第二十二話 終焉の鐘が鳴る

 〝ゲート〟——魔獣を生み出す現象。


 世間ではそのように認識されているが、正しくは空間を繋ぎ、クリフォトより魔獣まじゅうを呼び寄せる現象だ。


 これの発生についてはアディシェス帝国、ひいては魔神まじん心棒しんぼうするエクリプス教が絡んでいると、調べがついていた。


 そして、ディアナが帝国の出身である事も——ノエルは知っていた。






 けれども、まさか。

 まさか、彼女が——。



「ディアナ……どういう、事だ!?」

「どう、と問われましても。御覧ごらんの通りです」



 こちらをあざけるように、彼女は微笑した。


 階下にいくつものゲートが生成され、混乱の交響曲シンフォニーかなでられている。


 が、音は耳を通り抜けて行き、状況を把握するには至らない。


 「何故?」「どうして?」と渦巻く疑念がまさった。



「君は、女神の使徒アポストロスで、僕の、僕が——!」



 ノエルは奥歯を噛み、拳を握り締めた。


 彼女との出会いは、教団に来て間も無くの事だ。


 ノエルの世話係に選ばれた、名も無き子ども。

 宿した【悪魔】の神秘アルカナ忌諱きいされて、親に打ち捨てられた使徒アイン。


 そのように認識していた。


 彼女の——〝ディアナ〟と言う名は、ノエルがおくったものだ。

 主従のちぎりの、証として。


 枢機卿カーディナルの命を受けて時々、不穏な行動を見せる事はあったが、彼女が裏切る訳はないと信じていた。


 共に過ごした歳月で作り上げた絆が、重ね合わせたぬくもりが、そう思わせた。


 ——だというのに。



「一体、いつから……っ!」



 彼女は自分をあざむいていたと言うのか。


 ノエルは胸の痛みに、息苦しさを覚えた。



「……最初からですよ。

 ノエル様と出会ったのは、偶然ぐうぜんじゃありません。

 私の能力ちからをお忘れですか?」



 忘れるはずがない。

 使い勝手の良い力に、何度頼ったかわからない。



「精神操作……呪い……幻影……魔術」

「ええ、そうです。

 人をだまし、暗躍あんやくするには打ってつけの能力ちからですよね。

 面白かったですよ? 人を意のままに操るというのは。

 女神の使徒アポストロスみんなの思考を誘導するのは、ほんの少し手間でしたけど。

 ああ、そうそう。もう一つ、面白い事を教えて差し上げますね」



 欠けてゆく月の様に口元を三日月へと変えて、ディアナは告げる。



隷属れいぞく呪詛じゅそ

 あれを枢機卿すうききょうに教えたのは、私です」



 ノエルは「ひゅっ」と吸い込んだ息を詰まらせ、耳を疑った。


 ノエルが屈辱くつじょくを耐えしのんでまで、枢機卿団カーディナルに従わざるを得なかった最たる原因——。


 術者の命をけて対象者を痛みと恐怖で縛り、人の尊厳そんげんを踏みにじって意のままに従わせる邪法、隷属れいぞく呪詛じゅそ



「君……が……奴らに……」



 声が震えて、音が上手く出せない。



「ノエル様の不幸は全部、ぜーんぶ!

 ……仕組まれていたんです。

 ノエル様は、レーシュが一番大切。

 それ以外はどうなっても構わないとおっしゃりながら、ふところに入れた者には甘いですよね?

 それが、貴方の弱点。敗因ですよ」



 信じがたい事実に体中の熱が引き、頭が真っ白になった。


 人は容易たやすく人を裏切り、どこまでも残酷になれる。

 そのことは、枢機卿すうききょうを見て十分わかっていた。


 だから、情に流されてほだされる事のないように、人とのえにしは利害関係を重視した。感情を凍らせて。


 ディアナは、それでも心を許した数少ない相手だった。



「僕、は……」



 何を、思えばいいのか。

 白紙となった頭では思考できず、様々な感情が巡る心はぜだ。



嗚呼ああ……! 素敵なお顔です、ノエル様。

 貴方は絶望している姿が一番、美しい」



 悪魔が恍惚こうこつと笑っている。

 頬をラナンキュラスの花のように赤く染めて。


 自分が今、どのような表情を浮かべているのかなんて、知りたくない。



「話が長くなりましたね。

 さあ、終焉しゅうえんの幕開けに、鐘を鳴らしましょう」



 ディアナが右手を垂直にかかげた。

 と、ちゅうに幾つもの黒塗りの短剣が出現する。


 円をえがいて舞うそれのうちの何本かが、術式の要石かなめいしである宝珠セフィラ目掛けて、飛んで来た。



「——やめろ!!」



 突きつけられた事実に打ちのめされていたノエルは、一瞬、反応が遅れた。


 それが、致命的なミスをまねく。


 ノエルは神槍を作り出して短剣を撃ち落としたが、撃ち漏らした最初の一本が、宝珠セフィラへ突き刺さったのだ。


 宝珠セフィラは短剣から色移りしたかのように、たちどころに黒ずんでゆき——。


 音を立てて、崩壊した。



『——警告。宝珠セフィラの接続が解除されました。小径パスに異常発生』



 警報アラートがけたたましく鳴り響く。



『術式の改変を破棄はき小径パスの再形成を実行——……成功しました。

 安定起動のためのマナが不足しています。ただちに宝珠セフィラまたは神聖核コアを接続、再起動してください』



 術式の改変は宝珠セフィラ及び、擬似ぎじ宝珠セフィラを基点としている。


 失われれば、成り立たないのは当然だ。

 すぐに立て直さなければ、これまでの努力が水泡へ帰す。






 それにはまず、障害ディアナを、排除しなければならない。


 ノエルは力をふるうため、彼女へ指を差し向けた。






 指先が冷えて、酷く震えている。

 こんな状況になって初めて、思い知らされた。


 自分で思っていた以上に、ディアナへ感情を傾けていた事に。

 裏切られたとわかってもなお、情を捨て切れないおろかな自分に。



(——今更、裏切りごときで揺らぐな!

 何を犠牲にしても——姉さんを守ると、決めたんだ!!

 不要な感情は切り捨てろ!!)



 ノエルは叫ぶ。



「ディアナァァッ!!」



 あらん限りの声量で。

 自らを鼓舞し、情を捨て去り、目の前の少女を殺すために。


 しかして、神槍を生み出して、ディアナへ放った。






 ——だが。


 照準の定まらない矛先ほこさきが、彼女を射貫いぬく事はなかった。



「僕は……僕は……ッ!!」



 苦しさだけが、胸に降り積もって行く。

 ノエルはままならぬ自身の感情と行動に葛藤かっとうした。



「……可哀想なノエル様。

 でも、大丈夫です。私が終わらせて差し上げますから。

 貴方の痛みも、哀しみも……死の安息が、いやしてくれる事でしょう」



 憐憫れんびんの眼差しを送る彼女が「パチン」と指を鳴らした。


 またたく間にノエルの周囲を、闇の霧で作られた魔獣の幻影が取り囲み、数を増やした黒塗りの短剣がくるくると舞った。



「おやすみなさい、愛しい人」



 こんなところで終わる訳にはいかないと、ノエルは我武者羅がむしゃらに槍を生成するが——。


 槍を放つよりも早く、魔獣の牙と短剣の雨が襲来した。






 迫るそれらが、ノエルにはゆっくりスローモーションになって見えた。


 この感覚は、何度か経験した事がある。

 危機に直面した時におちい錯覚さっかくだ。


 もうすぐそこに、自分を貫こうとする鋭利な刃が迫っていた。






 まるで時の流れが引き延ばされたような感覚の中で、終わりを予感した——次の瞬間。



氷翼の守護盾グラス・プロテネージュ!』



 ひやりとした冷気の防壁がノエルを包み、刃をさえぎった。


 次いで焼け付く熱気をまとった何かが幻影を切り裂き、短剣をぎ落として行き——。



「まったく、何がどうなってるのやらだわ」

聖下せいか、お怪我はございませんか?」



 桃色の髪をなびかせた瓜二つの少女、炎をまとった剣を構えた少女と、氷で作られた大盾を構えた少女が、ノエルの前へ降り立った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る