第十一話 暴走≪fou≫



「くくっ、出来るものならやってみろ。諦めなければ、機会はあるかもしれんなぁ?」



 アレイシスは相変わらず笑っている。

 己こそが絶対的な強者であると、こちらを見下していた。


 近付いた一人の兵に「殿下」と耳打ちされて。アレイシスはルーカスに背を見せ、遠ざかって行った。



(——ヤツが俺を殺さなかったのも疑問だが、この時の俺は「どうすればアイツを殺せるのか」……そんな事しか、考えていなかった)



「……てやる、殺……てやる、殺して、やる!!

 おまえ、だけは……おまえだけはぁああァッ!!」



 ルーカスは怨嗟の叫びを吐き出した。


 ——瞬間。

 「ドクン」と、心臓が脈打ち。そこから熱したように煮えたぎる血潮が生まれ、全身へ巡る。


 想像を絶する熱さと痛みに襲われた。



「うぐッ!?」



 まるで胸の内で嵐のように荒れ狂う負の感情。

 怒り、憎しみ、恨み、悲しみ、苦しみ。

 そして、殺意。


 それらが灼熱のマグマとなり、内側から焼き尽くさんと暴れているかのようだった。


 ルーカスは濁音での呻きを繰り返し、痛みに悶え、苦しんだ。



「……なんだ? 急に」


「さあな。気でも触れたんじゃないか?」


「あー、今夜の殿下はいつにもまして興に乗っておられたからなぁ」


「あの様子じゃ、まだまだ血の雨が降りそうだぞ」


「だな。どうにも楽しい一夜になりそうだ」



 「ハハハ!」と声を弾ませて笑う声が聞こえる。

 何がそんなに楽しいと言うのか。


 勇敢に戦った多くの騎士達と、カレンの死を娯楽としか捉えていない事実に、ドロドロとした怨讐が燃え上がって行く。



(あいつらも、アレイシスの同類。人の死を笑って、不幸を喜ぶ人の皮を被った悪魔……。

 ——こんな奴ら、生きている価値もない。殺してやりたいと……強く思った)



 そうして、思いに応えるかのように。

 ルーカスの中に眠っていた〝力〟は目覚める。



『さあ、いかれ』



 脳裏へ声が響き、心臓が再度「ドクリ」と脈打った。

 全身を蝕む熱が——紅いゆらめきへと転じて、ルーカスから放たれ。



「ア、あああぁァ!!」



 叫びと共に激しさを増した。

 に、ルーカスを抑え付けている兵が触れる。

 と、兵は——跡形もなく〝消滅〟した。


 地へ縫い止められた体が、動く。

 枷となっていた兵が消えた事で自由を取り戻し、自分の意思で動かせる。


 ルーカスはゆっくりと体を起こして、眼前に横たわる彼女の頬へ触れた。






 ようやく、伸ばした手が届いた。

 ……でも、届いたというのに。


 温かさを感じても、ここにあるのは彼女の抜け殻。命の鼓動と輝きは、既に失われている。


 ルーカスは開いたままのカレンの瞳を手で覆って、まぶたを閉じた。

 長い睫毛まつげの生えた瞼。開かれる事は、二度とない。


 改めて突き付けられた現実に、哀しみの津波がうねり上がる。ルーカスを深い感情の海へ引き込もうと襲って来る。


 息が出来ないほど苦しかった。瞳からは止めどなく涙が溢れた。


 ルーカスはカレンを抱き寄せて。



「うぅ……ううぅッ!」



 獣のように唸りながら、視線を彷徨わせた。

 周囲には沢山の帝国兵の顔。皆、戸惑い、あるいは怯えている。


 だが、この場にいる殆どは、アレイシスのを容認し、同調してよろこんでいた連中だ。



(中には、アイツの命令に従ってカレンを穢した奴も——)



 思い出して、怒りが込み上げた。



「うぁああ゛ああ゛——ッ!!」



 感情のままに叫ぶ。

 と、瞬く間に紅いゆらめきは広がり、触れた者を消し去って行った。



『——……! ……め——……!』



 また声の様な音が響いて、左手首にチリチリと痛みが走る。


 心臓と腕が、焼ける様に痛い。



「くッはは! その力、オマエも祝福を受けた者か!」



 今、一番殺したいと思う男の声が聞こえて。ルーカスは聞こえた方向へ勢い良く頭を振り、男を視界に捉えた。


 怒りと同時に、喜びが沸き上がる。ルーカスは口角を上げた。


 この力があれば、アレイシスを殺せる——と。



「<嫉妬アンヴィ>か? <憤怒コレール>か? それとも——」



 発現した力の根源が何であるか等、どうでも良かった。


 これ以上、殺す相手の声を聞き、姿を眺める理由はない。

 ルーカスの意思を汲み取って、紅い揺らめきがアレイシスへと押し寄せる。


 アレイシスは黄金眼レジュー・ドールを見開いたが、それがルーカスの力を打ち消す事はなく。



「馬鹿なッ!?」



 質量を増した紅に、飲み込まれて静かに消えた。






 ……何とも、呆気ない終わりだ。






 けれど、そうしたところで失われたものは戻らず。



「カレ、ン……ッ。うぅ……カレン……!」


 

(俺は……冷たくなって行くカレンを抱き締め、きざまれた痛みを、叫び続けた)



「ああああァッ!!」



 憎い、痛い、苦しい、悲しい。

 痛い、憎い、悲しい、苦しい。

 苦しい、痛い、憎い、憎い、憎い——……。



 やり場のない感情がぐるぐると逆巻いて、心が晴れることのない真っ黒な闇色に染まっていく。


 そんなルーカスの感情に呼応して、目覚めた力の影響は広がり続け、周囲の敵を消し去って行った。



「が、ぁああ!! うう゛う゛ッ!!」



 ルーカスは咆哮を上げて、感情と本能の赴くままに。只々、力を放出し続けた。






(目覚めた力は後に〝破壊の力〟と【崩壊】の神秘アルカナの二つだったと判明するのだが——。

 それは敵を一掃しても止める事が出来ず。動植物に大地、一帯に存在するあらゆるものへと及び、消滅させた)



「ぐッ……あ、ははっ!! 全て壊れ、崩れてしまえ……!! ははははは!! うう゛ッ!!」



 カレンを失い、絶望に打ちのめされたルーカスが願った事は一つ。



(……破滅だ。

 こんな悲しみしかない世界に。

 大切な人を守れなかった己に。

 破滅を——と、俺は願った)



 力は願いを汲み、悲嘆ひたん怨嗟えんさを糧として暴走する。

 留まる事を知らず、どこまでも、どこまでも……。











◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 しかして、暴走が始まってから長い時間が経ち。


 ルーカスの暴走を止めたのは、闇の中でも煌めく、美しい銀糸の髪をなびかせた女神のしもべだった。


 〝彼女〟は純白の衣裳をまとい、澄んだ高音域ソプラノの歌声を響かせて、天より舞い降りた。


 慟哭どうこくするルーカスの元へ。



(……あの時の俺は、感情に支配され力を暴走させる化物だった。近付くものは何であれ敵と認識し、力の餌食とした。けれど——)



 地へ降りたしもべは、力を恐れることなくルーカスに向き合い、旋律をつむいだ。



『——いとし子よ お眠りなさい

 マナのゆりかごにいだかれて


 闇をはらえ 神秘の風よ

 きらめきがあなたを照らすでしょう』



 その歌……歌声には、不思議な力があった。

 優しく暖かで、歌詞の通りくらい心に光をともす、そんな力が。


 ルーカスは怒りを忘れ、思わず聞き入った。


 そして、彼女は歌を紡ぎながら、顔の上半分を覆う白銀の仮面を外して——。


 仮面の下からあらわとなった瞳に射貫かれた時。

 ルーカスは息を飲んだ。






 淡い青眼シアン勿忘草わすれなぐさの色。

 それ自体は珍しくない、よくある色だ。


 けれど、瞳の奥底に抗えない神秘的な雰囲気オーラがある。

 ルーカスはどうしようもなく惹き付けられた。魅入ってしまった。



『愛しい子らよ 涙をすくって

 魅せましょう まほろばの幻夢』



 歌声も心地よくて、耳朶に染み入る優しい音だ。



『嘆き苦しみはここにない

 現世うつしよを忘れ 穏やかなる時に微睡みなさい』



 段々と意識にかすみが掛かり、遠退いていく。



『お眠りなさい 愛し子よ

 マナのゆりかごにいだかれて——』



 その一小節を最後に、ルーカスの意識はプツンと途絶えてしまう。


 意識を無くす前に見た彼女は、こちらをうれいて眉根を下げており、勿忘草色の瞳をうるませていた。



(……これが、俺とイリアの……出会いだ)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る