたら大事になると、調は女のケツを追ってるとか話して、林人と大地を先に寝かせることにした。


 ふう、と息を吐くが、どうにもこうにも解決策が見つからない。


 2人は珍しく喧嘩をすることもなく、椅子に座り向かい合ってただじっとしていた。


 その間も、調から何か連絡があるわけでもなく、かといって図書館に戻って調べるわけにもいかず、額に手を置いてうなだれている。


 白波も星羅もどうしていいかわからずにいると、突如、玄関のドアがドンドン、と低く響いた。


 2人は思わず身構え、ごくりと唾を飲み込んだ。


 それからすぐ、がちゃがちゃ、と鍵を開けているような音が聞こえてきて、なんとも言えない息遣いまで耳に届く。


 トン、トン、とゆっくりと近づいてくる足音に、2人は一斉に飛びかかる。


 






 「兄貴!?」


 「え!?兄貴!?なんで?」


 「なんでじゃねえよ!兄ちゃんがやっとの思いで生還したってのになんだその態度は!」


 少し、いや、かなり髪が乱れた状態の調が、ぜーぜーはーはー言いながら椅子に座る。


 そして「水」とだけ言うと、白波がすぐにコップに水を汲んで調の前に置く。


 それをごくごくと一気に飲み干すと、またすぐにおかわりを要求してきたため、今度は星羅が持ってくる。


 「それで、兄貴何があったの?」


 「っぷはー!!」


 「兄貴、林人と大地が起きるから」


 テーブルに伏した調は、まるでテーブルと話しているかのようにしばらく顔をあげなかったのだが、突如として勢いよく顔をあげる。


 突然顔をあげたため、白波も星羅も思わずビクリとする。


 「椅子に座ってぼーっとしてたんだよ」


 「知ってる」


 「でよ、いきなり、突然、唐突に、藪から棒に、それは起こった」


 「・・・・・・兄貴のそういうところ、林人は似たんだろうな」


 「影に、吸い込まれたんだよ」


 「「は?」」


 調によると、あの後ぼーっとしていたら足に違和感を覚え、ふと足元を見てみると足が影にズブズブ入っていたとか。


 白波に声をかけようとしたときにはすでに目元まで沈み込んでおり、何も出来なかったそうだ。


 「で、なんで今になって帰って来れたの」


 「兄ちゃんの愛だ!」


 「うん、わかんない」


 「頑張ったんだよ!必死こいたの!なんか沼?みたいな感じで気持ち悪かったから、数珠握りしめてその辺適当にパンチしまくってた。そしたら吐き出された感じ。ペッて。失礼じゃね?人のことペッて吐き出したの。俺不味いの?」


 「まあ、美味しくはないんじゃないの」


 「・・・無事に帰って来れてよかったね」


 「本当だよ。帰って来れて良かったよ。兄ちゃんマジで死ぬかと思ったから。スタンドつけようかと思ったから」


 「なんですぐ連絡くれなかったの」


 「しょうがねぇじゃん。失くしたし。多分あの沼ん中だな」


 「どうする?止めておく?」


 心配した白波が調に聞けば、調は新しい水を自分で汲みながら否定する。


 「いや、次は大丈夫だ。神隠しの流れはわかったから」


 「そうだとしてもさ」


 「それに、あそこの霊、不思議な感じするんだよ。何か変な感じ」


 「それは、俺もそう思うけど」


 「よし。明日もう一回行くぞ」


 「白波と2人でいいの?俺も行く?」


 「2人で平気だ。お前まで行くなら林人と大地も連れて行かねえとだし」


 「ああ、そっか」


 それからすぐに調は風呂に入り、翌日のために寝た。


 朝起きると、例のごとくみんながのしかかっていたが、目覚ましが鳴ると次々に起き始める。


 「兄ちゃん、今日も押し花しに行くの?」


 「今日も押し花はしねえぞ。林人、今日は任務があるぞ」


 「何何!?」


 「今日はこの洗濯物を綺麗に折りたたんでタンスにしまうんだ。いいか?」


 「わかった!!」


 「大地も手伝うんだぞ」


 「うん。多分」


 「多分てのは聞かなかったことにしてやる。星羅、今日昼飯は好きにとっていいからな」


 「わかった。昨日のこともあるから気をつけて」








 図書館に行ってすぐに昨日の部屋へと向かうと、調は昨日自分が座っていた椅子をもとに戻す。


 「兄貴、ずっと待つの?」


 「んー、そうだな。気長に待つか」


 一時間が過ぎ、二時間が過ぎ、特に何か本を読むこともないでいる調の横で、白波は歴史の史実が書かれた少しボロボロの本を開く。


 それからまた一時間が過ぎ、さらに一時間が過ぎたころ、暇そうにしていた調が白波の方をじーっと見ていると「あ」と言った。


 白波が何事かと思いそちらを見ると、調が数珠を持った手で床を殴りつけているところだった。


 「くそ。逃げられた」


 「もう来たの?今日は早いんだ」


 「昨日俺のこと食い損ねたからかね?」


 そんなことを話していると、2人の前に大きな黒い影が現れる。


 とはいっても、それは調が視えている姿であって、白波は別の色で視えていた。


 「白波、お前にはどう映ってる?」


 「・・・嘆き、悲しみ、虚しさ、ってところかな。でもなんだろう。いつもと少し違う感じ」


 「・・・だろうな。こりゃ、人間の霊じゃなさそうだ」


 「え、どういうこと」


 調は数珠をぐ、ともう一度握り直すと、なんとも言えない笑みを浮かべる。


 調の笑みの意味が分からない白波は、ただ自分の目に映っている、そこにある感情にのみ集中する。


 「白波、覚えておけ」


 「何」


 「感情ってのは、生物以外にも存在するもんなんだよ」


 「生物以外・・・?」


 「見てろ」


 そう言うと、調は数珠を持った手で黒い影を思い切り殴りつける。


 通常の霊であれば、これで成仏してしまうのだが、そこにいる影は消えることなく留まっている。


 正確にいえば、影は小さくなってはいるのだが、消えることはなかった。


 それは白波にも分かっていて、漂っている負の感情が一向に消えないのだ。


 「これは“忘れられた物”の集合体だ」








 「“忘れられた物”?って、要するに、小さい頃の玩具とか記憶とかと同じ感じ?」


 「だな。ここにある本は特に。最近じゃ紙媒体の本自体読む奴は少ない。どんどん電子化されてる」


 「本を読むってことに変わりはないけど、媒体が違うってことか」


 「今や新聞だってほとんどネットだ。お前みたいに図書館まで来て新聞読む奴は稀だろうな。時代が変わっていくにつれ、読まれない本もまた増えていく。電子化されたとて、紙媒体の本は目に留まることもなく埃に塗れる」


 「・・・俺は紙媒体好きだけどな」


 「あれだろ、指挟んで読めるからだろ」


 「それもあるし、読んだ気がしないんだよ」


 「お前らしい。・・・で、どうすっかな、これ・・・」


 人の霊であれば簡単に成仏させられるのだが、それ以外の物が霊となって現れることなどそうそうない。


 余程の想いがあるのだろうが、それでもここに留まらせておくわけにはいかない。


 「取り込んだ人間はどうしたんだ?」


 『・・・・・・』


 「お前の中に入ったとき、人の血とか生臭い感じはしなかった。生きてるんだろ?」


 『・・・閉じ、こめた』


 「そこにいるだけなら良かったんだが、人を飲みこんじまうとそれはもう悪霊になっちまう。だから俺は、お前を殴って殴って殴りまくって、吸収された人間を救わないといけない」


 「兄貴・・・」


 『・・・・・・忘れた、みんな、忘れた、記録』


 まるで森の中で葉っぱが囁くように、あちこちから違う個体が話しているような感覚だ。


 そこにいるモヤの色は変化し続ける。


 自分たちのことが視える調と出会えたことで、色はほんの少しだけ鮮やかさを取り戻す。


 「忘れたのは俺達だ。ごめんな。でも、俺はお前たちに同情はしねぇぞ」


 『・・・・・・』


 「時代のせいにするなよ。俺だっていつか忘れられるんだ。誰だってそうだ。名を遺せた偉人じゃない限り、みんな忘れられる」


 「・・・・・・」


 悲しい、寂しい、孤独、悲壮、嘆き。


 「お前らは俺ら人間よりマシだよ。俺らは自分を知ってる奴がいなくなったら、一生思い出してもらえねえんだ。でも、お前らは違う。形として残っている限り、いつか、誰かしらに見つけてもらえる、思い出しもらえる可能性があるんだ。だろ?」


 『・・・形、燃える、不要、棄てる』


 「ここにいられるなら平気だ。そう簡単には棄てられねえし燃やされもしねぇ」


 『虚しい、寂しい、悲しい、寂しい』


 調が白波の方をちら、と見ると、白波は小さく頷く。


 「さあて、俺はこれからさっき言った通りお前らを成仏させるために殴る。人間を返してここに留まるか、最後まで返さねえで成仏させられるか。勝負といこうか」


 「兄貴、あんまり暴れると人来るから」


 「わーってるって」








 調が影を殴る度に、影は小さくなっていくが、それでもまだ十分すぎるほど大きなそれに、調は呼吸を整える。


 「兄貴がんばー」


 「お前何してんの。お兄ちゃんの手伝いするとかねぇの」


 「だって俺は噛み砕くくらいしか出来ないし。誰も来ないように見張らないといけないし」


 「お前さぁ、なんでも噛み砕けるなら感情も噛めねえの?」


 「・・・やってみる?」


 「まじ?吐かないでね」


 「吐いたら始末して」


 「お前を?」


 「兄貴だけど言わせて。ふざけんなよ」


 調の頑張りもあって小さくなっているそのモヤに近づくと、白波を警戒しているのか、モヤは壁の方で丸まる。


 影に消えてしまうかと思ったのだが、そうはさせまいと調が懐中電灯でカチカチと灯りを当てまくる。


 「いただきまーす」


 「お前の方が怖く見える」


 モヤを手に取ってみると、なんかガチャガチャのやつみたいに丸いものが出来て、それを白波は躊躇なく口に入れる。


 調でさえ、引いていた。


 多分、そこにいる本たちの霊も引いていた。


 え?なに?こいつ霊的なもの食えるの?嘘でしょ?なんで?どういうこと?という具合だ。


 「すげぇ。俺引いてるよ、今」


 「味しない。醤油とかつけたい」


 「怖い怖い怖い怖い。この子怖い。もういいよ。やっぱ俺が殴って成仏させた方がよさそう。なんか可哀想だから殴って逝かせるから」


 「殴るのも可哀想だけど」


 「絵面やべぇんだよ。お前何?腹平気なわけ?でも前に牡蠣にあたってたよな?」


 「今それ関係ないから」


 そんな会話を聞いていたからなのか、それとも先程の白波の行動なのか、とにかく、それからモヤは少し大人しくなった。


 そして少しすると、吸収した人間を1人、また1人とゆっくりと出していく。


 「すげ。白波の食が事件を解決に導いた」


 「え、俺?兄貴じゃなくて?」


 「怖い。お前のそういう天然なところが怖い」


 神隠しとされていた5人全員が出されると、調と白波は1人1人意識があるかを確認し、みな生きていることを確認すると、隣の部屋へと移した。


 ふう、と息を吐きながら椅子に座ると、調は数珠をポケットにしまう。


 ソレを見て、白波は「兄貴」と言うが、調は手をひらひらさせて肩を揺らして笑う。


 「大丈夫だ。もう、こいつは悪さをしねぇよ。だろ?」


 「・・・・・・」


 白波もそちらへ目を向ければ、調の言っている意味がよく分かった。


 小さく笑いため息を吐きながら、すでに色が変わっているそのモヤを見て、白波も椅子に腰かける。


 「兄貴、お人好しだな」


 「しょうがねぇだろ。俺は感情なんて視えねぇけど、“忘れられたくねえ”って気持ちは人間も同じだろ」


 「・・・・・・兄貴もそんなこと思うんだ」


 「何が」


 「忘れられたくないとか」


 「いや、俺は思わねえけど」


 「何それ。え?さっきの台詞は何だったわけ?それとも兄貴は人間じゃないっていうフラグ?」


 「違ェよ。ただ、俺なんか覚えてたってしょうがねえだろ。俺のこと覚えてる暇があんなら、もっとこう、別のさ、楽しいこととか嬉しいこととかそういうのを覚えてて欲しいわけ、兄ちゃんは」


 「・・・キャラ強烈なのにね」


 「そんな強烈じゃなくね?地味な方だと自負してんだが」


 「大丈夫だよ」


 「何が」


 いつの間にか近づいてきたモヤは、調の手元にすり寄ってきたかと思うと、徐々に姿を変えていく。


 それを指でコロコロと遊ぶようにして相手をしていると、さらに姿を変えていく。


 気付けば蝶のような形に変化しており、調の肩にとまる。


 「俺達は、楽しいことも嬉しいことも全部、兄貴と一緒に経験してるから」


 調はその白波の言葉に目をぱちくりとさせると、目を瞑って微笑み、再び目を開けると窓の外へと視線を移す。


 「だから、嫌でも思いだすよ、兄貴のこと」


 昨日よりまだ明るい空を仰いでいると、蝶はひらひらと窓際に飛んで行き羽根を休める。


 風も吹いていないのに、蝶の羽根がサラサラと砂のような、粉のような、とにかく細かくなって消えていく。


 その蝶にそっと触れるように下から持ちあげる仕草をしながら、調はこう言った。


 「ああ。忘れないよ、俺も」








 「これはどういう状況だ」


 「兄ちゃんおかえり!」


 「兄貴、おかえり。今日は無事に帰って来れたんだ」


 「ただいま。って言って終わらせるわけねぇだろうが。なんだこれは。なんでホットケーキミックスがまるで殺人現場のように飛び散ってるんだ?俺の目がおかしいのか?」


 「そうだよ。兄者の目がおかしい」


 「そうかそうか。俺の目に不備があったのか。ってんなわけあるかあああああ!!!!俺の目は節穴じゃねえからなあああ!!!」


 「兄貴上手いこと言ってるけど早くしないとこれなかなか取れないやつだよ」


 「分かってるわんなこと!!別に上手いこと言おうと思ったわけじゃねえから!兄ちゃん怒ってるからな!!!」


 「兄ちゃんのためにホットケーキ作りたかったんだもん!シャカシャカしてたらね、飛んだんだよ!ぴゃーって!!!」


 「やべ。感動して泣きそう。でもダメだ。これは悲惨すぎる。なんで林人にやらせたんだよ。目に見えてんだろ、星羅」


 「いや、だってどうしてもやるって言ってきかないから。大ちゃんにやらせてやれって言ったら大ちゃんはやりたくないって言うし。俺がやりたいから林くんは我慢しろなんて言えないじゃん」


 「とにかくお湯用意しよう。あとヘラ」


 さっさと片付ける準備をしている白波を横目に、林人はまたしてもシャカシャカしようとしたため、調が慌てて取りあげる。


 急にシャカシャカを奪われた林人は、目を満丸にして調を見上げるも、調は口笛を吹きながらシャカシャカ一式を片づけてしまう。


 プルプルとしている林人を見て、白波は「やばい」と思ったそうだが、放っておくことにした。


 案の定、林人は盛大に泣きだしてしまったのだが、調が適当に林人の口にチューパッドのアイスを半分に折った物を突っ込んだところ、大人しく食べていた。


 単純で助かったと思いながらも、ため息を吐きながら汚れた部屋を掃除していく。


 やっと綺麗になった頃には、すでに林人と大地は横になって寝てしまっていた。


 起こすのは可哀想だからと、白波と星羅がそれぞれ林人と大地を抱っこして寝床に連れていき、横に寝かせる。


 ふあああ、と自然と出てしまった白波の欠伸を見て、星羅が先に風呂に入ってさっさと寝ろと言ってきた。


 「兄貴―、風呂・・・」


 調に声をかけた白波だったが、すでにそこにはソファに横になって寝てしまっている調の姿があった。


 こちらもまた起こすのは可哀想かと、毛布を持ってきてかける。


 星羅の言葉に甘えて、今日は先に風呂に入ってさっさと寝ることにした。


 白波が寝てからすぐ後に星羅は風呂に入り、髪を乾かしていたのだが、なぜかその表情は拗ねたように見える。


 「何拗ねてんだよ」


 「別に・・・って兄貴起きてたの?」


 「んー、今起きた」


 白波と同じように大きな欠伸をしている調は、髪を丁寧に乾かしている星羅をじーっと見ている。


 その視線に気づいている星羅だが、あえて目を合わせない。


 ドライヤーを片づけていると、調は歯を磨いてきたようで、これで気持ち良く寝られる、といってまたソファに横になる。


 そんな調をまた拗ねた顔で見ていると、こちらを見ていないはずなのに調がクツクツと笑っていた。


 耐えきれなくなったのか、調は上半身を起こして星羅の方を向く。


 「何拗ねてんだっての、星羅」


 「別に拗ねてないし」


 「拗ねてんだろ。なんだ?今回置いていったからか?」


 「違うし」


 「じゃあなんだ?言ってみ?」


 「・・・・・・」


 普段は見せないような、徐に唇を尖らせたような顔に、調は面白くてたまらない様子だ。


 かと言って、どうしてそんなに星羅が拗ねているのかも分からない。


 ほんの少しの間の後、星羅が話し出す。


 「なんかさ、兄貴と白波の距離って、俺達他の兄弟と比べてちょっと近いよね」


 「は?なんだそれ?近い?何が?」


 「この前の幽霊屋敷の後とかもさ、2人で話ししてたでしょ」


 「起きてたのか?話しかけろよ」


 「だってそんな感じじゃなかったし。半分寝てたし」


 「俺は白波が一番歳近いからじゃねぇの?俺からすりゃ、白波は星羅が一番距離近ぇと思うけど」


 「・・・白波と近くなりたいわけじゃないし」


 「なんだなんだ。おら、こっちこい」


 「なんで」


 「林人と大地がいたらお前が俺に甘えられねえと思って」


 「もうそんな子供じゃないから」


 「いいから来いって」


 そう言うと、調は立っていた星羅の腕を強く引っ張って、林人たちを抱っこするようにして星羅を抱っこしようとするが、すでに170センチを超えている星羅を抱っこすることは出来なかったため、とりあえず隣に座らせる。


 頭をポンポンと叩きながら欠伸をしていると、星羅はより唇を尖らせる。


 「ほら、俺のことは子供扱いだ」


 「白波のことだってまだ子供だと思ってるぞ」


 「でも兄貴っていざって時はまず白波じゃん。俺じゃないから」


 「そりゃあいつが次男だからな」


 「不服」


 「ははは。まあ、白波は白波で次男としてお前ら下3人を守らねえとと思ってて、俺のこともフォローしなきゃと思ってるわけだし、悪いことじゃねぇだろ」


 「俺だって兄貴のこと一番にフォローしたいし」


 「もちろんお前のことだって頼りにしてるぞ」


 「・・・・・・」


 まだ拗ねてる星羅の横顔を見て、調はまた笑いそうになるのだが、ここで笑ってしまったら星羅が機嫌を損ねると思い耐える。


 なんとか耐えたあと、調は目を瞑りながら腕で頭を支えながら優しく話す。


 「それぞれ役目ってもんがあるからよ、焦るな。お前はお前が出来ることやってくれりゃいいんだ」 


 「・・・・・・」


 「俺にも白波にも出来ねえことを、星羅、お前がやるんだ。お前に出来ねえことは、俺とか白波がやる。俺たちは味方が4人もいるんだ。1人でなんでもやらなくていいんだ。林人見てみろ。自由にやってるだろ。でもあいつはあいつでてめぇに出来ることは全力でやってる。大地も同じだ。だから俺達はなんとかやってこれてる。それでいいんだ。それがなんだかんだ心地いいんだよ」


 「・・・・・・でも兄貴は林くんと大ちゃんには甘いよ」


 「そうか?お前らにも甘いと思うぞ」


 「・・・わかった。まあ、白波とはもとからタイプも違うし、戦闘なら俺の方が上だし」


 「はいはい、そうだな」


 宥めるようにずっと頭を撫でていれば、そのうち気持ち良くなってきたのか、星羅がウトウトし始めたため、調は寝床に行くように言ったのだが、結局そのまま寝てしまった。


 寝床まで運ぶにはすでに大きくなっている星羅に、調はかかっている毛布を半分、星羅にかけて自分も寝るのだ。








 翌日、起きてきた白波が布団を強引に引きはがして星羅を起こしたのは、言うまでもない。


 「なんで兄貴と寝てるんだよ。兄貴は疲れてるんだから寄りかかって寝たりするな。そのくらい考えりゃわかるだろ」


 「なんだよ、俺が兄貴と寝たのがそんなに羨ましいの?それなら兄貴に頼めば?今度は俺が一緒に寝たいって言えば?」


 「そういうこと言ってんじゃねえ。そもそもお前はいつも兄貴の方に寄って寝すぎなんだよ。だから朝兄貴の身体に乗ってんだよ。兄貴うなされてるんだからな」


 「それは白波だって同じだろ。兄貴のこと思ってんならもっと離れて寝ろよ」


 朝からギャーギャーと騒いでいる白波と星羅の横では、起きてそうそう調がいないことに気付いた林人と大地がソファに来て調の上にいつもの如く乗って寝ていた。


 調はそれからすぐに起きたのだが、白波と星羅が喧嘩していたため、さらには林人と大地が人に乗ったまままだ寝ていたため、腕で頭を支えながら、喧嘩を見守っていた。


 「だから、兄貴の身体に乗ってるから」


 「お前だって兄貴に体重かけて」








 「いつもの朝だ」















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