第十九話 ティータイム≪heure du goûter≫
レーシュがティーポッドへお湯を注ぎ入れ、そこから待つ事、数分。
時計とにらめっこを終えた彼女は、抽出したお茶をカップへと注いだ。今度もぎこちない動きで、ルーカスはハラハラとしたが。
「……どうぞ」
心配をよそに、赤褐色の液体で満たされたカップがルーカスの前へ置かれた。
恐らく、飲めということなのだろう。彼女がじっとみつめてくる。
(……手際はアレだけど、工程に問題はない。多分、大丈夫……だよな?)
それに、一生懸命用意してくれたのだから、好意を無下にはできない。
ルーカスは「ありがとう」とカップを手に取った。
こういった嗜好品も久しぶりだな、と思いながら唇を寄せる。ふわり、と甘く芳醇な香りが鼻孔をくすぐった。心安らぐ良い香りだ。
一口含むと。甘く、ほんのりと苦い。濃厚で深みのある味わいが広がっていく。
「美味しい……」
ルーカスは心からそう思った。
カレンや妹達に付き合わされて、お茶は飽きるほど飲んで来た。特別に好きな銘柄はない。飲めれば何でもいいと思っていた。
(けれど、この時口にしたお茶は別格だった。茶葉が良かったからか、それとも彼女が淹れてくれたからか……)
ルーカスは二口、三口とあっという間に飲み干してしまった。
「口に合った……?」
「ん。凄く美味しかった」
「ほんとうに?」
「本当だよ。手つきは相当、怪しかったけどな」
意地悪く笑って見せると、彼女は頬を赤らめてカップに口をつけた。
「…………うん、ちゃんと、できてる。……良かった」
あまり揶揄っては可哀そうだろう。呟かれたひとり言は聞こえなかったフリをする。
その代わり。
「もう一杯、もらえるか?」
と、おかわりを頂くことにした。レーシュは快く二杯目を、今度は先程よりも少し慣れた手付きで淹れて。ルーカスはお茶と
途中、「フェイヴァも一緒に、どう?」と、レーシュがカフにもお茶を勧めていたが、彼は首を横に振り「
「それにしても、急にお茶だなんてどうしたんだ?」
お菓子を頬張るレーシュを見つめ、微笑ましく思いながら問い掛ける。
彼女は口元を手で隠して、
「……ルキウス様が……ね。よく、お茶に誘ってくれるの。私、楽しい事とか、あんまりわからなかったんだけど……。
こうしてお茶を飲んで、お菓子を食べて過ごす時間、考えてみたら、嫌いじゃないな……って。楽しいって、こういう事かもって思って。
だから、貴方と……。……えっと、なんて、いえばいいのかな。上手く言葉にできなくて」
「いや、何となく伝わったよ。ありがとな」
ルーカスはレーシュが自分と〝楽しい時間を共有したい〟と思ってくれたのだと解釈した。勝手な解釈だが、嬉しくて頬が緩んでしまう。
「……うん。貴方が嫌じゃなければ、また。次も、準備してくるね」
「楽しみにしてる」
カップの中に残るお茶を飲み干して三度目のおかわりを頼む。
三度目は緊張が抜けたのか、一度目が嘘みたいにスムーズな動きをレーシュは見せた。
彼女がお茶を淹れている間。何気なく交わした会話を思い返して——ルーカスは気付く。
(——あれ? 彼女に名前で呼ばれた事が……ない、な)
それもそのはずだった。ここまで、名乗った記憶がない。
(身の上話はした癖に、そこはすっかり抜け落ちていたんだよな。……間抜けすぎる)
恩人に対し、基本的な礼儀を欠いている事実に血の気が引いた。
ルーカスは泡を喰って立ち上がると、レーシュの傍で片膝を付いて胸に手を当てた。
「ど、どうしたの?」
困惑した声色が聞こえる。が、まずは謝らねばとの気持ちが先行して、ルーカスは
「すまない、レーシュ。本来であれば、君が誰であるか尋ねる前に、こちらから名乗るべきだったのに……あの時の非礼を、詫びさせてくれ」
「非礼……?」
「ああ。こちらの都合ばかり押し付けて、すまなかった。その上で、改めて名乗ろう」
すっと瞼を開き、レーシュを見上げる。彼女はポッドを手にした状態で動きを止めて、言葉を待っているようだった。
「俺の名はルーカス・フォン・グランベル。本当に今更だけど、気楽に名前で呼んでくれると、嬉しい」
「…………ルーカス、さん?」
「ルーカスでいい」
「……ルーカス」
やっぱり、くすぐったい。
そして、名前を覚えるためだろうか。レーシュは「ルーカス、ルーカス……」と呪文のように繰り返している。何度も呼ばれるのは、気恥ずかしい。
話題の転換に何かないかと考えて。名前繋がりで思い至る。
「そういえば、君の名前も聞いていいか?」
「……レーシュ、よ?」
「それは
「本当の……」
呟いたレーシュは押し黙り、ポッドをテーブルの上へ置いた。
使徒名というのは名前から個人及び家族や友人を特定させない、情報保護・危険防止措置の観点から
「……ごめん、簡単に教えられるものじゃないよな。今の質問は忘れてくれ」
きっと、彼女もそうだと思い、ルーカスは話を切り上げて席へ戻ろうとした。
すると、おもむろに。彼女の手が顔半分を覆う白い仮面へと伸びて——。
隠されていた素顔、少女の幼さを残しながらも美しい容姿、淡い青を湛えた
レーシュの瞳が、ルーカスの瞳を射抜く。
久しぶりに見た彼女の瞳は、変わらず神秘的で抗えない魅力がある。
見惚れて、動けないでいると。
「……イリア。イリア・ラディウス。ルキウス様は私をそう呼ぶ」
艶めく唇が、秘された彼女の名を奏でた。
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