第五話 秘めた感情
刀で打ち合った
訓練所と邸宅を繋ぐ渡り廊下を通り、主階段が並ぶ玄関ホールへと足を運ぶ。
観賞用の調度品が
見ればイリアを取り囲んで、わいわいと話に花を咲かせている。
「
「母上、おかえりなさい。みんなも」
レナートとルーカスが声を掛けた。
そうすれば声に気付いた女性陣の体がこちらに向けられた。
イリアの姿は何故か彼女たちの背に隠されている。
「あら、ルーカス。
女性陣を代表してユリエルが答え、その横で「ただいま」とそれぞれの口調で告げる彼女たちの声が聞こえた。
続けて、レナートの姿を見たシャノンとシェリルが「お父様おかえりなさい(ませ)!」と嬉しそうに口を
ルーカスの横に並んだレナートが前へ出ると、それに合わせてユリエルも前へ進んで、二人は見つめ合う形で並び立つ。
「久しいな、ユリエル。変わりなさそうで安心したぞ」
「ええ、お久しぶりです。レナート様は少し
ユリエルの右手がレナートの
「そうか? この前シェリルにも言われたな」
「もうそろそろ引退して領地に来られてはいかが?」
「そうだな……考えておこう」
レナートの大きな左手が頬に触れるユリエルの手に
見ているこちらが気恥ずかしくなって、ルーカスは「こほん」と
すると、ぱっと
何を忘れていたと言うのか。
ルーカスは首を傾げた。
ユリエルはレナートの手をすり抜けると、双子の姉妹とリシアが並ぶ列へと移動する。
——そう言えば、イリアの姿は彼女たちに隠されたままだ。
「ふふふ。ルーカス、よく見るのよ?」
ユリエルが満面の笑みを浮かべて、彼女たちへ目配せをした。
三人は楽しそうな表情で
そこには——純白のドレスを着たイリアがいた。
彼女は恥ずかし気に頬を赤く染めて、
ルーカスは目を奪われ、息を飲んだ。
ドレスはビスチェタイプで光沢があり、胸元から二の腕にかけては
スカートの前は
胸元に
元より端麗な顔立ちは化粧が施されて華やかに美しく、そして唇はいつもより血色を増して
(…………綺麗だ。
この姿、まるで——)
「どうかしら? 最高に可愛いでしょう?」
腕を組んで得意げに話すユリエルの言葉に、ルーカスはハッとした。
(——まるで……なんだ?)
一瞬、とんでもないことを考えていた事に気付き、頬が熱くなる。
「ほら、ルーカス。感想は?」
母がにやにやとこちらの反応を楽しんでいる。
女性陣の期待に満ちた視線が集まって、ルーカスは後ずさった。
母のこれは、ルーカスがこういった事を苦手としているのをわかっての仕打ちだ。
愉快犯だ。
(罠だ。これは母上の罠だ……!)
戦場では〝王国の
しかしその
「紳士として、騎士として、着飾った女性の服装は
父の教えが、
(大丈夫、素直に思った事を言えばいい。
たったそれだけだ——!)
ルーカスは拳を握り締め、
期待の眼差しを一身に受けながら、唇を動かして——。
「その…………似合ってる」
不意打ちの状況に気の利いた言葉を言えず、結局無難な答えになってしまった。
ルーカスの返答にイリアは喜び、それはもう魅惑的な笑顔を見せてくれたが——。
女性陣から盛大なため息を吐き出され、父には肩を叩かれて「まだまだだな」と笑われてしまった。
ルーカスは熱くなった顔面を手で
(母上、無茶ぶりはやめてください……!)
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
その夜、グランベル家の
食事を終えた後「一緒に散歩でもどうかしら?」と母に
久しぶりに会えたのだから、話題は尽きない。
父や妹達の普段の様子を話したり、領地の状況を聞いたり——と、様々な事を話した。
短くない時間が過ぎ、もうそろそろ戻ろうか、と思い始めていた頃。
母は昼間の件を話題に出した。
「昼間は勘違いして悪かったわね。あの子達から色々聞いたわ」
「……悪いと思うなら、次は最後まで人の話を聞いてください」
「約束は出来ないけど、努力するわ」
母の突飛な行動は昔からだが、慣れる事はない。
きっとまた振り回される事になるのだろう、と考えると、頭とついでに胃が痛くなった。
おもむろにユリエルの手が伸び、ルーカスの頭へ乗せられる。
そうして、何を思ったのか。
突然頭を
「母上、何してるんですか」
「うん? 我が子を
「……やめてください。もう
「あら。貴方はいくつになっても私の子どもよ?」
「そう言う問題ではなく……」
優しい手つき、
きっと母なりにこちらを気遣っての行動なのだろう。
普段の行動には驚かされてばかりだが、母が寄せてくれる愛情は本物だ。
「母上には
——そうして幾分かの時間が過ぎて、ユリエルの手が離される。
ルーカスはやっと解放された事に安堵しつつ、ふとユリエルを見た。
すると、いつになく真剣な表情を浮かべる母の顔があった。
「ねえ、ルーカス」
自分と同じ
「まだ……カレンちゃんの事、忘れられないの?」
「カレン」と、
その名は——かつてルーカスの婚約者だった
ルーカスは彼女の事を思い出して胸に痛みが走った。
心臓が
あの悪夢のような
乗り越えたと思っていたはずの過去が、感情が、顔を
(思い出すのは——やはり辛い)
「……忘れろと……言う方が、無理でしょう。何故……今そんな話を?」
「貴方がイリアさんに対して、無意識に感情を
母が何を言わんとしているのかは、なんとなく
けれど、そう単純な話ではない。
湧き上がる様々な感情に、ルーカスは顔を
「やめましょう母上、この話は」
これ以上この話題を続けたくなくて、ルーカスは首を横に振って
(
……この胸の痛みから、
しかし、母はそれを許してはくれなかった。
「ルーカス、大切なものは失ってから気付いても遅いのよ」
母の言葉が胸に突き刺さる。
正論だ。
返す言葉もない。
ルーカスもそれはわかっていた。
いつかは向き合わなければならない事も。
けれど——。
「……先に戻ります」
ルーカスは逃げた。
顔を
過去と向き合う勇気が——なかった。
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