終焉の謳い手〜破壊の騎士と旋律の戦姫〜

第五話 【太陽】と【悪魔】の円舞曲（ワルツ）

「王都での続きよ♪　遊びましょう、レーシュ」

　イリアが宝剣を手に駆け出すと、アインが軽やかなステップを踏み、親指と中指を擦り合わせる得意の〝指鳴らし〟で幻影の獣、魔狼（まろう）を作り出した。

　灰毛を逆立て、牙を剥（む）きだしにして一直線に向かってくる獣——イリアは魔狼を視界に捉（とら）えると、銀色に耀（かが）く剣身で放物線を描（えが）き、斬り捨てる。

　黒い霧の集合体である幻影は、剣に触れると容易く霧散した。

　だが、リズミカルに鳴らされた音によって、即座に新たな獣が生み出され、切り払うよりも速く幻影は数を増やして行く。

　四方から飛び掛かり食らいつこうとする魔狼へ、宝剣を振るってイリアは舞う。

　ひとつながりの線となった斬撃が、的確に幻影を霧へと還していった。

「剣舞も見事ね」

　上機嫌に笑ったアインが「パチパチ」と拍手をしている。

　戦いを享楽（きょうらく）と考える彼女の思考は、イリアには理解し難（がた）いものがあり眉を寄せた。

「アイン、貴女はいつもそう。そしていつも大事なところで私の邪魔をする」

　彼女の力は〝幻惑（げんわく）〟。

　幻影を生み出す事と、精神に作用する魔術を得意としている。

（記憶喪失（そうしつ）の原因となった呪詛（じゅそ）は、恐らく彼女の手によるもの。

　ノエルは私を守るためだと、ルーカスに説明したらしいけど……本当にそれだけ？）

　事を複雑にし、逼迫（ひっぱく）させた原因は彼女にあるのでは、とイリアは邪推してしまう。

「ふふ。私は与えられた役をこなしているだけよ？」

　愛らしくも耳に付く笑い声と「パチン」と指を鳴らす音がして、絶え間なく幻影が現れる。

　イリアは剣を水平に、体を捻（ひね）ってくるりと回転（ターン）。

　襲い来る獣を流れる動きで薙（な）ぎ払うと、アインを睨（にら）みつけた。

　彼女が何を考えているのはかわからないが、好きにはさせない——と、そんな意味を視線に込めて。

　するとアインは桃色の大粒な瞳の瞼（まぶた）をゆるりと下げ、頬を朱に染めて「心地良い殺気ね」と悦（よろこ）んだ。

「さすが、天使のような歌声で無慈悲に数多（あまた）の命を奪い、戦場を駆ける旋律の戦姫。

　さあもっと、一緒に歌って踊りましょう！」

　アインが両手を鳴らして魔獣を生み出した後、光沢のある黒いドレスの裾（すそ）を摘（つま）んでカテーシーを披露（ひろう）する。

『誘（いざな）うは、幻夢の舞踏会』

　そして桃色の口紅（リップ）で艶（つや）めく唇が、詠唱の文言を紡（つむ）ぎ始めた。

　得意の幻影魔術で、大質量の幻を顕現（けんげん）しようと言うのだろう。

　イリアは剣を振るう手を休めずに、幻影に対処すべく、魔術（うた）を紡（つむ）ぐ。

『紡（つむ）ぐは天（てん）より轟（とどろ）く雷鳴の賛歌』

　声に呼応して、周囲を満たす銀色のマナが紫色（ししょく）へ変化する。

　マナの密度が高いここでは術の行使も容易（たやす）く、イリアは弾（はじ）けるような音を発して放電するマナを源（みなもと）に、襲って来る幻影へ雷を落とした。

　手駒の数が減ったのを察知したアインは——。

『踊れ、踊れ、くるくると』

　ステップを踏んで詠唱を続ける合間に、指を鳴らして魔獣を生み出している。

『天空を翔（か）る雷霆（らいてい）　立ち塞（ふさ）がる者』

　イリアも歌声を響かせながら紫電（しでん）を走らせ、至近距離に迫った幻影は剣で切り払った。

『惑（まど）え、狂え、此処（ここ）はあなたの舞台（ステージ）』

『恐れよ　聖なる鉄槌（てっつい）』

　指を鳴らす音、落雷の轟音（ごうおん）等、戦闘音を伴奏（ばんそう）に、双方の詠唱（うた）が戦場に響く。

『暗霧より生まれ出でよ。さぁ、いらっしゃい』

『天より轟（とどろ）き　紫電の旋律となれ』

　イリアは魔術を行使するため謳（うた）いながら剣の軌道を舞わせ、幻影と踊る。

　奇（く）しくもアインが望む形ではあるが、彼女のように楽しむ感情はない。

　これまでは果たすべき使命のため。

　そしてこれからは使命と——思い描（えが）く未来を掴むために。

　澄んだ水面（みなも）を維持するが如（ごと）く冷静に、神秘（アルカナ）を輝かせて真摯（しんし）に力を揮（ふる）う。

　それがイリアの戦う理由。

　臨（のぞ）む想いだ。

『主演は——炎纏（まと）いし不死なる魔鳥（まちょう）！』

　鈴のような声が木霊（こだま）した。

　マナが空気を震わせて突風を吹かせ、黒い霧がまるで生き物のようにとぐろを巻いて集結していく。

　アインの魔術が完成する刻（とき）は近い。

　イリアは幻影の魔獣の位置を目視で確認すると、剣を頭上に掲（かか）げて——。

『神なる裁きの雷（いかずち）　闇を撃ち祓（はら）え』

　旋律（せんりつ）を紡（つむ）いだ。

　そうすれば目が眩（くら）む光量の紫や青白い稲光（いなびかり）と、耳をつんざく雷音が鳴り響き、魔獣目掛け天（てん）より雷（いかずち）が下（くだ）る。

　雷に撃たれた幻影は、一挙に掻（か）き消えた。

　そしてイリアは次の目標へ視線を移し、狙いを定める。

　——狙うは質量を増して行く黒霧（こくむ）の一塊（いっかい）とアイン。

『空想傀儡円舞曲（レヴリ・ド・ファントシュ・ワルツ）！』

　魔術の名が高らかに告げられ、霧が急速に集まって形を変えていくのが見えた。

　イリアは掲げた剣を振り下ろし、謳（うた）う。

　形作られようとする闇とアインへ向けて、雷光を降らせるために。

『いざ翔（かけ）よ　神聖なる雷光（ディ・アラージュ・エクレール）』

　歌声に導かれて、再度稲妻（いなずま）が走る。

　雨の如（ごと）く空から、幾重（いくえ）もの柱となって降り注いだそれは、樹木の幹から分かたれた枝に酷似（こくじ）しており、まるで聳（そび）え立つ大樹のように見えた。

　明滅する光の中、幻影はその形を成す前に霧散していく。

　幻影に関しては確実に仕留めたと、イリアは思った。

「芸術的な魔術……いつ見ても惚れ惚れするわね」

　どこからともなく、雷撃から逃れたのであろう少女の、鈴の声が響く。

　周囲を見渡せば——壁を覆い隆起する魔輝石（マナストーン）の中でも、際立って大きな結晶の尖った先端に、座るアインの姿。

　彼女は頬に手を添え、もう片方の手で肘を支えて、うっとりとした表情を浮かべ愛（あい）らしく首を傾（かたむ）けている。

「でもね、この前のようにはいかないわよ」

　瞼（まぶた）を三日月形に閉じて、アインが笑った。

　その言葉通り、雷が収まると霧散したはずの霧が再び集まり、幻影がその姿を空へ形成していく。

　——大（だい）の大人、数人分はあろう深蘇芳（ふかすおう）色の巨躯（きょく）に黄丹（おうに）色の輪郭（りんかく）。

　燃え盛る鶏冠（とさか）、反物（たんもの）のように長く伸びた尾羽（おばね）。

　そして躯体（くたい）よりも大きな、炎と見間違わんばかりの翼（つばさ）を持つ——魔鳥。

　伝承や御伽話（おとぎばなし）でよく語られる存在が顕現（けんげん）していた。

「御伽話（おとぎばなし）の悪魔。魔鳥・不死鳥（フェネクス）ね」

「そ♪　復活を象徴する神鳥でもあるわ」

　イリアは魔鳥を見上げて歌を口ずさみ、紫電を降らせて躯体（くたい）を滅（めっ）するが——。

　すぐに霧が集まって再生が始まり、その姿を取り戻していった。

「無駄よ！　不死鳥（フェネクス）は何度でも蘇（よみが）る」

　「あはは！」とアインの嘲（あざ）けり笑う声が落ちて来る。

　〝不死〟の特性もしっかりと投影されているらしい。

　火の粉を舞わせて羽ばたく魔鳥を、イリアは静かに見つめた。

『ギエェエ！！』

「レーシュ、存分に楽しんでね？」

　囀（さえず）りと言うには不快（ふかい）な鳴き声と、アインが軽やかに指を鳴らす音が聞こえる。

　そうして、黒い霧がイリアの周囲に立ち込め、そこから魔獣の幻影——魔狼（まろう）だけでなく、魔犬（まけん）や金獅子（きんじし）が次々と現れて、イリアを取り囲んだ。

（無制限・無尽蔵（むじんぞう）に思える勢いで幻影を生み出し、操るアインの力。やっぱり厄介（やっかい）だわ）

　そこに付け加えて、闇に紛れる瞬間移動のような能力も持っているため、補足したと思っても逃げられる。

（……持久戦になりそうね）

　イリアは頭上から滑空（かっくう）する魔鳥と、襲い掛かって来る魔獣を視界に収めて——〝雷鳴の賛歌（うた）〟を響かせた。