第十二話 記憶喪失
ルーカスは直前の己の行動を
感情に
イリアが目覚めたと
イリアのあんな姿を見るのは初めてだった。
——
一年前、
二人は主従の間柄だったが、聖下は生前「あの子は孫みたいなものなんじゃ」と語ってイリアを気にかけており、彼女も聖下を
大切な人の死を前にしても涙を見せず、強く在り続けた彼女。
(——それなのに何故?)
思い当たるのは、対面するファルネーゼ卿だ。
状況的に彼が何かしたのではないかと、ルーカスは
いつだって
激しく熱い——怒りの感情。
烈火の
ビオラが誤解だと慌てて止めに入ったが、怒りに
彼女を傷つける者は誰であろうと許せなかった。
例えそれが、幼き頃から知る間柄の親しい相手でも。
医師としてだけなく、一人の人間として築いた信頼関係が二人の間にはあったが、関係ない。
それほど彼女の涙が衝撃的だった。
自分でも歯止めの効かない感情。
——そんな愚行を止めたのは彼女だ。
「やめてください!」と、
「貴方が誰かはわからない。でも、お医者様は、悪くない!」
彼女の口から放たれた「貴方が誰かはわからない」と言う言葉。
——二度目の衝撃。
今度は雷に撃たれたような衝撃だった。
彼女が自分を認識していないと言う事実が、信じられなかった。
視線を向ければ、ビクリと肩が跳ね、手は震えており、
そこに
これまでの彼女とは違う——違和感があった。
自分を知らないと言い、まるで別人のように震える姿を目にして、怒りなど一瞬にして消え去った。
どういう事なのか、拘束を解いたファルネーゼ
彼女が涙を流した本当の理由は——いや、それより誤解して軽率な行動を取ってしまった事を恥じた。
視線を向けた時に見せた、
(……怖がらせてしまった)
また恐怖の色を浮かべていたら、と思うと怖くて、イリアに向ける顔が見つからず。
ルーカスはファルネーゼ
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
話をするためルーカスは応接室へ場所を移した。
そこは客人を迎え入れる場。
客室よりは小さいが落ち着いた内装に、観賞用の調度品や、本棚が備わっており、ゆっくり腰を
ルーカスはファルネーゼ
——そうして、三度目の衝撃。
予想だにしない事実を知る事となる。
「記憶が、ない?」
「はい。彼女の様子を見るに、手続き記憶と意味記憶——つまり経験や繰り返しで得られた技能やコツ、プロセスなど体で覚えた記憶と、一般知識や常識に関する記憶には問題ないと思われます。
ご自身に関する事、関わりのあった人物や自分が体験した出来事の記憶などを思い出せないようですな。
原因として考えられる事はいくつか挙げられますが——」
ファルネーゼ
(だから……俺の事がわからなかったのか)
まさかそんな事になっているとは思いもしなかった。
彼女があの場所に居た事、怪我を負った経緯も、記憶がないのでは聞きようがない。
(イリア……。一体、何があったんだ)
刃物で
政争、闘争、
——はたまた何者かの思惑か。
いずれにしても、彼女の実力を考えれば手出しできる者は限られていた。
(やはり事を
彼女の身の安全を考えて、安易な情報の公開は危険だと結論付ける。
教団に動きが見られないのであれば、
(そういえばこの一年、彼女は表舞台にあまり出ていない。
連絡も……職務に追われて、取った覚えがない、な)
ルーカスが特務部隊の団長に任命されたのも、丁度一年前。
慣れぬ職務と忙しい日々に、手一杯だった。
(ルキウス聖下の逝去と新教皇の就任。
表舞台から遠ざかった彼女。
そして今回の件……何か関係しているのか?)
意図的な
けれどまだ、どのような思惑が動いているのかわからない。
今は静観すべきだろう。
——いつの間にか部屋は静まっていた。
思案する事に夢中で、ファルネーゼ
考えはとりあえず置いておく。
彼女の事で気掛かりなのは、やはり記憶の事だ。
「……記憶は戻るのか?」
「なんとも言えませんな。要因によって対処法は異なりますが、今は安心できる環境を整えるのが一番大切です」
「安心できる環境、か」
彼女の記憶が戻るまで安全な場所を提供し、外敵から守り抜く事も。
今の自分であれば難しくない。
『もしこの先あの子が困っていたら、その時は手を差し伸べてあげてくれないか?』
いつか交わしたルキウス聖下との会話が思い起こされた。
今こそ約束を果たす時だ。
(何より、俺自身にとってイリアは大切な存在だ。
……だから、守りたい)
——ならばやる事は決まっている。
そう、決意を胸に、ルーカスは
「ファルネーゼ
言葉と共に立ち上がると、謝罪の意を込めて頭を下げた。
「顔を上げて下され。むしろ
「……
「はっはっは! 心配せずともわかっております。治療についても出来る限りを尽くしましょう」
彼女の事で
(どうも俺は、イリアの事となると周りが見えなくなるらしい)
一日に何度も同じような事を言われれば、嫌でも気付くと言うものだ。
「気を付けよう」と、一層の自制心を持って行動する事を、深く心に
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