第十五話 足りないピース

 ノエルが自分を呼び出し、ご丁寧にイリアの身に起きた事情を語ってみせた事にはどんな意図が隠されているのか、とルーカスは身構える。



(恐らく、俺と彼女の過去関係についても、ある程度は把握はあくしているのだろう。

 その上で、姉の幸せを願っていると言った彼は、俺に何を望んでいる?)



 ルーカスは膝の上でえ拳を握り締め、ノエルを見据える。



「……お話はわかりました。それで、何のために私をこの場へ呼んだのですか?

 彼女を迎えに来たから引き渡せと、そう言うお話でしょうか?」



 問いかければ彼の瞳が見つめ返して来て、視線が結ばれた。

 


おだやかで優しさを思わせる彼女の色と違って、冷たさと激情を秘めた青……)



 ルーカスは瞳をらさず、ノエルからの返答を待った。



「最初はそのつもりだったんだけどね」



 ノエルがそうこぼし、続きがつむがれるはずの唇を見るが、動きを止めてしまっている。

 一拍、考える素振りを見せて——ノエルは再度、言葉をはっした。



「今はお前に預けるよ。ねえさんを守れ、破壊の騎士」



 瞳が細められ、深みを増した青色が向けられる。

 仄暗ほのぐらい感情を乗せた眼差しだ。


 三人の使徒が静かに見守る中、アインだけはこちらの様子を楽しそうな笑顔でながめている。

 イリアの姿を模倣もほうする彼女をしたがえている事に嫌悪感を抱くが——ルーカスの答えは一つだ。



「言われるまでもない。すでにこの名をけて、剣を捧げて誓った。俺が彼女の騎士となり、彼女をおびやかすものから守ると」



 何があろうと想いは揺らがず、誓いをたがえる事はないと断言出来る。

 

 真っ直ぐ瞳を射抜き、敬語で飾らないルーカスの答えを聞いたノエルは——。



「はっはは! 言うじゃないか。さすが救国の英雄と呼ばれる男は違うな」



 ——笑った。


 目を閉じ口元に手を添えて、嘲笑ちょうしょうと皮肉を含んだ言葉を放ちながら。

 ククッとのどの奥に笑いを残した彼のまぶたが開かれる。


 今日見せた中で一番暗く、深い闇を映した青い瞳だ。

 氷のように冷えた眼差しがルーカスに突き刺さった。



たがえるなよ。もしねえさんに何かあれば——その時は僕がおまえを殺す」



 殺気が向けられる。

 腹の底から絞り出したような低い声に、体感温度が下がり、背筋にう様な冷たい感覚が走って、鼓動こどうが脈打つ。


 ルーカスはノエルの放つそれにまれそうになるが、負けじと気迫きはくを返した。


 しかして、睨み合った状態で動けずにいると——。

 「コンコン」と部屋の扉を叩く音が響いた。



「聖下、お時間です」

「……わかった」



 重みがあって低い男の声が短く告げた。

 部屋の外に立つ、聖騎士長アイゼンだろう。


 ノエルの意識がそちらへ向いた事で、彼の放つ殺気はりをひそめた。


 「話は終わりだ」と、ノエルが口にして立ち上がる。

 そうして、するどく細められた瞳がルーカスを見下ろした。



ねえさんはいずれ迎えに行く。それまでしっかり役目を果たせ」

承知しょうちしました」



 ルーカスは右の拳を左胸に添え、頭を下げた。


 彼と今、争う理由はない。

 そこに彼女の意思が反映されていない事はさておき、だ。



「では私は失礼致します。お話出来て良かったです、教皇聖下」



 告げてルーカスは立ち上がり、退出するため扉へと足を進めた。

 くすくすと笑う声と、ノエルと使徒たちの視線を背後に感じながら、辿り着いた扉の前に立つ。


 扉の取っ手へ手を掛けたところで——ふと、思い出した事を口にした。



「聖下。彼女の〝盾〟はどうしていますか?」

「……何の事だ?」



 振り返ればノエルは首をかしげていた。



「いえ、ご存知ぞんじないならいのです。聖下の旅のご無事をお祈り致します」



 ノエルはこの後、巡礼地へと向かうため王都を立つ事になっており時間も押している。

 悪戯に時間を引き延ばす事は出来ず、ルーカスは部屋を後にした。






 ——振り返らず廊下を突き進む。


 日が昇り、長い廊下の天井まで届く大きな窓からは、まぶしい陽光が差し込み始めていた。


 イリアの身に起きた事、その理由も一応は把握はあくできた。


 しかし——残る疑問点も多い。



枢機卿団カーディナルから守るためと言ったが、女神の使徒アポストロスである彼女を枢機卿彼らがどうにか出来るだろうか?

 彼らが女神の使徒アポストロス、あるいはそれに匹敵する力を持っているとすれば可能かもしれないが……)



 教皇ノエルが口をつぐんだ、部外者には語れない『事情』とやらにその辺が隠されているのだろうが、現状で知るすべはない。



(そもそも、イリアの記憶を封じたとして何が変わる?

 記憶がない方がネックだろうに。命をおびやかす危険のある強力な呪詛じゅそを施す必要が本当にあったのか?)



 それに、呪詛じゅそが発覚したあの日。

 自分の事が知りたいと懇願こんがんしたイリアの言葉が気に掛かる。



『胸がざわつくんです。何か、やるべき事があったはずなのに、思い出せなくて、苦しくて……!』



(彼女の言うやるべき事とは何だ?

 記憶を失ってもなお、胸を焦がす思いとは——)



 彼女の〝盾〟について知らなかった事も引っ掛かる。



(あえて知らない振りをしたか、本当に知らないのか、去り際で判断がつかなかったが……)



 黙された事情。

 やるべき事。

 彼女の〝盾〟。


 ——足りないピースが多い。


 ノエルは上手く大事な部分を誤魔化ごまかして、都合の良い部分だけこちらへ伝えていたようにルーカスは思えてならなかった。


 廊下の曲がり角に差し掛かると、陽の当らない影が出来ていた。

 ルーカスは影を見て、どす黒い感情をめて殺気を放つ、ノエルの暗く冷たい瞳を思い出していた。


 女神の代理人とうたわれているが、その仮面の下にのぞかせたもう一つの顔——いや、あれこそが素顔かもしれない。



(あれは——怒りと絶望を知っている者の目だ)



 過去、ルーカスも同じような経験がある。

 だからこそわかる。


 教皇ノエル、彼はまだ何かを隠している——と。

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