第二十話 異様な空

 聖歴二十五にじゅうご年 パール月十三じゅうさん日。


 エターク王国騎士団本部・特務部隊執務室とくむぶたいしつむしつ


 ——その日も、特務部隊一班の団員は朝から執務室で書類仕事に追われていた。


 報告、管理、人事、決裁。

 その種類は多岐に渡るが、軍を動かす上で書類仕事は付き物なので仕方ない。


 窓辺の執務机で、陽光を浴びて報告書に目を通していると「だんちょー……」と憔悴しょうすいしたような声が聞こえ、ルーカスは目線をそちらへと向けた。


 見れば机に頬を預けて、金色に輝く頭髪の上にかかげた書類をひらひらと揺れ動かすハーシェルの姿があった。



「このところオレに回って来る書類の量、多くないっすか?」



 不満げにつぶやくハーシェルの机には書類が山と積まれている。

 ハーシェルの隣にはアーネスト、応接のためのスペースを挟んで向かいにはロベルトとアイシャが座っていた。


 みなの机の上にも書類の山がきずかれているが、ハーシェルのよりは幾分いくぶんか低かった。

 それでもルーカスの机の山脈と比べたら可愛い量だ。



「そうか? 今までが少なすぎただけだろう」

「ええ。貴方の分を私達がフォローしていただけよ」



 ルーカスの言葉にアイシャが続き冷たく言い放った。


 彼女の言っている事は事実だ。

 今までは書類仕事が苦手だというハーシェルを見兼みかねて、他の団員が手伝う事もあった。

 

 アイシャはおもむろに椅子を引いて立ち上がると、山の一つを持ってハーシェルの机へと移動する。


 そしてバサッと音を立ててハーシェルの机の上へ置くと、にこっと笑って見せた。



「はい、これもお願いね」

「げぇ!? なんでこんなにあるんだよ!」

「今までのツケが返ってきただけでしょう? 頑張りなさい」



 アイシャは目が笑っていない。

 ハーシェルが隣のアーネストに助けを求める姿が見えた。

 しかし「自業自得だろ」と一蹴いっしゅうされ、項垂うなだれていた。


 騒ぎ立てるハーシェルを一瞥いちべつしたアイシャが九十度反転すると、ルーカスの机へと歩を進めてきた。



「団長。こちらは上層部へお持ちしますね」



 ルーカスが目を通し処理を終えた書類の山へ手振りしてアイシャは言った。


 しかし結構な量がある。

 目一杯ある書類をアイシャが両手で抱え上げると、目線が隠れてしまっていた。


 一人で運ぶには無理があるように見え、ルーカスは自分も一緒に行こうと思って立ち上がろうとした。


 すると——その後ろからすっとロベルトが近付き、書類の山を半分、アイシャの手から奪って見せた。

 紫水晶アメジストを思わせる瞳が、驚いたようにロベルトへと向けられる。



「一人では無理でしょう。私も行ってきます」

「ああ、頼む」



 ロベルトが一緒に行くと言うのならば安心だ。


 ルーカスの言葉にうなずいた二人は、書類を抱えて部屋を出る。

 その後ろ姿を見送って、ルーカスはまた手元の紙へと意識を戻した。



「——そう言えば団長、最近はよく執務室しつむしつにいるっすね? 少し前は何かと仕事を持ち帰っていたのに」



 ハーシェルの問いにルーカスはわずかに肩を跳ねさせた。



「別に、普通のことだろう。おしゃべりもいいが、手を止めるなよ」

「へーい……」



 変に勘繰かんぐられる前に会話を打ち切ってしまう。

 ハーシェルは妙なところで感が良いと言うか、目敏めざとい。


 ここが職場なのだから執務室に居ても何ら不思議はないのだが、少し前——正しくは酒宴しゅえんの翌日以降、ルーカスは邸宅へ仕事を持ち帰る機会を減らしていた。


 原因はイリアとの関係にある。

 あの日以降、彼女とはぎこちない状態が続いていた。


 顔を合わせれば逃げられ、声を掛けようとしてもけられ、シャノン、シェリルと体を動かすから、と邸宅の執務室しつむしつにも寄り付かなくなった。


 あの日の事を謝罪しようにも取り付く島がない。

 露骨ろこつに態度へ表すイリアに、申し訳ない気持ちと気まずさからこちらも自然と避けるようになってしまった。

 

 今の状況はみずからのあやまちではあるのだが——。


 原因を作った一因いちいんとも言えるハーシェルに、ちらりと視線を送る。

 書類に向き合ってはいるものの、器用にくるくるとペンを回して遊んでいた。



(……能天気なものだ)



 こちらの苦悩など知らぬ様子のハーシェルに若干の苛立ちと羨望せんぼうを抱いて、何ともやりきれない気持ちになってルーカスはため息をついた。



(何とかしないとな……)



 イリアとの関係がこのままギクシャクするのは、ルーカスとしても望むところではない。


 打てる手はないかと、いつの間にか仕事を忘れ思案していると——ピアス型のリンクベルがリリリンとリングトーンを鳴らした。


 音に釣られてこちらへ視線をかたむけるハーシェルとアーネストを横目に、ルーカスは応答した。



『よ! 元気か?』



 底なしに明るく、気取らない声が響いてきた。

 誰かと思えば——神聖国で潜入捜査中のディーンからだ。



「どうした? 定期連絡はまだ先だろう?」

『遠く離れた親友からの連絡を喜んでもいいんじゃないか?』

漫遊記まんゆうきなら聞かないぞ」



 報告と銘打めいうって、雑談にきょうじた前例があるため釘を刺す。


 時間は有限だ。

 職務が山積しているのに無駄話へかまけている暇はない。



『相変わらずお堅いな。ま、今回はちゃんとした報告だ』



 飄々ひょうひょうとしたディーンの声色こわいろが変わる。


 ルーカスは手にした書類を机へ戻し立ち上がると、いつになく真剣な声で語り始めるディーンの報告に耳をかたむけた。


 話によると——教団の内部では現在、教皇きょうこう派、枢機卿すうききょう派でちょっとした派閥はばつ争いのような抗争があるのだとか。


 女神の意思をおもんじ慣例を守る保守的な枢機卿すうききょう派と、慣例にとらわれず革新的かくしんてきな改革が必要だと言う教皇派。


 勢力的には枢機卿すうききょう派が大多数で、教皇派はほんの一握りらしいが、女神の使徒アポストロスは全面的に教皇についており、水面下では緊張が走っているらしい。


 教皇ノエルとの会話でおおむね予想できた内容ではあるが、もし教団内で武力による衝突があれば——結果は火を見るより明らかだろう。


 教団の影響力を考えれば、世界各地へ飛び火しかねない一大事だ。


 ——報告はまだあった。

 ここ数ヶ月ほど、神聖国内でマナ欠乏症の患者が増えているのだという。


 マナ欠乏症といえば体内に蓄積ちくせき循環じゅんかんするマナがいちじるしく低下することにより体調不良におちいる病だ。


 おもな原因は魔術の使い過ぎによる一過性のものが多い。

 しかし近年、原因の特定できない突発的なマナ欠乏症が増えており、神聖国内の患者はその傾向が強いのだとか。

 

 内部抗争と原因不明のマナ欠乏症。

 ——以上二点がディーンによってもたらされた大きな情報だった。


 そして更に、ディーンは驚くべき言葉を口にした。



『なあ〝女神のゆりかご〟ってなんの事だかわかるか?』



 その単語に、ルーカスは目を見開き吃驚きっきょうした。

 〝女神のゆりかご〟——それはイリアの歌の題名。



(彼女が歌った、彼女だけの歌——)



 そう思っていたのだが、何故その名をこの親友ディーンは知るのかと、疑問が浮かぶ。



「……どこでその名を?」

『いや、たまたま枢機卿すうききょうが話してるのを耳にしたんだよ。……限界? がどうとか、かなり焦った様子でな。何かあるのかと思ってさ』


枢機卿すうききょうが?)



 ルーカスは腕を組んで窓の横の壁に背をもたれかけ、あごに手を添え思考する。



(知ってるのはイリアの歌の題名という事だけだ)



 彼女以外に歌っている者を見た事はないし、その名を口にする者もいなかった。


 ——だと言うのに。

 枢機卿すうききょうがその名を知っており、焦った様子で「限界」と口走ったと言う。


 名称の一致など、珍しい事ではない。

 その可能性の方が高いだろう。

 しかし——。



(ただの偶然……か?)



 彼女は女神の使徒アポストロスであり、教皇ノエルの姉。

 教団の中核に近い存在だ。

 教皇ノエルが枢機卿団カーディナルから守るためと言って、記憶を封じる呪詛じゅそほどこした事実もある。

 

 偶然の一致として片付けていい事ではない様に思えた。


 考え込んでいると『ああ、それと』とディーンの声が聞こえルーカスは思考を中断させた。

 そして、つむがれる次の言葉を待った。


 ——その時だった。


 ガタンと大きな音を立てて、椅子からハーシェルが立ち上がった。

 また何かふざけた事でもするのかと思い、呆れ半分で視線を向けると、わなわなと震えルーカスの横——窓を指差す姿があった。


 その隣で、アーネストも窓を呆然と見ており、つぶやいた。

 「空が……」と。



(空がどうした?)

 


 二人のただならぬ様子にいざなわれ、ルーカスは振り返る。


 時刻は朝、早朝から昼間へと向かう中間の時間。

 雲一つない快晴とは行かないが、今日は晴れていい天気だったはずだ。


 広がるのは当然、青空だと思っていたのだが、窓枠の外、ルーカスの目に飛び込んで来たのは——青空とは程遠い、空。


 血のように赤く——。

 闇夜を思わせる黒と、二色が混じり合って混沌とする、赤黒く変色した空だった。


 夕闇に似ているとも言えるが、陽がかたむいた時のような薄暗さはない。

 日中の明るさの中に、空だけが異様な様相ようそうていしていた。

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