第二十七話 崩壊の足音



「——くそ! どうして機能しないんだ!!」



 祭壇さいだんに上がってまず始めに聞こえたのは、ノエルの怒声だ。


 ノエルは操作盤パネルに手を付いてわなわなと震えており、宝珠セフィラが安置してあったと思われる中央の台座には、黒ずんだ破片が散乱していた。


 彼のかたわらに控えたアイゼンも神妙しんみょう面持おももちである。



 周囲に浮かぶ画面には、赤黒く染まる禍々しい空模様、魔獣の群れが都市部を襲っている様子、地震の影響か崩落する大地など——。


 現在、各地で起きていると思われる異変が映し出されていた。



「状況は……どうなっているのですか?」



 ルーカスがたずねるも、ノエルは切歯扼腕せっしやくわんとするだけで、答えない。


 見兼ねたイリアがノエルの隣へ移動して、文字の羅列された操作盤パネルを指先ではじいた。


 眼前の画面に次々と古代語と図形・数字が表示され、勿忘草わすれなぐさ色の瞳が、それを追う。


 ルーカスはイリアの斜め後ろから、その様子をのぞき込んだ。



「イリア、どうだ?」

疑似宝珠ぎじセフィラが機能不全を起こしていて、改変した術式は使えない。みんなからマナを吸い上げる心配はなくなったわ。

 ……だけど、」



 険しい表情を浮かべたイリアが言葉を続けようとしたところで、大地が大きく振動した。



「この地震、宝珠セフィラを失って、術式が揺らいでいるせいね。

 出力を下げて、結界はまだたもたれているけど……このままだと——」



 イリアの眉間に寄ったしわが深くなり、うつむいたノエルがみ千切る勢いで下唇に歯を喰い込ませた。


 あらゆる要素が告げている。


 術式改変リベレイションによる命の危機がなくなったのだとしても、手放しで喜べる状況にはないと。






 揺れが収まった後。


 イリアは画面へ向けた視線をここより上方にあるもう一つの祭壇にまつられた、七色にきらめく魔輝石マナストーンへと向けた。



(……あの魔輝石マナストーンは)



 対峙たいじ前にノエルが、神聖核コアに関する話をした際に見上げたものだ。



(失われた宝珠セフィラと、神聖核コア——)






『〝神聖核コア〟はね、術式を安定稼働させるための——装置パーツなの。

 惑星規模の術式を維持するには、莫大ばくだいなマナが必要で、宝珠セフィラ要石かなめいしとして世界のマナを円滑えんかつ循環じゅんかんさせる役割をになうと同時に、エネルギーの供給源でもある。

 それが失われて、不足をおぎうために、捧げられるようになったのが〝神聖核コア〟。

 一定の間隔で代替えがおこなわれていて、女神の血族の女性——正確に言えば【女教皇】の神秘アルカナ宿やどした者から選ばれる、人身御供ひとみごくうの生体装置。

 ——ようするに、生贄いけにえよ』






 二つの関連性について、イリアの語った言葉が思い起こされた。


 イリアは——何かを決意したような面持おももちで、魔輝石マナストーンを見つめている。


 事態の終息に必要な事はなにか。


 考える事を放棄した〝もしも〟がルーカスの脳裏に浮かんで、心臓が嫌な鼓動を響かせる。


 ——再度、大地が鳴動した。


 小刻みな揺れの中、おもむろにイリアが歩き出す。

 頂上へと続く階段に向かって。



「イリア!!」

「姉さん!!」



 ルーカスとノエルは、イリアの片方の手を同時に掴んでいた。


 この窮地きゅうちにイリアが何を決意し、何をそうとしているのか。



(イリアは……イリアは!

 ——みずからを神聖核コアとして、世界を救うつもりだ!!)



 辿り着いたのは、最悪の結論。

 「思い込みだった」と、自分に言い聞かせ、目を背けた覚悟の正体。


 ルーカスはイリアの手首を掴む力を強めた。



「二人とも、離して。このままだと、手遅れになるわ。

 その前に、私が神聖核コアとなって、術式の再起動を——」

「ダメだ……ダメだ、ダメだ、ダメだ、ダメだ!! それだけは、絶対に!!」



 前を向いたままのイリアがりんとした高音域ソプラノを響かせたのに対して、ノエルは低音域テノールの、悲痛な合唱コーラスかなでた。


 イリアが「手遅れになる」と言った様に、視界の端にある画面へ映し出される情景は、終末を予感させるものばかりだ。



「不足しているマナは、改変した術式でおぎなえるんだ!! 姉さんが、身を捧げる必要はない!!」

「どうやって? 疑似宝珠ぎじセフィラは機能不全を起こしている。術式改変リベレイションは失敗したのよ。

 おまけに、疑似宝珠ぎじセフィラが従来の術式に干渉、再形成された小径パスにも異常が出始めているでしょう。

 放っておけば、ゆりかごを構築する制御機構システムそのものが瓦解がかいするわ」

「それでもだ! 僕が、僕が何とかする!

 だから、やめてくれ! 姉さん!!」



 青い灰簾石タンザナイトの瞳を動揺に揺らしたノエルが、イリアの背にすがりついた。


 傲慢不遜こうまんふそんで自信満々に振舞っていた姿が、嘘みたいだ。



(いっそ俺も、ノエルの様にわめく事が出来たら……)



 それが出来ないのは、何故か。



(今更、イリアと世界を天秤にかけ、イリアを選んだとしても——。

 …………何も、救えない)



 ただ、イリアの覚悟を踏みにじるだけ。

 そして世界は、無意味な滅びを迎える事だろう。


 それだけに、ルーカスは言えなかった。


 「行くな」と。



(……最初から……ノエルに協力していれば、良かったのか?

 綺麗事など並べず、彼のようにうらまれる覚悟で……)



 わからなくなる。

 どうしてこんな事になったのか。


 自分は何の為に戦っていたのか。

 

 ルーカスは空いた片手の拳をあらん限りの力で握り締めた。



「ノエル、ごめんね」



 振り返ったイリアが、幼子おさなごをあやすようにノエルの銀糸を撫で——。



『お眠りなさい、いと

 マナのゆりかごにいだかれて


 せるはまほろばの幻夢げんむ

 なげき苦しみはここにない


 現世うつしよを忘れ おだやかなる時に微睡まどろみなさい

 愛し子よ……』



 耳朶じだへ染み入る旋律せんりつは、聞き覚えがあった。


 鎮魂歌レクイエムあるいは子守歌ベルスーズとして、過去イリアが歌った事のあるものだ。



「ね、え……さ……」



 唱歌しょうかは対象者を眠りへいざなう。

 歌声を聞いたノエルの体が、均衡バランスを失い崩れ落ちた。


 その体を、事の成り行きを静観していたアイゼンが、地面と衝突する前に受け止めた。



聖騎士長せいきしちょう——いいえ、アイゼン叔父おじ様。

 ノエルの事、お願いね」



 「叔父おじ様」と呼ばれて、アイゼンが驚愕きょうがくとしている。


 神聖核コアとなったアイゼンの妻は、イリアとノエルの血縁者だ。


 幼少期に面識があって、記憶を取り戻した彼女がアイゼンを覚えていたのだとしても、不思議ではない。


 アイゼンの瑠璃色ラピスラズリの瞳から、大粒のしずくが流れ落ちた。

 

 ——そうして、アイゼンはイリアと言葉を交わす事なく、唱歌で眠らされたノエルを抱え、階段を下って行った。






 イリアと二人きりになったルーカスは、捕まえた細い手首を握って俯いたまま動けなかった。


 甲高かんだか警戒音アラートと、地鳴りの重低音が、舞台にずっと鳴り響いている。



「……どうして、俺を眠らせなかったんだ」



 ノエルのように、歌で眠らせてくれたら良かったのに、と思う。



「イリアは……最初から……神聖核コアになるつもりで……」



 様々な想いが駆け巡り、何を話したらいいのか思考がさだまらない。



「そう……ならない事を願っていたけれど、可能性の一つとして、常に覚悟はしていたわ」

「どうして……言ってくれなかったんだ……。

 機会は、あっただろう……!」

「……ごめんね」



 イリアの手首を握るルーカスの手に、もう一方のイリアの手が重ねられる。


 顔を上げると、朝露あさつゆを溜め込んだ勿忘草わすれなぐさ色の瞳があった。


 今一番辛いのは——イリアだ。

 彼女を責めるような発言をした事を、ルーカスは悔いた。


 それに、本当は薄々気付いていたのだ。


 予期せぬ事態が発生して術式に何かあった場合、イリアがどのような行動を取るのか。

 向き合おうとしなかっただけで。






 これは、耳当たりの良い言葉を並べ立て、都合良く解釈する事で己の心を守ろうとした、臆病者の末路だ。


 後悔が波の様に押し寄せて、思考と心を埋めて行く。


 だから、イリアが別れ際に話しかけた言葉は、ルーカスの耳にほとんど届いていなかった。






 ——ただ、最後に。



「大好きだよ、ルーカス」



 と、つむがれた想いと、柔らかな唇が己の唇に重ねられた感触が、ルーカスに忘れ得ぬ熱を残した。

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