第二話 伝えたい想い

 ナビアを目指す船の上、話を終えて船内へと戻る一班の団員たちと双子の姉妹に寄り添うリシアを見送って、ルーカスは甲板へとどまっていた。


 そしてもう一人——風を受けて舞い上がりそうになる銀の髪を、柘榴石ガーネットの光る腕輪ブレスレットをした左手で押さえ、白を基調とした上着にスカートとブーツをいたイリアが残っていた。


 風と波に揺られる中、イリアはゆっくりと歩を進めて、こちらへと距離を詰めて来る。



「船室に戻らなくていいのか?」

「私がいたら邪魔?」



 問えば淡い青色の勿忘草わすれなぐさ色の瞳を上目遣いにし、困り顔を浮かべていた。

 

 船外は風が強く、また微量びりょうの塩を含んだ潮風しおかぜはベタつくため、あまり居心地の良いものではない。

 現に甲板にはまばらに人の姿があるだけだ。


 だから、過ごしやすい船内に戻らなくていいのか、と思っただけで、他意はない。



「いや、ただ——」

「ごめん、意地悪な言い方だったね」



 ルーカスは理由をべようとしたが、かぶせるように発言したイリアによって、さえぎられてしまい唇を引き結ぶ。

 


「一緒に行くって言った時、ちょっと怒っていたでしょう? 準備の間、忙しくてちゃんと話せなかったし。何だか気まずくて」



 目の前に立ったイリアは、取りつくろうように微笑んで見せた。


 信念に忠実で迷いなど一切ないと思っていたため、こちらの言動を気にめていた事は少し意外である。



「それは……悪かったよ」



 あの場で声を荒げてしまった事、意図せず避ける形になってしまった事は、こちらに非があるため、ルーカスは謝罪を口にした。



「ううん、心配してくれたんだよね。ケンカしてたわけじゃないけど……仲直り、かな?」

「ん、仲直りだな」



 イリアは「良かった」と顔をほころばせ喜んでいる。


 女神の使徒アポストロスとして生きるイリアの矜持きょうじと、為政者いせいしゃたる伯父上の判断も理解はしているのだ。


 だがイリアの事となると、理性よりも感情が先走ってしまい、いつもは出来ているはずの感情のコントロールが効かなくなる。


 それが自分の弱点である事も重々承知しているが、想う気持ちに嘘はつけない。



(……いい加減、素直になるべきかな)



 こんな状況下だからこそ、あの夜に言いそびれた事を、胸の内に秘めた想いを、彼女に伝えなければならない。


 ——そんな気がした。


 風が一段と強く吹いて、ルーカスの後ろ髪と、長い銀糸をさらいなびかせる。

 イリアは「髪、結ばないとダメだね」と言いながら、散らばる髪を懸命けんめいおさえていた。


 銀の髪が舞う様は綺麗だが、こう風が強いと確かに不便だろう。



「結ぼうか?」

「出来るの?」

「手の込んだのは無理だが、簡単にならな」

「じゃあお願いしていい? 自分だと上手く出来なくて。えっと、結ぶひもは……」

「大丈夫、予備がある」



 ルーカスは軍服の内ポケットから、自分の髪を結びめるための赤色のひもを取り出して見せた。



「準備がいいね」

「良く言うだろう? 〝備えあればうれいなし〟って」

几帳面きちょうめんなルーカスらしいね」



 イリアが口許くちもとに手を当て笑っている。

 そしておもむろに背中を向けると、「よろしくね」と長い髪の扱いをゆだねてきた。


 手を伸ばしてつやめく銀の髪に触れる。

 細くてやわらかく、さらさらな髪質だ。


 でるように寄せ集め、手櫛てぐしで整えて襟足えりあしにまとめていく。

 そうしてまとめた髪を片手に持つと、もう片方の手でひもの輪に通した。


 するりとすべる髪が落ちないように、ひもを引っ張りじって再度輪に通し、同じ動作を何度か素早く繰り返して、襟足えりあしとどまるようにたばねていった。



「ほら、出来た」



 ルーカスが告げると、イリアは後ろ向きのまま、確認するように一つにまとまった髪へ触れた。



「ありがとう。お揃いの髪型だね」



 ルーカスも後ろ髪を襟足えりあしで束ねている。

 それを意識してだ。

 


「……狙ったからな」



 イリアが振り返り、薄く口を開けて勿忘草わすれなぐさ色の瞳をまばたかせていた。

 言葉の意図を考えあぐねているのだろう。


 伝えるなら、今だと思った。



「あの夜さ、どうして抱き締めたのか……聞いただろ?」

「え……うん」



 イリアの頬が赤く色付いて行く。

 あの夜と同じ、恥じらいながらも答えを求め見つめてくるイリアに、いとしいと想う気持ちがあふれ、胸が高鳴たかなった。


 「何故?」と問われ言えなかった言葉を、口にする勇気と覚悟はすでにある。


 ルーカスはイリアと視線を合わせると、目をらさず真っ直ぐ見据えた。


 演劇のように飾った言葉や、気取った振る舞いは難しい。

 だから代わりに、ルーカスは真摯しんしな態度でのぞむ。


 そうして、つむぐ。

 胸にくすぶり続けた想いを。



「俺は君が大切なんだ。友人としてじゃなく、一人の女性として……イリアを大切に想っている」



 イリアは——赤くなった顔で、こちらを見つめている。

 薄紅うすべにの唇を開けて、閉じて。


 そしてもう一度開くと、言葉を発した。



「それは……私が、恩人だから……とか」



 イリアは暴走する俺を引き留め、寄り添い、絶望のふちから救い出してくれた。

 恩人であるのは事実だ。



「きっかけである事は確かだけど、それがすべてじゃない。教団で一緒に過ごして、少しずつイリアを知って行くうちに、自然とかれたんだ」



 イリアは他人の痛みに寄り添って共感する、優しい心を持っていた。

 それにマイペースでちょっと天然なところがあった。

 

 不器用で家事はまったくできないのに、紅茶をれるのだけは別格に上手くて、そして意外にも食いしん坊な女の子だった。


 一緒に居るとやすらいで、心が温かくなり、いやされた。


 旋律せんりつつむ可憐かれん凛々りりしい姿にも勿論もちろん目を奪われた。

 やわらかで透き通る、心地の良い高い音を響かせる、イリアの歌声も好きだ。


 けれど——世界を愛する女神の祝福を受けた女神の使徒アポストロスとして、他人の幸せを願って自身をかえりみず使命に従順じゅうじゅんで、一人で背負い頑張ろうとする姿を知った時は……あやうくも感じた。



「内面と生きざまを知って、守りたい、支えになりたいと思った。記憶を封じられた君と再会してからは、その想いが強くなったな」



 勿忘草わすれなぐさ色の瞳がじっと見つめてきている。

 頬を染めて、言葉に耳をかたむけるイリアの姿が目の前にあった。



「俺は臆病おくびょうだからさ。過去を忘れられなくて、言えずにいた」



 しかし大震災と王都にゲートが出現した事件をて、「大切なものは失ってから気付いても遅い」と、語った母の言葉を思い出し、改めて認識した。



「でも、わかったんだ。後悔はしたくないって、気付いた。……だから、伝えるよ」



 頬に熱が集まり、潮風しおかぜが冷たく感じられた。

 跳ねて脈打つ鼓動が、鼓膜へうるさく響いている。


 彼女に伝えたい想いは一つ。

 胸を焦がす恋情を、緊張で震える唇を動かして、言葉にする。



「俺はイリアが好きだ」



 羞恥心しゅうちしんを振り切って想いを伝える。

 そうすればイリアはさらに顔を赤くして、瞠目どうもくしていた。


 あの夜話した事で欲が出てしまい、同じ想いを返してくれれば——とは思うが、それは我儘わがままだろう。

 例え同じ気持ちでなくとも、この想いは変わらない。


 ——イリアから返答がなされず、二人の間にしばし沈黙の時が流れた。


 船がしおき分けて進む音と、風がに打ち付けはためく音がやけに響いて聞こえた。



「その……あまり負担には思わないで欲しい。……とりあえず、船内に戻るか?」



 ルーカスはほんの少しだけ不安な気持ちになりながら、そう提案した。


 すると、イリアは小さな動きで首を横に振って——こちらの目線に合わせるように顔を少しななめに上げると、待ち望んだ答えを静かに、でもハッキリと口にした。



「私も、ルーカスが好き」



 イリアが笑顔を浮かべている。


 大きな淡い青色の瞳がわずかに細められ、眉は優しい曲線をえがき、つやのある薄紅うすべに色の唇の端と、赤らんだ頬がやわらかく上がった。


 つぼみが花開くような笑顔だ。


 向けられた笑顔の意味と、つむがれた言葉を理解して飲み込むのに、そう時間は掛からなかった。


 ルーカスは手を伸ばして、イリアの背に手を回すと、腕の中に抱き寄せる。


 紅茶の茶葉や、花のように甘い香りが鼻孔びこうをくすぐり、胸を打つ鼓動と体温のぬくもりが伝わって来る。


 ただ、イリアを守れればいいと思っていたのに、いつの間にかそれだけでは物足りなくなってしまって——想いが通じたと言う事実が、たまらなく嬉しかった。



「イリア、ありがとう」

「こちらこそ、ありがとうだよ」



 イリアの手が背に回り、お互い抱き締める形になった。

 嬉しさと同時に照れくさい気持ちが湧き上がり、何だかむずがゆい。


 周囲の目線も気になるし、この情勢下じょうせいか不謹慎ふきんしんだと言われるかもしれない。


 けれども、いつ何があるかわからない、そんな状況だからこそ。


 今はおとずれた幸福を大切に、いとしい人との時間を噛み締めようと、イリアのぬくもりを感じながらルーカスは思った。

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