第十七話 術式改変≪リベレイション≫を始めよう

 女神の使徒アポストロスというとりでを失って——ノエルは狂ったように笑い声を響かせた。



「おいおい、教皇さん狂っちまったか?」

「元より正常な思考とは言えませんでしたが……」

「追い詰められてやけっぱちっすかね?」



 ディーン、アーネスト、ハーシェルの三名の声が後方より聞こえた。

 ルーカスは視線をほんの少し横へずらす。


 一班のみなが戦っていた場所には、地面に倒れているシンとヌン、ラメドとベートを拘束するロベルトとツァディーの姿があった。


 真逆の方向では、負傷してひざを折ったまま動かないアイゼンがいる。


 残った女神の使徒アポストロスは教皇であるノエルとアインのみ。


 だというのに、ノエルは

 彼の腕に絡みつくように身を寄せたアインからも、「くすくす」と耳に付く笑い声が聞こえた。



「フフッ、何か勘違いしているみたいだね?」



 笑いをこらえてこちらを見たノエルに、焦りの色はない。

 どこか余裕すら感じさせる風貌ふうぼうだ。



「『まずは』と言ったんだ。僕が力をふるわないとは、一言も言っていないよ?」



 ノエルが左腕を真っ直ぐ伸ばし、手をかかげる。


 見せつけるように開かれた手のひらには——くっきりと聖痕せいこんきざまれていた。



平伏へいふくせよ、愚民ぐみん



 威圧感いあつかんのある声が響く。

 まるで脳へ直接働きかけるような命令に、電撃が走って体の自由が奪われ、自分の意思とは関係なく動いた。


 を握る手から力が抜け、すべり落ちたかたなが床と当たって陶磁器とうじきが割れたような音を立てる。


 みなも同様に握った得物を手放しており、金属の音が多重奏アンサンブルとなって反響した。


 続いてひざを折って両手を床へ、頭も床にり付ける形となる。

 言葉通り〝平伏〟させられた。



(この力は、何だ……!?)



 何故か、声をはっする事も出来なくなっている。


 体が委縮いしゅくして、逆らえない。

 指一本、動かせなかった。



「さぞ不思議だろうね? 種明かしをしてあげるよ。

 姉さんもお前も、神秘アルカナふたつ宿しているだろう?

 僕もそうさ。これは【皇帝】の能力ちから

 カリスマと畏敬いけいって、僕の命令を遵守じゅんしゅさせる力だ。

 お前が強靭きょうじんな精神力を持っていたとしても、使徒の本能とあわせたら……。

 フフ、あらがえないよね?」



 ルーカスは頭を上げられない。

 視界に広がるのは無機質な床の色、そして笑い声と靴音が耳朶じだに触れる。



「さて、これでわかっただろう? 茶番は終わりだ」



 ビリビリと肌を刺すマナの高まりを感じた。

 天を裂く雷鳴のような音も聞こえる。



(くっ……このままでは……! 動け!!)



 だがやはり、指も足も微動だにしない。


 ノエルが何か仕掛けて来るとわかっていても、体は凍結フリーズしている。



謀叛むほんくわだてる者よ、罪咎ざいきゅういて眠れ。

 天罰の神槍ネメシス・ディ・リラディオ



 感情の乗らないことつむがれ——苛烈かれつな痛みがルーカスを襲った。



(——ぐ、うあッ!)



 体の至るところに何かが突き立てられている。


 突き刺し、肉をえぐり、あぶられたように熱を持った痛みが全身を駆け巡った。

 生温なまあたたかい液体が皮膚を伝う感覚もある。


 それでも体を動かす事は出来なかった。



「うぅ……ッ! ノ、エル……!」

「あぁ、姉さん。もう動けるの?

 同じ女神の代理人だから、使徒の本能が働かないせいか」



 「カツン」という靴音が聞こえる。

 イリアの方へ向かっている。



「やめて、お願い……っ!」

「ダメだよ、姉さん。危ないだろう?」

「ノエル、もう、やめてっ!」

「はぁ、仕方ないな」

「や、何するの!? いや!!」


(イリ、ア……!)



 彼女の悲痛な叫びが鼓膜と心を震わせた。

 が、依然として体は言う事を聞いてくれない。


 ノエルがイリアを手酷てひどく扱う事はないと思うが、音だけでは何が起きているのか知る事は出来ず、気持ちがさざめき立っていく。


 かくして「カラン」と金属を打ち付けつける音の後に、無音の時が流れた。


 脈打つ鼓動が早まる。



(くそ! 動け、動け……!!)



 痛みと苛立ち。

 視認出来ない状況に、ルーカスは気が狂いそうだった。



「……いい子だね。ここで大人しく見ていて。

 大丈夫、すぐに終わらせるよ」



 「ドサリ」と重みのあるものが落ちる、あるいは倒れる音がした。



「あらら、ノエル様ってば大胆。けちゃうなぁ」

「効率よく力を作用させるためだよ」

「言い訳、ですよねぇ。バレバレですよ?

 女神の血族は近親婚も普通だったみたいですし?」

「ディアナ。たわむれが過ぎるぞ」



 愉悦ゆえつにじむ鈴の音を、冷めた声色がとがめた。


 イリアの身に何が起きたのか。

 ノエルが彼女に何をしたのか。


 彼らの会話から推察すいさつするしかないが——。


 連想された答えにみにく嫉妬心しっとしんき上がる。


 ノエルがイリアへ向ける〝愛〟が、親愛を超えたものである事は理解していた。


 理解していたが、実際に突き付けられると、泥のように重くまとわり付いて離れない、どす黒い感情が胸に渦巻く。


 それに——イリアが泣いているような気がした。



(彼女の願いを叶え、未来を切り開くと誓った。

 だというのに、俺は……!)



 まんまとノエルの術中にまった不甲斐ふがいない自分にも腹が立つ。

 新たな神秘アルカナをイリアが目覚めさせてくれたのに、これでは意味がない。



(この身に宿る力は、何のためにある!

 大切な人を、守るためだろう!

 頼む、動け! 動いてくれっ!!)



 想いが螺旋らせんのように巡った。

 怒りが体中の血を沸騰ふっとうさせていく。



「……ノ……ル、やめ、て……」

「あはっ! まだ意識があるのね?

 流石レーシュ。精神力の高さはピカイチね!」

「心配しなくても、ここにいる彼らの命は取らないよ。

 彼らへの褒美ほうびだ。頑張りには報いないとね」

「……っ……う!」



 「そうじゃない、違う!」と叫ぶイリアの声が聞こえるかのようだった。

 けれども、イリアの想いはノエルに届く事はなく。



「姉さんと話したい気持ちは山々だけど、まずは術式改変リベレイション完遂かんすいしないと。

 終わったらゆっくり話そう」

「さあ、眠って、レーシュ。

 次に目が覚めた時には、きっと素敵な世界が待っているわ」



 一陣の風が吹き——静寂せいじゃくが訪れた。






 しばしの間を置いて。

 足音と気配が遠ざかって行く。

 ノエルは祭壇へ上がり、事を進めるつもりなのだろう。


 止めなくては、と焦燥感しょうそうかんに駆り立てられた。


 しかし、何も出来ぬまま、時は無情に過ぎて——。






 いつしか、パール神殿の宝珠の祭壇セフィラ・アルタールで聞いた不安をあお甲高かんだかい音色が、場をにぎわせた。


 そののちに大地が震え、地の底から重低音が鳴り始める。


 術式改変リベレイションが進行しているのだと、理解した。

 このままでは取り返しが付かなくなる。



 (こたえろ、神秘アルカナ! 女神!!

 神秘アルカナは、願いを叶える祝福なんだろう!?)



 彼女はそううたっていた。



(——いや、女神なんぞにすがるな!)



 女神は確かに存在するだろう。

 さりとて、不確かなものに願掛けしても、現実となる保証はない。



(俺は……俺の想いは、力は……っ!

 何者にも縛られない、俺のものだ!!)



 未来をひらくのは、いつだって自分自身だった。

 神秘アルカナという力があっても、それは変わらない。


 選択するのは、己だ。

 だからこそ、信じなければ。

 

 自分を。


 力に翻弄ほんろうされず、縛られず。


 打ち勝つ強さが自分にはあるのだと。

 体を動かすため、思い、伝達し、足掻いた。



(……動け、動け、動け!

 動け!! 動けッ!!

 ——動けッ!!)



 「バキン」と、質量のある物を砕くような音がして、直後、わずかに指先が動いた。


 ルーカスの心に希望がともる。






『……其方そなたは強いな【世界タヴ】。

 れど、心せよ。

 この先の道は……』



 懸命けんめいに抗う中、かなし気なささやきが聞こえた。

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