第二十六話 継承

 アインの短剣に貫かれたツァディーの容態はかんばしくなかった。


 ツァディーの胸、心臓の位置には鮮血の紅彼岸花リコリスが咲いている。


 警護に付いたフェイヴァとシャノンが見守る中、イリアとリシア、二人掛かりで治療を施しているが——。



「ツァディー! しっかりして!」

「治癒術の効果が薄い……!

 この短剣……毒……いえ、呪詛じゅそですか?」

「〝アイフェのとげ〟よ。穿うがたれた者を死へいざなう呪詛がかけられてる。

 私も記憶を封じられた時、この短剣で……」

「なるほど……刺された場所も問題ですね」



 回復のきざしが見られず、緊迫感を漂わせた二人の頬を汗が伝った。


 治癒術は適性のある者にしか使えない。

 呪詛についても、ルーカスは専門外。

 基礎的な知識しか持ち合わせていない。


 ルーカスに出来るのは、一人の少女の命を救おうと懸命に戦う彼女達を応援する事だけだった。



「シェリルを呼ぶわ! シェリルの力なら、治癒術の効果も底上げ出来るはず……!」



 シャノンがまぶたを閉じる。

 同調アコルディの魔術による精神感応テレパシーで呼びかけているのだろう。


 不意に、大地が振動した。

 波打つ揺れ。立っていられない程ではないが、それなりに大きい。


 「ゴゴゴ」という重低音も鳴っている。

 揺れも音も、ここに来て何度体験したかわからない。


 ルーカスは身構えて、周囲を警戒した。


 地震はゲート出現の前兆となる場合もある。

 撤退したと見せかけて、アインが潜んでいる可能性がゼロとは言い切れない。



「……レーシュ……行……て」



 そこへ笛のように鳴る呼吸音と弱々しいつぶやきが聞こえた。



「貴女には、……貴女の、役目が……。

 ……手遅れ……に、なる……に、ノエル……様の……ところ……っぅ!」



 言葉を絞り出したツァディーの口から、赤き血潮ちしおこぼれた。

 まるで生命いのちが零れ落ちるかのように。


 ツァディーの言葉に——イリアは治癒術を行使するためにかざした手を、下ろした。



「イリアさん!?」



 焦燥感をあらわにしたリシアの、夜空のような黒瑪瑙オニキスの瞳が「何故?」と問い掛ける。


 だが、治療の中断がイリアの本意でない事は、悔し気な表情からありありと伝わってきた。



「ツァディーの、言う通りよ……。私は、私の役目を、果たさないと」

「で、でも……!」

「リシアちゃんにこの剣を預けるわ」



 イリアはさやに納めた愛剣をリシアの膝の上へ、静かに乗せた。

 リシアは口にしないが「どうして、剣を」と困惑している。



「この宝剣は魔術師の杖と同じように、魔術の効果を増幅する効果がある。

 せめて、これで……」



 唇を噛み拳を握り締めて、イリアが立ち上がった。


 そして、彼女は振り返らず、後ろ髪引かれるように銀糸をなびかせてルーカスの下へ。


 辿り着くと、うるむ瞳でルーカスを見上げて、震える唇で告げた。



「行こう。ノエルのところへ」



 気丈に振舞っているが、隠しきれない悲しみの感情が、整った顔を歪ませていた。


 既にシンという犠牲を払っている。

 その上でツァディーまでもとなれば——。



「イリア……」



 同じ使徒として、シンやツァディーと少なからず交流があっただろうイリアの胸中を思うと、やりきない気持ちになった。

 

 けれどなぐさめの言葉を掛けたとしても、気休めにもならないだろう。

 ルーカスはただ、泣きそうなイリアを抱き締める事しか出来なかった。







 靴音を鳴らしてやって来たシェリルと入れ替わるように、ルーカスはイリアと共にノエルのいる祭壇を目指して歩む。


 イリアの盾を名乗るフェイヴァも、距離を開けて後ろに続いた。


 ——大地が定期的に揺れている。

 警鐘も鳴り止む気配がない。



(事の全容を掴み切れていないが、アインは宝珠セフィラを破壊したと言っていた。

 惑星延命術式女神のゆりかごに問題が生じているのは……明らかだ)



 けれど〝もしも〟と想定される最悪の事態を考えてしまえば、動けなくなる気がして——ルーカスは無心で歩いた。


 そうして、祭壇へ上がる階段に足を掛けようとした時。


 後方から光があふれた。


 光量に驚いて振り返る。

 と、少女達の居る場所から光の御柱みはしらが立ちのぼっていた。


 陽光のように暖かく、清浄なる白き光。

 不思議とルーカスは理解した。


 彼の——【審判】の神秘アルカナを継承した使徒が、新たに生まれた事を。



「女神の慈悲……。強き思いにこたえ、願いを叶える神秘アルカナの祝福——か」



 狙ったようなタイミングだ。


 シャノンとシェリルが神秘アルカナを授かった事といい、女神はすぐ傍で自分達を見ているのでは、といぶかしんでしまう。


 光を目撃したイリアが胸に拳を当て「……女神様……」と祈った。


 差し込んだ希望の光に、奇跡を願わずにいられなかったのだろう。



治癒術師ヒーラーとして確かな腕を持ったリシアのもとに、イリアの宝剣、シェリルと【審判】の神秘アルカナ能力ちから。これだけの要素が揃ったんだ、きっと大丈夫さ」

「……うん」



 イリアは少しの時間、まぶたを閉じて祈りを捧げた後、「フェイヴァ」と、側に控える従者の名を呼んだ。


 即座にフェイヴァは片膝を付き、「はい、レーシュ様」と跳ねっ気のある癖毛くせげに目が行く黒柿ブラウンの髪のこうべを垂れた。



「私が戻るまで、リシアちゃんを守ってあげて」

「……承知しょうちしました」

「お願いね」



 フェイヴァは下された命令に疑問を投げる事なく、颯爽さっそうきびすを返して行く。


 【審判】の使徒は、絶大な治癒能力を発現する。

 秘奥ひおう復活レナサンス〟を抜きにしても、戦局を左右する力があるのは間違いない。


 ゆえに、もっとも敵に狙われやす役柄ポジションだ。


 襲撃を警戒して対策を講じたのだろうとルーカスは納得して、歩みを進めた。


 一段ずつ確実に、段を踏みしめて階段をのぼる。


 頭上に浮かぶ画面へ映し出される外の様子と、うるさく鳴り続ける警告音アラート、耳に届いた「ダンッ!」と思い切り何かを叩き付ける打音に、不安をあおられながら——ルーカスは祭壇さいだんへと至った。

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