第一部 第五章 女神のゆりかご

『間奏曲 悪魔達の狂詩曲≪ラプソディ≫①』

 闇——魔に魅入みいられた者達がこのむ、光のない暗がり。


 闇はいつも、光の裏側に存在している。






◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 聖歴二十五にじゅうご年 パール月三十さんじゅう日。


 夜の色濃い闇にまぎれ、少女は石造りのとりでの地下に作られたろう屋を訪れていた。


 明かりは所々に置かれた燭台しょくだい蝋燭ろうそくに火がともるだけ。

 湿気がこもってカビくさく、陰鬱いんうつとした如何いかにもな場所だ。



「ふんふんふーん♪ いいながめね、おうじさま♪」



 そんな場所に似付かわしくない陽気な鼻歌と、鈴を鳴らしたような声が響く。


 少女はろうの前でしゃがみ込み、太ももを支えに立てひじを付いて、両手足を魔術器まじゅつき拘束こうそくされ、身動き取れずに床へ転がる男を見つめた。



「おいおまえぇ! どうなってんだよ!? 話が違うじゃねぇかあぁッ!」



 男は少女に気付くなり、床と一体化していた顔を上げて怒鳴り出す。


 少女と同じ赤と青の色彩しきさいが混じり合った赤紫色クロッカス蠱惑こわく的な髪色を持ち、黄金眼レジュードールと呼ばれるアディシェス皇族こうぞく特有の色をした瞳をこれでもかと見開き、こめかみには青筋を浮かべていた。



「そんな事言われても、私は情報を渡しただけだし? 決断したのはそっちでしょ?」



 少女は首をかたむけて、あでやかに笑う。


 自分はただ、舞台を整えて役割を提示しただけ。

 嬉々ききとして演者を引き受けたのは彼であって、こちらに責任はない、と。


 男が奥歯を噛み締めて、怨嗟えんさこもった瞳で少女をにらみつけた。



「クソ、クソォ! あの悪魔が、戦姫がいなけりゃうまく行ってたのに! こんな失態、母上に、に知られたら……!

 ううう、怒られるのは、嫌だああぁ!」



 いい歳して泣きべそをいてわめく男に、皇族としての品位は欠片も感じられない。


 けれど、叫び声だけは素敵だと、少女は思った。



「あはっ! いい声ね♪

 その調子で、美しい断末魔だんまつまかなでてね?」

「お前、何言って——」



 少女は唇をっすらと開いて口角を吊り上げると、り合わせた指を「パチン」とはじいて鳴らした。


 たちどころにさくへだてた牢の中へ暗霧が集まって、闇を形作って行き——。



「ぎゃああぁ!」



 闇の中から赤い眼を光らせた灰毛の獣が現れ、男のあしらいついた。



「痛い、痛いぃィ!?」


 

 獣は二頭。

 容赦ようしゃなく肉をみ、引きちぎり、暗がりに飛沫しぶきが舞って血のにおいが立ち込めた。



「あがぁあッ!! やめ……やめてくれぇ!!」

「だーめ。出番の終えた役者が居座ってたら、舞台は進まないでしょ? 脚本きゃくほんに沿って退場しなくちゃ」



 命いする男に対し、少女が悪びれもなく笑顔を浮かべる。


 追い打ちと言わんばかりに再度指を鳴らして、もう一頭の獣が現れると、男の顔が絶望に染まった。



「あぎゃあぁあ!!」



 獣が牙を突き立てるごとに、耳をつんざく苦悶くもんの絶叫が響き渡り、少女は目の前の情景じょうけい心躍こころおどらせた。


 やっぱり、絶望は甘美である、と。






 男が静かになるまで、そう時間は掛からなかった。


 一部始終を見届けた少女は立ち上がり、獣を出現させた時と同じように指をはじいて鳴らす。


 そうすれば獣は黒いきりへと転じ、少女にまとわり闇へ姿をまぎれさせた。



「さよなら、さま。うらまないでね?」



 霧が晴れるとそこに少女の姿はなく、獣にむさぼられた無惨むざん亡骸なきがらだけが残されていた。






 ——〝光〟と〝闇〟は表裏一体。



「これであっちのお使いは終わり。ノエル様のところへ戻らなくちゃ」



 少女は二つの間を行きう者。


 〝光〟と〝闇〟のために、舞台を整えるのが少女に与えられた役割。


 役者を抜擢ばってきし、配置しておどらせ、時にそそのかして、誘惑して、だまして、蹴落として、蹂躙じゅうりんして——。


 そうやって舞台ステージを盛り上げる影の演出家であり、の当たる場で演舞えんぶする役者でもある。


 そして、これまでの苦労と努力が実を結ぶ瞬間は、もう間もなくだ。



「さあ、幕を上げましょう。あの方へささげる、終焉しゅうえん舞台ステージの幕を——」



 待望の時が訪れる愉悦ゆえつに【悪魔あくま】はわらった。

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