第十話 散り逝く花≪la mort≫

 ※なるべく控え目にはしていますが、残虐表現があります。ご注意下さい。






 アレイシスがそのを始め、刹那とは言えぬ時間が過ぎて——。

 

 叫び続けたルーカスの喉は裂け、口内に鉄の味が広がった。

 拘束から逃れようと、地を掻いた手もボロボロになっている。



(——圧倒的な力、理不尽な暴力を目の当たりにして、俺は……自分がどれほど弱く、無力であるのかを痛感させられた)



 いっそ殺してくれれば、とルーカスは思った。

 彼女がはずかしめを受ける様を見るのは、己が痛めつけられるよりも耐え難かった。


 そんな拷問に等しい時間に終止符を打ったのは——。



「アレイシス殿下、お楽しみのところ申し訳ございません」



 と、影より現れ、こうべれた兵。

 彼からもたらされた一報だ。


 思わぬ来客にアレイシスは眉間に深い皺を作り、殺気を孕んで睨む。



「……何だ」


「……っお、恐れながら、ご報告致します! 教団が、お、王国軍と合流しました。巻き返しを狙って使徒を最前線へ。ま、魔獣を排し、戦線を押し上げています。軍団長達が粘っておられますが、どうか、殿下に采配を揮って頂きたく……!」



 兵は委縮して、震え上がりながら告げた。



(盗み聞いた内容に、もしかしたら、彼女をこの地獄から救えるかもしれないと……俺は希望を、抱いた。……そんな都合のいい現実など、ありはしないというのに……)



 報告を受けたアレイシスは表情を変えぬまま立ち上がると、控えさせた兵に手招きをして、剣を持って来させた。



「やはり出て来たか。女神の犬どもめ。出張って来たのはどいつだぁ?」


「【正義せいぎ】のラメド、それと【太陽たいよう】のレーシュです。両名を連れて、教皇自ら戦場へ——」


「ほぉ? あの偽善者の老いぼれが出て来るとはなァ? それに、レーシュ! 近頃ウワサの〝旋律せんりつ戦姫せんき〟か! 悪くない……悪くないぞ! くはは!!」



 ギラギラと黄金眼レジュー・ドールを輝かせて、アレイシスが高笑いする。


 興味がカレンから新たな獲物——近年、代替わりした【太陽】の神秘アルカナを宿した使徒、歌で魔術の奇跡を起こす希少な魔術師〝詠唱士コラール〟として活躍する使徒へ移ったように見えた。


 その事に一瞬、ルーカスは安堵するが。



(……それも、ただの、現実逃避だ)



 アレイシスはひとしきり笑った後、受け取った剣をするりと引き抜いて、



「報告ご苦労。だが——堂々と割り入って来たのは気に食わん」



 兵の首を跳ねた。

 血の雨が降る。生首が宙を舞って、落ち。ごろりと転がった。


 そのまま、アレイシスの視線がカレンヘ落ちる。


 彼女は自由を奪われ、憔悴しょうすいしている様子が見られるものの、表情に絶望の色はない。

 依然として柘榴石ガーネットの瞳に強い光を宿し、己をもてあそんだ男を見上げている。


 憎しみなど感じない、澄んだ瞳。

 何者にも屈せず、穢されない意思がそこにはあった。



「……ふん。結局、折れずじまいか。精神力の高さは褒めてやるぜ、王女様。もう少し遊んでやっても良かったんだがぁ、こう見えて忙しいんでな」



 アレイシスは完全にカレンへの興味を失ったのだろう。色のない表情でそう告げた後、ルーカスへと視線を向けた。



(奴は、無様に息も絶え絶えな俺を見て……金眼を光らせ、にたりと醜悪しゅうあくな笑みを……浮かべた。そこから、もう一度カレンを見て……笑みを、深め——)



「最期にイイモノがみれそうだなぁ?」



 剣の切っ先が、カレンの胸へ。

 傷ついた表皮から、糸をひくように赤が流れた。


 ぞくりと嫌な予感。

 アレイシスの行動を予測するのは容易かった。


 ルーカスの背を冷汗が伝い、心臓がバクバクと鼓動して、息が苦しくなる。



「や……ろっ、やめ……ろ……! ……アレイ、シスッ! やめ、ろおォ!!」



 ルーカスは、潰れた喉で叫んだ。

 それをアレイシスは歌劇オペラを楽しむかのように、瞼を閉じて傾聴し——十分に楽しんだ後。


 ゆっくりと、カレンの左胸へ剣を突き立てた。


 皮膚を貫く音と共に、鮮血が飛ぶ。



「————あッ! う、ぐ……ぅッ!!」



 苦悶の声。地面が、彼女からこぼれる生命の雫で、紅く染まって行く。



「はッ! 死に際の悲鳴コーラスを奏でることすら拒むか! 本当に……可愛げのない王女様だ!!」



 アレイシスは剣の柄を両手で持ち、彼女へ苦痛を与える為、じ回した。



(……それでも、カレンは……っ! 大きな悲鳴を上げることなく、耐えて……!!)



「カ、レン……! カレ、ンッ!!」



 ルーカスは手を伸ばし、叫び続けた。


 守りたくて、失いたくなくて。

 それが叶わぬ願いで、この手がもう届かないと知りながらも。



(……そうすることしか出来なかった)






 やがて訪れた、最期の瞬間。

 カレンはルーカスに向かって、微笑んだ。


 血色を失った唇を動かしてある言葉を伝え、そして——。


 側頭部に添えられた装飾——フリルのような花弁が幾重にも連なって可愛らしい黄色の花が、ぽとりと地に落ちた。


 見ればそれは、ルーカスが贈った生花だった。


 カレンと同じ名を持った花は、彼女の血を吸って夕焼けの色に染まっていき。






 ほどなくして、散った。


 同時に、カレンの瞳から輝きが消え、代わりにうつろなる闇が……紅眼ルージュを濁らせた。






「ちっ。面白味のない最期だったな」



 アレイシスが突き立てた剣を、纏わり付いた鮮血を振り撒きながら抜いた。


 受け入れがたい現実が、目の前に広がっている。

 ルーカスは呆然と見つめ。



「……カ、……レン……」



 彼女の名を呼んだ。


 すると、アレイシスは彼女の髪を掴んで持ち上げて——ルーカスへ投げた。

 届きそうで届かない距離に、わざとだ。


 鈍い音がして、血の匂いが充満する。



「カレン……カレ、ン……」



 ルーカスは彼女に触れようと、届かぬ手を懸命に伸ばした。


 けれども、触れる事は叶わない。

 目頭に熱が込み上げ、目尻からとめどなく溢れた。



「あ……ああ……う、あぁぁああ!!」



 潰れた喉で、腹の底から声を振り絞り、ルーカスは雄叫びを上げた。



(……悲しみ、絶望。

 あらゆる負の感情が、胸の内に沸き起こり、渦巻いて……)



 ひらすらに叫んだ。叫び続けた。



「——くッ、くははは!! そう、それだ。オマエのような反応が見たかったんだよ! 期待通りで安心したぜぇ、紅眼ルージュゥ! 王女様も、無駄死にじゃなかったな? オマエを絶望に叩き落せたんだからなァ!!」



 それをアレイシスは愉悦ゆえつとして笑いながら、動かぬカレンの肉体を踏みつけて見せた。


 その行動に、ルーカスは激しい殺意を覚えた。


 彼女をけがし、もてあそび、むごたらしく死へ至らしめただけでも憎いというのに、この上まだ冒涜するのか——と。



(抑えきれないどす黒い感情に、俺は呑まれ、支配されていった)



 そうして、ルーカスは告げる。

 カレンの命を奪った男に、最上の憎しみをこめて。



「殺してやる」



 ——と。目の前の男を殺せるのなら、悪魔に魂を売り渡してもいいとさえ、思った。


 その言葉と想いがきっかけとなり、何を引き起こすのか知りもせず。











『——ならば、目覚めよ——。我の——として。

 ……激情に身を委ね、思うままその力——揮うがいい』



 ルーカスの脳裏に、何者かの声が響いた。

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