第3話 而二不二

こもれび

而二不二




 第三章【而二不二】








































 時には、問いが複雑になっているだけで、答えはごくシンプルなことだったりします


         ドクタースース
























 「・・・・・・」


 男は、昼夜問わず働くとある男を眺めていた。


 すると、隣にもう1人男が現れ、牽制するように和傘を男の顔の横に置く。


 「何の用かな?まだ何もしてないけど」


 「狙ってんのか」


 「人間である以上、必ず弱さはある。それを見つけようかなーと思ってね」


 男は頬杖をつきながら、口元近くにある小指を舐めとる。


 それから、自分の顔横にある和傘をちらっと見て、反対の手で顔から遠ざける。


 ゆっくりと立ち上がったかと思うと、自分の斜め後ろ辺りに立っているもう1人の男に対して言った。


 「烏兎くん、よーく見ておくんだよ。人間というものは、脆く儚く、そして尊い。だからこそ僕は人間が大好きなんだ。蟻地獄に落ちていく蟻が必死にもがいてそこから逃れようとしているようにね。人間も同じさ」


 「お前詩人でも目指してるのか」


 「なれるかな?第一作は“人類滅亡”とかにしようかな」


 「前言撤回だ。なれねぇ。てかなるな」


 「烏兎くん。君がどれだけ邪魔してこようと構わないけど」


 「構わねえのか。随分文句言われた気がするけど構ってなかったのか」


 「本人の強い意志がある場合、烏兎くんにも止める権利はない。それは分かってるよね?君にそこまでの力はない」


 「・・・・・・」


 「僕は悪魔より優しい心算だよ?」


 「・・・悪魔より厄介だと言われてるのはどこのどいつだ」


 「そうだっけ?自分に都合の悪いことは忘れるようにしてるんだ。その方が自分のためだからね」


 「人間に固執するな」


 「君こそ、僕にばかり構っていると、他で足元すくわれるよ?」


 「俺は」


 そこまで言うと、烏夜はうーんと伸びを始め、ちゃんと縛りきれてない髪の毛をさらっと靡かせる。


 髪の毛が少し絡まったのか、烏夜は一旦髪を解くと、結ぶ気があるのかないのか、また緩く髪を結う。


 「最後に笑うのは僕か、それとも君か」


 「そこまでして人間を喰いたいのか」


 「食いたいというのは正確な表現じゃないな」


 「じゃあなんだ」


 「そうだなぁ・・・。“知りたい”んだよ、人間のことを」


 「知りたい?」


 烏夜は烏兎の方を見るとにっこりと微笑み、隣のビルからまた隣のビルへと、ぴょんぴょんと身軽に飛んで行く。


 烏兎は、烏夜が見ていた人物へと視線を送ると、またすぐにどこかへと去っていく。








 「いらっしゃいませー」


 「お、今日も働いてるねぇ。夏目くんは労働者の鏡だねぇ」


 「働かざる者食うべからずですから。働けるうちはしっかり働かないと」


 「そうかい。じゃあいつもの貰おうかな」


 「セブンスターですね。煙草も高いですけど奥さん何も言わないんですか?」


 「ちゃんと小遣いの中からやりくりしてるからね。それにしても高いな」


 「そろそろ止めた方が身体にもいいんじゃないですか?」


 「博打も酒もやらないんだ。これくらい許してほしいもんだね」


 常連客とにこやかに会話をして、納品された商品を並べて。


 我慢はしていてもどうしても出てしまう欠伸は見られないようにして。


 「夏目くん、休憩入っていいよ」


 「はーい」


 特に具材など入っていない、ご飯の残りで作ったおにぎりを頬張りながら、夏目はスーパーのチラシを確認する。


 「たまには寿司とか食いてぇなぁ・・・」


 以前、一度だけ広太の誕生日のときに寿司を注文したことがあるのだが、それが原因かはわからないが翔太がお腹を壊したのだ。


 それ以来、生魚はあまり食べていない。


 牛乳でお腹が緩くなっただけではないかと夏目は思っているのだが、翔太も警戒しているため食べないようにしている。


 「夏場ならそうめんでやり過ごせるんだけどなぁ。ほぼ白菜の鍋にでもするかな」


 さすがに男兄弟はよく食べるため、肉ばかりだとお金がかかってしまう。


 夏目とて肉は好きだが、そう簡単に、頻繁に口に出来るものではないのだ。


 休憩時間のほとんどをご飯の計画で終えると、夏目は再び仕事に戻る。


 仕事が終わったかと思うと、夏目はその足でまた別の職場へと向かい、挨拶をしながら更衣室に向かうとぱぱっと着替える。


 スマホを取り出すと、広太に優太と翔太のことを頼むよう連絡を入れる。


 「おはようございます。お願いします」


 「夏目くんおはよう」


 いつものように仕事をこなしてる間、腕時計をちらっと確認するとすでに10時を回っている。


 「(あと3時間か)」


 鼻をすするフリをしながらまた小さく欠伸をすると、ランプで呼ばれたため対応に入る。


 それから閉店にかけてバタバタとした時間を過ごすと、閉店後の片づけ等を行い、時間になるとみんな事務所に向かう。


 「今日もお疲れ様でした」


 「お疲れ様でしたー」


 着替えてスマホも確認することなく速効で家に帰っているとき、夏目の前に男が現れる。


 その男のことはほとんど知らないが、自分のような人間をたぶらかしているということだけは分かっている。


 夏目ににっこりと微笑みながら、男はぺろりと唇を舐める。








 「確か烏夜だっけ?何か用か?俺明日もバイトあっから早く帰って寝たいんだけど」


 「知ってるよ」


 「知ってんのかよ。ならなんで俺の前に現れたんだよ。俺は何言われたってお前の口車には乗らねえぞ」


 「そうかな?」


 「あ?」


 「人生は何が起こるかわからないよ?」


 「そんなこと分かってるよ」


 「確認したら?」


 「何を?」


 男、烏夜は他の時のような言葉を夏目にかけるわけでもなく、ただただ楽しそうに笑っていた。


 それが逆に不気味でもあったのだが、夏目は追ってくるわけでもつきまとってくるわけでもない烏夜を横目に、早足で家に向かって帰る。


 途中、そういえばと思いスマホを確認してみると、何件か着信があった。


 なんだろうとかけ直してみる。


 「あのすみません、お電話いただいていたようなんですが」


 『夏目広太くんのご家族ですか?』


 「はい、兄です」


 『広太くん、事故に遭って今手術中なんです』


 「え」


 頭が真っ白になるとはこのことだろう。


 何があってもある程度のことは冷静に判断出来ると思っていた夏目だが、どうやらそうではないらしい。


 病院の場所を聞いて真っ先に向かおうとした夏目だったが、優太と翔太のことも気になったため、一度家に帰ってみる。


 だが2人はすでに寝ているようで、夏目はまたすぐに病院へと向かう。


 こんなに全速力で走ったのは何歳ぶりだろうと思っていると、気付かぬうちに病院に到着していた。


 「あのッ、夏目広太の兄ですが・・・ッ」


 「こちらです。どうぞ」


 受付で名前を言うと、たまたま通りかかった医師が案内してくれた。


 まだ手術中のようで、看護士たちがバタバタと輸血なのか移植なのか、何かなど分からないがとにかく慌ただしくしていた。


 「ひき逃げらしいです。ジョギングをしていた方が目撃していて、今警察が捜査を進めているようです」


 「だ、大丈夫、ですよね?」


 「・・・少し引きずられたようで、頭も打ってしまっています。ですが、全力を尽くします」


 「お願いします・・・」








 手術室近くのベンチにずっと座っていた。


 眠たかったはずなのに眠れなくて、結局、朝になって看護士に声をかけられてようやく朝になっていることに気付いた。


 バイト先に事情を説明して休ませてもらうと、手術を終えた広太はそのままICU室へと運ばれた。


 呼吸器のようなものがつけられ、頭も固定されており、意識がないことくらい、夏目にもすぐにわかった。


 呆然としていると、スマホが鳴る。


 「はい、もしもし」


 『兄ちゃん?あのね、広太兄がいないんだよ。家中探したけど』


 「・・・ああ。広太なら、兄ちゃんと一緒にいるよ。大丈夫」


 『よかった!兄ちゃん、もう仕事?』


 「今から帰るよ」


 状況など知らない優太が、何かあったらと持たせている子供用の携帯からかけてきたのだ。


 看護士たちにも、広太の容体はひとまず安定しているから一度帰って寝てくると良いと言われた。


 夏目は優太たちのことも心配だったため、一旦帰ることにした。


 「ただいま」


 「兄ちゃん!おかえり!俺もう学校行くよ!」


 「あれ?広太兄は?」


 「ああ、広太は・・・ちょっと熱があるから病院だ」


 「そうなんだ。よくなる?元気?」


 「大丈夫だよ」


 それより、と夏目は広太がなぜ夜外に出かけたのかが気になり、優太と翔太に聞いてみたのだが、2人は寝ていたためわからないとのことだった。


 2人を見送ったあと、夏目は軽くシャワーを浴び、広太の着替えやタオルなど、何が必要かわからないがとにかく準備をしていった。


 病院へ向かっているとき、烏夜が現れる。


 烏夜のせいというわけではないのだが、夏目は無意識に睨みつけていた。


 「怖いなぁ。僕が何かしたかな?」


 「・・・別に」


 「そうだよねぇ。別に僕が君の弟を轢いて逃げたわけじゃないし。僕を恨むなんてお門違いだよねぇ?」


 「・・・なんで弟が轢かれたこと知ってんだよ」


 「僕は何でも知ってるんだよ」


 「じゃあ、なんで弟が夜出かけたのかも知ってんのか」


 「知ってるよ?だって僕、君の弟が轢かれるところ見てたもん」


 「!!!!」








 烏夜の胸倉を掴みあげていた。


 自分でも驚くくらいの憎悪がそこにあって、夏目はハッ、と烏夜から手を放す。


 それでも烏夜は夏目に掴まれたそこを、微笑みながら軽く正しただけ。


 「なんで見てたのに助け無かったんだって?そりゃそうだよ。僕は慈善事業はしないんだ。まあ、車の車種っていうの?それくらいは情報提供してあげてもいいけど」


 「・・・・・・」


 「夏目瞬太くん、君は本当に素晴らしいね。君のこれまでの人生を振り返ってみても、苦労してきたことさえ誇りに思っていることだろうね」


 「うるせぇ」


 とにかく烏夜から離れようと、夏目は広太のために持ってきたその荷物を片手に、病室を目指す。


 烏夜は付いてこないだろうと思っていた夏目だったが、なぜか烏夜は付いてきた。


 看護士たちは烏夜を見てやはり怪訝そうな顔をしていたが、夏目はいたって無関係そうな顔を決め込んだ。


 広太はまだICUにいて、窓越しに見守ることしか出来ない。


 身体につけられた管もなんのためかなど夏目には分からないが、その小さな身体に残っている痛々しい傷はわかる。


 昔聞いたことがあるが、自分の祖母は事故に遭って、広太同様に車にしばらく引きずられ、首の骨も折れてしまい、そのまま亡くなったそうだ。


 広太はそこまで長く引きずられなかったとは言っていたし、首の骨も無事だ。


 とはいえ、重症であることに間違いは無い。


 何も出来ない自分に苛立ち、夏目は窓を軽く拳で叩く。


 「どうしても、運命というものがあるからねぇ」


 「喧嘩売ってんのか」


 「ふふふ。面白いね。夏目瞬太くん、君は今何を思って何を感じて何を考えているのか、言ってあげようか?」


 「・・・いらねぇ」


 そう言うと、夏目は看護士に一応着替えなどを持ってきたことを伝えると、袋ごと看護士に手渡す。


 「運命っていうのはあるからね。受け入れるしか出来ないよ」


 「うるせぇな」


 「ま、何かあったら呼んでね。手助けならいつでもするから」


 「だから・・・!!」


 自分の後ろをついてきていた烏夜に文句を言おうと振り返った夏目だが、すでにそこには烏夜はいなかった。


 それからしばらくしても広太は目覚めなかった。


 ずっと休んでいるわけにもいかず、生活のためにも夏目は仕事に戻る。


 「ご迷惑おかけしました」


 「全然いいんだけど、弟さん大丈夫なの?」


 「まだ起きないんですけど、生活もあるんで」


 「そっか・・・。まあ、何かあったら言ってよ。シフトならいくらでも変わるし」


 「ありがとうございます」


 数日後、広太の容体は急変する。


 夏目は仕事を早退して病院へ行くと、広太の周りには沢山の看護士たちがいた。


 どうなっているのかなんてわかりっこないが、大丈夫ではない、それだけはすぐに理解出来た。


 ドクドクと鼓動が飛び出そうなくらい波打っていて、血液も酸素も脳に届いているのかわからないくらい、頭が回らない。


 そこに自分が存在していないかのように虚無で、夏目は看護士に誘導され待合室に座らされる。








 どのくらい時間が経ったのか。


 それともそんなことを考えるほど経っていないのか。


 それさえわからないほど、夏目は意識がはっきりしていなかった。


 周りで動く人物や景色がまるで残像のように動く。




 「お困りかな?」




 声が聞こえてから数秒後、やっと夏目は反応出来た。


 「え」


 後ろを振り返れば、そこには烏夜が、夏目の座っているソファの背もたれ部分に両腕を曲げて乗せ、さらに交差した腕あたりに顔を乗せて夏目を見ていた。


 いつもと同じその笑みに、夏目はなぜか憎悪ではなく安堵を見てしまう。


 しかしすぐに烏夜から視線を外すと、烏夜は夏目の耳元にだけ届くくらいの声量で、でもはっきりとした声色で話す。


 「もし、人生をやり直すとしたら、君は何をする?」


 「・・・無駄だ。俺はお前の話には乗らねえ」


 「ふふふ。もし、の話だよ。別にそれくらい言ったって罰は当たらないよ?」


 「・・・・・・」


 「夏目広太がなぜ夜出かけたのか、教えてあげようか」


 バッ、と勢いよく烏夜の方を見ると、烏夜はにんまりとする。


 夏目はすぐに我に返り、その口を閉ざす。


 しばらく沈黙が続いたのだが、烏夜は話したかったのか、それとも別の理由があったのか、とにかく、夏目に外に出てゆっくり話そうと持ちかける。


 夏目は夏目で、このままここにいても落ち着かないし、下手したら烏夜の誘いに乗ってしまいそうだと、外に出ることにする。


 その間も、みんなバタバタと動いていた。


 あまりに人が多すぎて、広太の顔などまともに見えない。


 病院の外に出ると、烏夜はその空気を吸って嬉しそうにクルクル回っている。


 傍から見れば不審者なのだが、生憎、今の夏目も烏夜と同じく、外の空気を吸ってとても心地良い状態だった。


 「夏目瞬太くん」


 名前を呼ばれ、夏目は烏夜の方を見る。


 さらりとした白い髪が、皮肉にも、月夜のせいで綺麗に見えてしまう。


 月夜に提灯などとよく言ったものだが、本当にその通りだ。


 月明かりだけで十分すぎるほど明るいのだが、一瞬月が雲に隠れて薄暗くなる。


 しかしすぐに雲が風によって踊らされ動いていけば、徐々に映しだされるその美しい輝きに魅せられてしまう。


 誘惑などせずとも自ら歩み寄ってしまいそうなその美しさに、夏目はしばらく返事が出来ずにいた。


 烏夜が夏目を見つめたまま微笑んだことで、夏目はようやく正常な呼吸を取り戻す。


 「何があっても、俺は人生をやり直さない」








 「それは残念だ。まあ、君が決めたことならしょうがない」


 「ならさっさとここからいなくなれ」


 「それは出来ないんだよ」


 「どうして」


 「それはね、君がまだ、心の奥底では違うことを思っているからだよ」


 「何を言って・・・」


 烏夜は夏目の心を見透かすような目つきになったかと思うと、またすぐにいつもの笑顔に戻る。


 ドクン、と一度大きく心臓が跳ねた気がした。


 「可哀想に」


 「え」


 「大好きなお兄ちゃんに見捨てられるなんてね」


 「・・・・・・」


 「8歳の時に両親が離婚。母親は親権を拒否したため父親に引き取られる。でも3年後にはその父親が事故で死亡。保険金やら何やらが手に入るも、父親が亡くなったことを聞きつけた母親にとって全部奪われてしまった。その時から、君はみんなの母親でもあり父親にもなることを決心したんだね」


 「・・・・・・」


 小さい頃から仲が良くないことは分かっていたが、離婚まではあっという間だった。


 父親が亡くなって呆然としていたとき、急に母親が現れて父親の金という金を全部持っていき、代わりに翔太を置いていった。


 今母親が何処で何をしているかなんて知らないが、夏目たちは施設に入ることはせず、夏目は中学を卒業したらすぐに働きだした。


 もちろん、最初は歳を誤魔化していた。


 当時、きっと職場の人も夏目が年齢を偽っていることくらいわかっていただろうが、夏目の家庭環境を知って内緒にしてくれていたのだ。


 施設なんて入ったら兄弟が離れてしまう。


 ただでさえ家族なんてものをまともに感じられた時期が短いのに、そんなの可哀想だと、夏目は懸命に働いて、自分のお金で生活出来ることを証明したかったのだ。


 「せめて弟たちは、高校まで行かせてあげようとしてるんだもんね?もし補助金が出るなら、大学だって行かせてあげたい。泣ける話じゃないか」


 「黙れ」


 「昼間は他と比べて時給の高いパチンコ店で働いて、夜は時給がよくなるコンビニ。寝る間も惜しんで働くなんて、君はすごいよ。弟たちのためなら何だって出来るね」


 「五月蠅い」


 「もし」


 「・・・・・・」


 少し強めに言われたその言葉に、夏目は思わず耳を傾けてしまう。


 「もし、夏目広太くんを助けることが出来るなら、君は人生をやり直すかい?」


 「・・・・・・っ」


 脳裏に浮かぶ、弟の姿。


 小さい頃から一緒にいた、小さな手。


 自分達の力で生きていかないといけないんだと察して、我儘はほとんど言わなかった。


 弟、広太のことを思い浮かべていると、烏夜が夏目の表情を眺めながら、酷く歪んだ笑みを見せる。


 「君が今まで他の連中を励まし、立ち上がらせ、僕の誘いを拒むことが出来たのは、結局は他人事だったからなんだよ」


 「そんなんじゃ・・・」


 「違うのかい?本当に?だって考えてもみてごらんよ。もし車に轢かれたのが君の弟じゃなかったら、君はきっとまた同じように言うだろう。『俺なら人生をやり直さない』ってね。でも今どうだい?その言葉をはっきりと言えるかい?言えないよね。それはどうしてか。答えは簡単。目の前にある人生が“自分の”ものになったからだ」


 「違う・・・俺は・・・」


 「ならはっきり言ってごらんよ。僕の力なんて借りたくないんだろ?人生はやり直すことが出来ないんだろ?今が一番幸せなんだろ?」


 「・・・・・・ッ」


 下を向いてしまった夏目に近づくと、烏夜はその夏目の頬に手を添えて、自分の方に向けさせる。


 そこに映る夏目は、これまでに見てきた夏目とは違っていて、なんとも弱々しい表情だった。


 烏夜はしっかりと夏目の目を見ながら、耳に心地よい声を出す。


 「君は、人生をやり直したくはないかい?」


 それはまるで、麻薬のようだった。








 「でも」


 「ん?」


 「時間とか時空には干渉出来ないって。確か、人間そのものには干渉出来るけど・・・」


 「・・・その通りだよ。僕はね、そういうものはいじることが出来ないんだ。領域外でね」


 「領域外?」


 「まあそれはいいよ。でも、君の時間を戻すことは出来るんだよ。君が人生をやり直せるっていうのは嘘じゃないよ?」


 「・・・・・・」


 「じゃあ、ここだけの話。これはね、烏兎くんも知らないことなんだけど」


 夏目の頬から手を放すと、烏夜は人差し指を口元へ持っていき、「しー」の形を取る。


 「僕はね、パラレルワールドになら連れて行けるんだよ」


 「パラレル・・・?」


 「あれ?知らない?」


 「知ってるけど・・・。いや、でもそんな非現実的な・・・」


 「そうだよね。でも、僕の存在自体がすでに非現実的じゃない?まあ、正確にいうと、連れていけるというより、向こうにいる君と今ここに僕の目の前にいる君を入れ替えるって話なんだけどね」


 「・・・向こうでは、広太は事故に遭ってないってことか?」


 「そこまでは教えられないなぁ。僕も一応商売だからさ」


 「・・・それは時空とは関係ないのか?」


 「うん。時空を渡るっていうより、僕は本当にポンって入れ替えるだけだから」


 「・・・・・・」


 烏夜はただ、微笑みながら夏目の答えを待つ。


 「あ」


 「どうしたの?」


 ふと、夏目は思いだした。


 どうして広太が夜に買い物などに行こうとしたのか。


 急遽必要な物でもできたのかと思ったが、学校に休む連絡をしたときも、特別そう言った話はしていなかったし、冷蔵庫なども特に急ぎで必要なものは無かった気がする。


 ずっと不思議だったそのことを思い出した夏目は、「知っている」と言っていた烏夜に聞いてみる。


 だが、烏夜は首を傾げてから言った。


 「まずは、君の答えを聞いてからかな?」


 「・・・・・・」


 「言ったでしょ?商売なんだよ」


 「・・・・・・」


 今ごろになって、伊兎馬や渼芳の気持ちが分かったと、夏目は唇を噛みしめる。


 自分に何かあっただけなら別にいいのだが、兄弟に何かあったとき、何をしてやれるのだろうかと考える。


 病気を治せるわけでもなく、ずっと一緒にいてあげられるわけでもなく。


 無力な自分のことを、それでも慕って頼りにしてくれる、いや、自分しか頼れる者がいない兄弟は、自分にとってもかけがえのない存在だ。


 目をつむれば、写真のように浮かび上がる。


 耳を澄ませば、声が聞こえてくる。


 当たり前だと思っていた日常が当たり前ではなくなったとき、人間はこんなに脆いのかと痛感しながら。


 夏目は顔をあげて空を見上げる。


 そこにいる無数の星は、嫌というほど輝いていて、まるで夏目を嘲笑っているかのようだ。


 夏目はため息を吐くと、もう一度目を瞑り、そこに映る兄弟を確認する。


 「わかった」








 烏夜は夏目の言葉に微笑みながらも、きちんと確認をするために改めて尋ねる。


 「君は、人生をやり直したいんだね?」


 「・・・・・・ああ」


 夏目の言葉を聞いた瞬間、烏夜は額で手を覆いながらお腹を抱えて笑いだした。


 それは声にはなっていないため、誰にも聞こえていない。


 ゆっくりとその手を下ろすと、烏夜は夏目の指先に触れる。


 なんだろうと思っていると、そこが次第にジンジンしてきて、刺されているのか焼かれているのかわからないが、とにかく痛覚が目を覚ます。


 「本当に」


 「なんだい?」


 「本当に、弟を救えるのか?」


 「・・・それは君次第かな?」


 烏夜に触れられているその部分の痛みに耐えていると、違う痛みが夏目を襲った。


 それは、夏目の指先ではなく、夏目の頬から感じられた痛みで、口の中には鉄の味が溢れてくる。


 殴られたのだと分かったのは、自分の目の前には烏夜ではなく、地面があったからだ。


 口の中の鉄の味が苦くて、その場にペッと出してみたが、当然ではあるが痛みは消えなかった。


 一体誰に殴られたのかと思って身体を起こしながら同時に顔を動かせば、離れた場所にいると思っていたその人物にもう一度殴られてしまった。


 「ッてぇ!!!」


 「人間ごときが。人生を甘く見るな」


 「なんの真似だよ!!」


 「なんの真似だぁ?・・・そりゃこっちの台詞だなぁ」


 ドンッ、と夏目の眼前に突き立てるようにして置かれた和傘には見覚えがある。


 睨むようにして上に視線を動かせば、そこには思っていたとおり、烏兎が立っていた。


 夏目はゆっくり立ち上がると、烏兎を殴り返そうと一気に拳を握りしめたのだが、烏兎が地面にさした和傘を引きぬいて夏目の脚に引っかけたため、そのまま盛大に転んでしまった。


 「いって・・・」


 「お前は骨のある奴だと思ってたが、どうやらただの腰ぬけだったようだな。俺の見立て違いか」


 「なんだよそれ」


 「あんな奴に縋るほど、お前の人生は最低だったのか」


 「・・・・・・」


 「目の前の悲劇惨劇に心奪われてりゃわけねぇわな」


 「・・・あんたに何がわかんだよ」


 「わかんねえよ。何もな。俺は当事者じゃねえからな。お前ら人間の“辛さ”?“苦しさ”?“虚しさ”?んなもん俺には必要ねぇからな」


 「烏兎くん」


 汚れてしまった服をパンパンとした夏目と、その夏目を他所にずっと烏夜を見ていた烏兎。


 一部始終見ていた烏夜は、またしても現れた烏兎を見て、今回ばかりはとても余裕そうに笑っていた。


 「今回は君の出番はないよ。だって、夏目瞬太くんは僕と契約したからね。彼は今僕を受け入れた。君にだって邪魔は出来ない」


 「・・・どんな上手い話だったのかは知らねえが、お前、あいつの話信じたのか」


 「・・・・・・」


 「夏目瞬太くん。こっちにおいで。早くやり直そう」


 「・・・・・・」


 夏目は、烏兎の横を通り過ぎて烏夜の方へと歩いて行く。


 その間、烏夜は夏目を止めることもなく、ただその背中を眺める。


 何もしてこない烏兎を見て、烏夜は前髪を少しずらすようにすると、とても綺麗な顔で微笑む。


 自分に再び差し出された手を掴もうと夏目は手を伸ばしたところで、烏兎が烏夜にこう聞いた。


 「で、弟はなんで出かけたのかは聞けたのか」


 「・・・・・・」


 ぴたり、と夏目の動きが止まる。


 そういえば聞いていなかったと思うと、夏目は烏夜の方を見る。


 烏夜はただ笑みを浮かべるだけで、答えようとしなかったのだが、代わりに烏兎がその答えを伝える。


 「お前の弟はな、お前のためにケーキを注文してたんだよ。チョコプレート付きのな」








 「え・・・」


 「小遣い貯めて。いつも自分達のために働いてる兄貴にって。弟たちが起きてる間に持って帰ると食っちまうかも知れねえから、弟たちが寝てから取りに行ったんだ。もちろん、店にも時間が遅くなること伝えてな」


 「そんなことのために?」


 「そんなことか?本当にそう思うか?」


 「・・・・・・」


 「お前の弟だろ。自分のこと後回しにして、あいつらのこと守ってきたんだろ。そんなお前の姿みて、何も伝わらねえわけねぇだろ。馬鹿かお前」


 「・・・でも俺が一緒にいてやれれば、広太が事故に遭う事もなかったんだ」


 「それは結果論だな。誰にも分かることじゃねえ」


 「でも俺はッ、もし広太をあんな目に遭わせずに済むなら!!こいつにだって!悪魔にだって!!頭下げるよ!!」


 それを聞いて、烏夜は烏兎を見て笑う。


 勝ち誇ったようなその笑み自体も気に入らないが、なにより、烏夜の背後に薄らを見える“烏夜の本質”の方が気に入らない。


 「ほらね。この子はもう僕の手に堕ちたんだ。烏兎くん、今回は申し訳ないけど手を引いてもらおうか。ああ、本当に申し訳ないなんて思って無いよ?社交辞令だからね?」


 「そういうわけにゃいけねぇんだよ」


 「しつこい男は嫌われるよ」


 「嫌われてなんぼだ」


 そう言うと、烏兎は自分の背を向けている夏目に向かってさらに言葉をかける。


 「辛いことがあろうと、苦しく悲しいことがあろうと、やり直せないのが人生だ」


 自分が一番、わかってると思っていた。


 そんな当たり前のことが、今となっては酷く胸に突き刺さる。


 ただただ後悔だけが荒波のように押し寄せてきて、奇跡が起こることを待つだけしか出来ない。


 それでも、もし目の前の現実を受け入れて前に進めるとしたら。




 「やり直すってのはな、自分のこれまでの人生を否定して拒否する行為だ」




 それはきっと、古くなりすぎて落ちなかった、ほんの少しの・・・。


 「お前に関わった全ての人間のことも否定することだぞ。それが出来るのか?その覚悟があるのか?」


 烏兎の言葉に、夏目はようやく顔を烏兎の方に向ける。


 烏兎の目に映ったのは、まだまだ人生という意味の半分も経験などしていない、子供のように不安な顔をした夏目だった。


 「今の姿、弟たちに見せられんのか?それとも、弟たちも道連れにして一緒に人生やり直すか?」


 「俺は」


 「そうだよ!そうしよう!いい提案だ!!」


 烏兎と夏目の会話に割って入ってきた烏夜は、なんとも楽しそうだ。


 両手をパン!と叩いて、名案とでも言いたげに夏目の方にぴょん、とジャンプしていき、夏目の肩に後ろから手を乗せ、さらに顎を乗せてにんまり笑う。


 烏兎は和傘を烏夜の方に向けると、ニヒルに笑ってこう言った。


 「お前まさか、“パラレル”の方の話でもしたか?」


 「へへ」


 「え?」


 どういうことだろうと思っていると、自分の首に乗っていたはずの烏夜がいなくなっており、代わりに和傘の先端がそこにあった。


 どうやらそこから逃げた烏夜は、夏目の後ろへと避難していた。


 「現実的な話をしてやる」








 「パラレルワールドは確かに存在する」


 「ほらね」


 「だが、そこに行くのは簡単じゃねぇ。途中で身体がねじ切れることもありゃあ、別のどっかに飛ばされたまま何処にも戻れないこともある。つまり、無理なんだよ」


 「無理じゃないよ、無茶なだけ」


 「お前が関わるから無理なんだよ。そもそもお前、いっつも途中で人間食っちまうだろ」


 「食べ盛りだから」


 クツクツと笑う烏夜に、夏目は自分が烏夜の話にまんまと乗ってしまったことを“後悔”する。


 袖からかろうじて指を出した烏夜は、その人差し指を口まで持っていき、下唇を弄ぶ仕草をする。


 「烏兎くん、人間みんながみんな、君みたいに強いわけじゃないんだよ?」


 そう言い終わるのが早いか、烏夜は背後から夏目の身体に腕を突き刺そうとしたのだが、烏兎が夏目を蹴り飛ばしたため無事だった。


 蹴り飛ばされた夏目は無事といえば無事なのだが、いきなり蹴られたため脇腹が痛いし脳も少し揺れた気がする。


 烏兎に文句を言いたかった夏目だが、目の前の烏兎はそんなことを言える状況ではなかった。


 「傘で衝撃を和らげたか・・・。まったく。ゴキブリ並みにしぶといなぁ」


 「・・・ッ」


 「まあ、この前の脇の傷もあるし、俺の邪魔をし続けてくれたんだ。この辺でおしおきしておこうかな」


 烏兎の脇腹には抉られたような痕があり、そこからは見たこともない血が流れ出ている。


 ど真ん中を狙ったはずのソレだったが、烏兎が和傘で衝撃を押さえながら方向を変えてようやくその怪我で済んだ、といったところだろうか。


 「ッ」


 「烏兎くんさぁ、本当に邪魔。俺を怒らせたらどうなるかくらい、わかってるよね?それとも、君は死にたいのかな?」


 「おい・・・」


 烏兎に声をかける夏目だが、烏兎は腹からも口からも血を流しながら、烏夜を見てニイッと笑う。


 ついにおかしくなったかと、烏夜は自分の腕についた烏兎の血を舐めとる。


 「不味い」


 「へっ。お前の腹を満たすために流れてるわけじゃねえからな」


 「なんで」


 「あ?」


 ふと、夏目が烏兎に聞く。


 本当は聞かなくても分かっていたことかもしれないが、烏兎の口から聞く必要があると思った。


 血を流しながらも、烏兎は夏目の質問に応えようと、耳を傾ける。


 「なんで、お前は俺達のことを助けるんだ?それこそ、お前無関係だろ。俺達のために、お前がそんなに傷つく必要があるのか?」








 人はいつだって、自分が一番可愛い。


 他人が傷つくことなんて、気にしない。


 口先ばかり心配していたって、対岸の火事。


 誰かのためになんて綺麗事ばっかり言って、実際目の前に他人の命と自分の命が秤に乗っていれば、自分を選ぶもの。


 身勝手で、愚かで、弱くて、ズルイ。


 夏目の問いかけに、烏兎はほとんど時間を開けずに答える。




 「理由いんのか?」




 「え」


 「お前は、誰か助けたり何か守るのに、いちいち理由なんて付けてんのか?くだらねえ。そんなもん考えてる時間がもったいねぇ」


 「だって・・・死ぬかもしれないんだぞ」


 「死ぬのが怖ぇ奴はそもそも人助けなんざしねぇよ」


 「そっか・・・いや、そうじゃなくて」


 「生きるってのはよ、思ってるより厄介だよなぁ」


 烏兎は自分の身体から流れ出る血を掌にべっとりとつけると、それを見て笑いだし、そのまま自分の前髪をかきあげる。


 一方、烏夜は先程まで微笑んでいたというのに、目を細めてまるで烏兎を睨んでいるような顔つきだった。


 それが睨んでいるのかどうかは、夏目にはわからないが。


 「俺の権限で、もう一度だけお前に選ぶチャンスをやる」


 「・・・へ」


 「・・・・・・」


 烏兎のその言葉に、夏目は驚き、烏夜はぴくりと眉を潜ませる。


 俺の権限とはなんだろういう疑問もあるが、正直今はどうでもよかった。


 ただ、自分の選択を正せるならー。


 「お前、人生をやり直したいのか?」


 「・・・・・・」


 答えなら、もう出ていた。


 烏夜はただ険しい顔をして、烏兎のことをじっと見ているだけ。


 夏目は、さきほど言っていた烏兎の言葉を思い出し、それに答えるように言う。


 「俺は、自分の人生も、あいつらと一緒に過ごした時間も、全部、これからも背負って生きていく」


 「・・・だよな」


 夏目の言葉を聞いてニヤリと笑った烏兎が和傘を開くと、それはいつもと違って夏目たちのいる空間にまで広がりを見せ、まるで別空間に来たかのように万華鏡の世界観に囲まれる。


 小さい頃に買ってもらったなー、なんて呑気なことを考えていると、烏兎に頭を叩かれる。


 「夏目瞬太」


 「な、なんだよ」


 「全て受け入れろ。たとえそれが“絶望”でもな」


 ひしひしと身体に感じる空気に、夏目は無意識に拳を握る。


 「そして信じろ」


 同時に、目に見えない何かが、熱くなる。


 「“希望”もまた、“絶望”と表裏一体であることを」


 烏夜が烏兎に襲いかかるが、いつものようなスピードが出ないらしく、また、動きを読まれているかのように烏兎が先回りするため、烏夜は万華鏡で囲まれた壁に激突する。


 そして、そこにズブズブを吸い込まれていく。


 烏夜は慌てて自分の腕と足を引き千切ると、いつもよりも遅い再生に苛立ちを見せながら、烏兎を見て笑う。


 「また会おうね、“  ”」


 逃げようとする烏夜を捕えようと万華鏡の壁を動かした烏兎だったが、それよりも速く烏夜は蜃気楼なのか暗闇なのか、よくわからないがそういった感じで消えてしまった。


 烏兎も血が足りないらしく、万華鏡を解除するとその場に胡坐をかいて座った。


 「大丈夫か?」


 「大丈夫に見えんのか」


 「見えないけど聞いてみただけ」


 「夏目さん!どこに行ってたんですか!!」


 「あ」


 そういえば病院の敷地内だったことを思い出した夏目のもとへ、看護士が息を切らせてやってきた。


 広太に何かあったのかと、夏目は慌てて病室へと向かう。








 「え・・・」


 「遅かったな」


 「もう大丈夫みたいだよ」


 「なんでお前ら・・・」


 広太の病室へ行くと、そこには伊兎馬と渼芳がいた。


 広太の事故のことも話していないのにどうしてだろうと思っていると、そこへ血まみれの烏兎がやってきた。


 その格好のまま来たのかと、不審者扱いされなかったのが不思議なくらいだが。


 「俺が報せた」


 「なんで」


 「俺が説明するね」


 渼芳が見舞いにと持ってきた花を夏目に渡しながら話す。


 渼芳の話によると、広太がケーキを注文していたのは渼芳の店で、渼芳以外の従業員が注文を受けたという。


 ただ、受取日の夜になっても来なくて、注文書に書かれた広太の携帯の番号にかけたらしいのだが、出なかった。


 翌日その話になっていて、渼芳はなんとなく耳に入れていただけなのだが、そこに書かれた“夏目広太”と、先日ケーキを取りに来た“夏目”、そしてチョコプレートに書かれていた“広太”が繋がった。


 住所も確かこんな感じだったと、渼芳は何かあったのではないかと思い夏目に連絡をしたそうなのだが、夏目はそのとき病院にいた。


 どうしようかと思っていると、優太と翔太が現れて、広太の事故のことを話したそうだ。


 「え、なんであいつらが知ってんだよ。俺話してねぇぞ」


 「広太と優太は同じ学校だよ?ずっと知らない方が無理があるよ」


 「ああ、そっか。そうだよな」


 もう1人兄ちゃんには友達がいると言って、伊兎馬のもとへ向かったそうだ。


 渼芳は以前、夏目が「お前と似たような」と言っていたことから、伊兎馬も似たような環境や状況なのだろうと理解する。


 夏目と広太の事を話すと、伊兎馬も何か出来るなら、と協力してくれたそうだ。


 「で、お前は何を報せたんだ?」


 ふと、烏兎の方を見ると、その「兄ちゃんにはもう1人友達がいる」というのを弟たちに報せたそうだ。


 「弟たちの面倒は俺達で見てるから。瞬は広太くんに付き添ってあげなよ」


 「順調に回復してるそうだ。よかったな」


 「・・・ッああ」


 「何かあったら俺達に連絡しろよ。いつだってかけつけてやるから」


 「おう。お前らもな」


 それと、と烏兎にも御礼を言おうとした夏目たちだったが、すでに烏兎の姿はなかった。


 一体誰なのか、というよりもなんだったのかはわからないが、それよりも、夏目たちに訪れる未来はすぐそこまで来ていた。








 男は通称“烏兎”と呼ばれている。


 もともとは違う名前だったのだが、烏夜と対峙している時間が長いからか、そう呼ばれるようになった。


 男は以前別名で呼ばれていた。


 それは、かつて人類が男に全てを懸けて願う事から始まった。


 男はただ、そのためだけに存在する。






 「絶望と希望を繋ぐのが、俺の役目だ」














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