第二十一話 鳴動する世界

 ルーカスが空へ目を向けると、日中の明るさの中に、血のように赤く——闇夜を思わせる黒と、二色が混じり合って混沌とする、赤黒く変色した空が広がっていた。



「なんだ、この空模様は……」

『ん? 空? うお!?』

「そちらもか?」

『そっちがどうかは知らんが、赤黒い空が見えるぜ。気味悪いな』


(——同じだ)



 今見ている景色と、ディーンが見るそれは変わらないだろう。

 ディーンがいるのはアルカディア神聖国・聖都フェレティ。

 エターク王国の南西、世界の中心と言える場所だ。


 決して近いとは言えない距離で同様の現象が起きている。

 これはエターク王国だけで起きている問題ではないと考えられた。



(異様な空だ……)



 ディーンが言ったように、気味が悪い。

 おぞましい赤と黒に染まる空を見ていると、不安がき立てられるような気分だった。


 ——けれど、異変はそれだけでは終わらなかった。


 ドンッ!!


 と、大きな音と共に、突如とつじょ立っている場所が上下に動く感覚に襲われた。


 部屋が激しく大きく揺れ動き、壁に沿って立ち並んだ本棚がガタガタと音を立て、綺麗に並べられた書類や資料が床へと落下していく。



「マジ!?」

「大きい……ッ!」



 ハーシェルとアーネストは落ちて来る本や資料をける様に、机の下へとのがれ、揺れは一層酷くなる。



『おいおい、今度は地震かよ!?』

 


 耳元でディーンの驚愕きょうがくする声を聞きながら、踏ん張りのかない体を支えるため、ルーカスは机に手を付いた。


 リエゾンの坑道でも同じことがあった。



(だがその時とは比較にならないくらい、激しく強い——!)



 建物が波の様にうねり動き、そのまま形を崩壊させてしまいそうなほどに揺らぐ。






 その日、世界は——轟音ごうおんと共に地を揺るがす振動に鳴動めいどうした。






 地を揺らす振動は、かなり長い時間続いていたように思う。

 激しい上下の揺れに、建物が崩壊するような恐怖——。


 ようやく収まりを見せた時には、部屋の中は酷い有様でとても見られた状態じゃなかった。


 机に置かれた物や書類の山は崩れて至る所に散らばっており、本棚から落下した資料や本が床に散乱している。


 中央に置かれたテーブルとソファは大きく斜めにずれ動き、元の規則性のある配置を失なっていた。



『……おい、無事か?』

「何とかな……そっちは?」

『あー、オレは無事だが、ちょーっとやばい事になってるな』



 ディーンの言うやばい事は何となく想像がついた。


 この規模の地震で、何事もない方がおかしい。

 王都内も少なくない被害が予想でき、ルーカスは眉をひそめた。



「ディーン、ひとまず切るぞ。また何かわかれば連絡を。くれぐれも気を付けてな」

『了解。そっちも気を付けろよ』



 ルーカスはリンクベルの通信を切り、机を支えにしていた体を起こす。

 まだ足元がぐらつくような錯覚におちいるが躊躇ためらってもいられない。


 部屋へ目を向けると右手の机の下から、散乱する資料と本をかき分けて起き上がる二つの人影が見えた。



「ハーシェル、アーネスト、大丈夫か?」

「大丈夫っす。マジでビビった……」

「ええ、何ともありませんが……」



 ハーシェルは頭裏をきながら、アーネストはズレた眼鏡を直しながら、部屋を見渡して——顔を引きらせていた。


 気持ちはわかるが「ひとまずは状況の確認を——」と言い掛けたところで、窓の外から鐘の音が鳴り響いた。


 自然とそちらへ視線が動く。

 おぞましい様相ようそうていした空模様は、いつの間にか青色へと戻っていた。


 鐘は街の方から、これは緊急事態を告げる警鐘けいしょうだ。

 鐘の回数とパターンの組み合わせによって何を警告しているのかわかるようになっている。


 聞こえてくるのは、一度鐘が鳴ったあとに五度続けての連打。

 それが幾度となく繰り返される。


 地震による被害、火災等を知らせるためかと思ったが、違う。

 この鐘の音が告げるのは——。



「はあ!? こんな時に魔獣!?」



 ハーシェルの叫び声がこだました。



(地震の被害も把握はあくできていないと言うのに……!)



 何かの間違えであればと思うが、洒落しゃれにならない事態だ。



「まずいな、ともかく各班に招集しょうしゅうを!」

「了解ッ!」

「承知しました!」



 ルーカスが指示を飛ばすと、ハーシェルとアーネストはすぐさまリンクベルを使って各班へ連絡をこころみていた。


 そしてみずからも各部署へ確認を取るため動こうとしたのだが——その前にリンクベルのリングトーンが響き、ルーカスは応答する。



『お兄様! 大変なんです!』



 聞こえて来たのは焦った様子の双子の姉妹の一人。



「シェリル? どうしたんだ?」

『魔獣が……イリアさんが……!』



 冷静さを失った声に混じって雑踏ざっとうと、ガラガラと何かがくずれる雑音が聞こえる。


 すると、『シェリル!』と呼ぶシャノンの声が聞こえ、続いて「ガン!」とにぶい音が響き——。



「何があった!?」



 声を掛けるが、通信が切れてしまった。



(彼女たちは今日、王都の散策に出掛けると言っていた。

 何かあったのは確かだ……っ!)


「くそ! 一体何が起きてるんだ!」



 状況が分からぬまま、短い時間で途絶えた通信にルーカスは苛立いらだちを隠せず、握り締めた拳を机に打ち付けていた。



(空の異変、地震、魔獣。

 街へ出たイリア、シャノン、シェリル、リシアの安否)



 立て続けに起きる事態に、思考が追い付かない。


 くしゃりと前髪をき上げ、落ち着け、冷静になれと自分に言い聞かせる。

 焦っても事態は解決しないのだから——と。


 リンクベルが再度リリリンとリングトーンを響かせる。

 ルーカスは先ほど切れてしまった通信相手を思い浮かべ、応答すると共に「シェリル!?」と口走っていた。



『団長、ロベルトです』

「あ……すまない。二人とも無事か?」

『はい。こちらは大事だいじありません。元帥閣下げんすいかっかもご無事ですので安心して下さい』

「そうか、みな無事で……良かった」



 気がいて通信してきた相手を間違えてしまったが、ロベルト、アイシャ、元帥閣下げんすいかっか——父の無事を知る事が出来、ルーカスは胸をで下ろした。



『取り急ぎ、閣下かっかから出動命令です。魔獣の出現は警鐘けいしょうでご存知ぞんじかと思いますが、王都内に魔獣が入り込んでいると、警備隊から連絡があったようです』

「——了解だ。動ける班を編成してすぐに出よう」

承知しょうちしました。こちらもすぐ合流します』



 王都内に魔獣が入り込んでいるのであれば事だ。

 被災状況はうかがい知れぬが、魔獣の襲撃も重なり、混乱をきわめている事は安易あんいに予想できる。


 どう考えても、最悪の状況だ。



『あの……シェリルちゃんに、何かあったのですか?』



 恐る恐るロベルトがたずねてきた。

 応答時に取り乱して名を呼んでしまったため、心配させてしまったようだ。


 しかし、それはルーカスも知りたいところで、答えを持っておらず、歯痒はがゆさに唇をむ。



「……わからない。ともかく、今は魔獣の対処に当たろう」

『はい……』



 ルーカスはロベルトとの通信を終えると前を向いた。


 ハーシェルとアーネストがせわしなくリンクベルによる通信を繰り返している。

 その姿を横目に、床を埋め尽くす紙類と本の合間の床をって進んだ。



「ハーシェル、アーネスト」

「出番っすね」

「今行きます」



 声を掛ければ言わんとした事をさっした二人が後ろに続き、三人は執務室しつむしつを後にした。


 廊下に出れば、あちらこちらに地震の余波と思われる痕跡があった。


 各所から怒号の様な声が聞こえてくる中、ルーカスたちは集合を掛けた班が集まる待機所へと急ぐ——。


 地震と魔獣。

 この組み合わせはリエゾンの魔狼まろう事件を彷彿ほうふつとさせ、嫌な予感がした。



(もしも、あれが出現していたとしたら……)



 一刻も早く事態の収拾しゅうしゅうを図らなければ、被害は拡大の一途を辿たどるだろう。


 万が一に備え、取れる手段は全て用意しておくべきだ。


 ルーカスはピアス型のリンクベルに触れると、コール番号を口にし通話をこころみた。

 

 安否のわからぬイリア達の無事を願いながら、ルーカスは己の責務を果たすため邁進まいしんする。

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