第十八話 イリアの覚悟

 開戦直前、エターク王国陣営。


 王国軍は国境前で、三日月をえがくように長く部隊を横へ広げ、せり出した左翼と右翼、そして左右と同じ線状の中央におとり部隊として、ゼノンとりすぐりの精鋭、魔術師隊が陣をいてた。


 〝鶴翼かくよくの陣〟と呼ばれる陣形に近い形だ。


 イリアは護衛の少女達と、盾を自称じしょうする使徒レーシュの補佐官・フェイヴァと共に、皇太子ゼノンのかたわらに控え、開戦のときを待った。



(戦場に立つのは久しぶりね)



 緊張でひりつく空気がなつかしく、それでいて物悲しさを感じた。


 ノエルが教皇となって、意図的に戦場から遠ざけられていた事。


 それと記憶を封じられていた期間、公爵邸こうしゃくていで過ごした日々が、教団にいた頃とは比べ物にならないくらいおだやかだったので、余計にそう思うのかもしない。



(アディシェス帝国は恐らく、世界を侵略しんりゃくしようと目論もくろむ魔神とつながっている)



 皇室とエクリプス教がその核だろう。

 だとしても、これからこの戦場で数多あまたの命が失われるのだと思うと胸が痛んだ。


 どんな大義をかかげようと、戦いはむなしい。



(でも、立ち止まる訳にはいかない。こんな戦い……早く終わらせよう)



 イリアは剣帯けんたいに収めた、女神の血族の姓〝エスペランド〟——〝希望〟の意味が込められた宝剣のつかへ手を添え、帝国軍が姿を現わすであろう地平線の彼方かなたを見つめた。






 ゼノン王子が「そういえば聞いたよ」と、話題を振って来たのは、そんな時だ。


 視線を彼へ向けると、精巧せいこうな造りの銀のよろいに身を包み、黒馬くろうまの馬上から見下ろす柘榴石ガーネットを思わせるあかい瞳と目が合った。


 暗雲が垂れ込める空模様に反して金髪ブロンドヘアは輝いており、さわやかな笑顔を浮かべている。


 「何のことだろう?」と首をかしげると、彼は笑みを深めた。



「おめでとう、イリアさん。ルーカスと上手く行ったんだってね?

 ルーカスも水臭みずくさいよね、切迫した状況とは言え、こんな大事な事を教えてくれないなんてさ」



 イリアは目を丸くして、まぶたまばたかかせた。


 ゼノン王子の向こう側にはルーカスの父、王国軍の元帥げんすいであるレナート公爵こうしゃくと、ラツィエルから騎士をひきいて合流したユリエル夫人がいる。

 二人は目をみはりこちらを見ていた。


 他にも多数の兵士から向けられた視線がある。

 どう考えても開戦前の場でする話ではない。


 ルーカスと恋仲になった事は、まだ彼の両親へ正式に報告していない。


 思いがけず特務部隊の団員には知れ渡ってしまったが、一体何処から話を聞きつけたのか。


 イリアが振り返ってシャノン、シェリルに視線を向けると、首を思い切り横へ、桃髪ごと振り回して否定している。


 二人が話した訳ではなさそうだ。



「イリアさん、本当なの!?」



 双子の姉妹へ視線を向けている間に距離を詰めたユリエルがイリアの両肩を掴んだ。


 あざやかに輝く柘榴石ガーネットの瞳と、歳不相応に美しく瑞々みずみずしい顔が目の前に移り込む。


 期待に満ちた視線と表情を浮かべるユリエルを見て、話題を振ったゼノン王子をイリアはほんの少しうらめしく思った。


 ——確約出来ない未来に、どうしても後ろめたさがある。



「真っ先におはなしするべきだったのに、ごめんなさい」

「いいのよ、そんな事。不器用な子だけど、ルーカスをよろしくね、



 目尻と口元を優し気にほころばせて喜ぶユリエルの姿を直視出来ず、イリアは視線を落とした。



「……でも、私……」



 この身にせられた運命——。


 〝神聖核コア〟の真実が、わだかまりとなって胸につかえた。



(ノエルは絶対に止める)



 ノエルがやろうとしている事は、端的に言えば生贄いけにえとなる対象をすり替えただけ。


 誰かに犠牲をいるやり方は、望むところではないし、ノエルに罪を背負わせる訳にはいかない。



(私のために道を踏み外すと言うのなら、その間違いを正すのも、姉である私の役目)



 だからと言って、闇雲に反しているだけではなく、打開のための案も考えてある。


 けれど、その案も必ずしも上手く行くとは言い切れず、不確実である事もまことだ。



(そうなった時、私が選ぶ道は——)



 かつてのように、自分自身をないがしろにするつもりはない。

 けれど、断言出来る。



(選択を迫られれば、私は……その時に取れる最善を、選ぶ)



 ルーカスを、身近な人達を悲しませる事になったとしても、この覚悟が揺らぐことはない。


 だからこそ彼の母であるユリエルが寄せてくれる信頼に、こたえられないかもしれないと思うと申し訳なくて。


 想定しる最悪の状況に、心が痛んだ。






 そんな痛みをやわらげるかのように——ユリエルの腕が、イリアを包み込んだ。



「貴女が大変な使命をっている事は聞いたわ。だけど一人でかかえ込まなくて良いの」



 背へ回された腕に力が籠もり、きつくき締められる。


 イリアは自然とユリエルの肩へ顔を寄せる形となり、彼女がまとった赤の軍服から、お日様の香りがした。



「これからは私とレナート様を本当の親だと思って、甘えて良いのよ。

 ね? レナート様」



 ユリエルが少し体を離すと、いつの間にかその隣へと歩み寄った公爵の大きな手が、イリアの頭へと伸びて、優しく髪をでた。



「ああ。娘が増えて喜ばしい事だな。帰ったら二人のお祝いを兼ねて、うたげの席をもうけよう」



 見上げれば軍議の場などで見せる、いかめしい元帥の面影おもかげはなく、強面こわもてを印象付ける顎鬚あごひげに似合わないやわらかな笑みを浮かべていた。


 乗せられた手と、衣服越しに伝わる体温、心遣こころづかいが暖かい。


 腹芸を得意とする枢機卿すうききょうを見て来たからこそ、わかる。


 二人の一挙一動いっきょいちどうよどみない真っ直ぐな瞳と声色こわいろが、義務的な優しさではない、純粋な好意を、自分を本当に娘のように想って心を砕いてくれているのだ、と伝えて来る。


 目頭が熱くなった。

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