第十二話 愛してるよ。——さん
——私が思い出せる最初の記憶は、真っ白な自分だ。
ぽっかりと穴が空いたように、あったはずの記憶は
自分が何者であるのか、名前すらわからなかった。
何かやる事があったはずなのに、思い出せなくて苦しくて。
でも、出会いに恵まれた。
怪我の痛みと
明るくて嵐のように賑やかで、うっかりなとこもあって可愛いけど、戦う姿は格好いいシャノちゃん。
シャノちゃんと一緒にふざける意外な一面もあるけど、騎士として
いつも優しく、親切に接してくれる公爵家の使用人のみんなにお医者様。
ルーカスさんの
怖そうな見た目と違って、家族想いで温かい笑顔を浮かべる公爵様。
突風みたいに現れて、会ったばかりの私を
それと——ルーカスさん。
最初はちょっとした誤解があったけど、彼は
シャノちゃんとシェリちゃんに接する様子から、家族を大切にしているのもわかる。
国民からは〝救国の英雄〟と呼ばれ、務部隊の団長さんとして軍の仕事を真面目にこなしていて、見た目も格好良い完璧な人。
記憶をなくす前の私とは友人で、私がルーカスさんの恩人だとも言っていた。
彼は私が胸の内に秘めた不安に気付いて、優しく寄り添ってくれた。
——名を
泣きわめいたから、あの時を思い出すと少し恥ずかしいけど、支えになってくれる誰かがいるって思ったら心強くて、安心出来た。
——けど、ルーカスさんは完璧に見える顔の裏に、実は何かを抱えている様だった。
悲しそうにしている姿に、私も彼の支えになれたらと思ったのは、つい先日の事だ。
ルーカスさんと私の過去にどんな思い出があるのかはわからない。
でも、一緒にいると色付いた感情が胸に
彼は私の大切な人だ。
——イリアは皆の事を思い出して心が温かくなり、無意識に顔が
青年の問い掛けに対する答えは、イエス。
こくりとイリアは
(私は幸せだ。
記憶は戻らないけれど——今をとても楽しく感じてる)
「……そう、そっか」
納得した様子の青年がどこか
喜んでいるとも、悲しんでいるとも取れる、感情の入り混じった複雑な表情だ。
(どうして、そんな顔をするの?)
青年が泣き出してしまいそうに見えて、イリアは胸が痛んだ。
本当に訳が分からない。
彼と自分は、一体どんな関係だというのか。
知らず内に伸びた指先が、青年の頬に触れた——そんな時だった。
「——イリア!」
ルーカスの声が響いたのは。
走り出した自分の後を追って来たのか、息を切らし汗を流したルーカスが、人込みの中から現れた。
切れ長の紅い瞳がこちらを
「無事で良かった……」
「あ……。ルーカスさん、ごめんなさい」
肩で息をする彼の姿に、イリアは自分勝手な行動を取ってしまった事を申し訳なく思った。
立ち上がって、ルーカスの側へ行こうとしたのだが——。
「
先ほどまで話していた時と違う、背筋が寒くなる様な低い青年の声が響いて、イリアはぞくりと肩を震わせた。
振り返ると、彼の膝でくつろいでいた猫が毛を逆立て、
猫を追う素振りもなく、青年は立ち上がる。
ゆっくりとした動作の中、青年がフードを頭の後ろに下げ——青い
(髪色も、私と同じ……?)
色の白い肌に、長い
気高さと気品を
「貴方は……! イリア、こっちへ!」
青年の姿を認識したルーカスが、今にも抜刀しそうな勢いで刀の
ルーカスの様子と青年の姿にイリアは戸惑った。
(ルーカスさんは彼を知っている?
私と同じ瞳、髪の色を持った彼は、誰?)
青年の手がこちらへと伸びる。
大きくて冷たい指先が腕に触れ——イリアは青年の腕の中へと引き寄せられた。
目の前に白が広がる。
胸の鼓動が聞こえ、体温を感じ、広い肩が見えた。
背中には、冷たい手の感触がある。
——イリアは抱きしめられたと気付くのに、数秒の間を
背後でルーカスが「イリア!」と、呼ぶ声が聞こえる。
「愛してるよ。————」
耳元で青年が
彼は自分を何と呼んでいるのか——ノイズで聞き取れない。
彼は一度強く抱きしめた後、腕を
その衝撃に身体が後ろへと
(まただ。私は、この光景を知っている)
肩を支えられ、頭がその胸に沈む。
青年の
否、それはイリアの頭の上、ルーカスへ向けられていた。
青年は
「君は僕の宝石。この手で守るべき、たった一つの宝石」
そんな
彼にとって自分が何であるのか、わからない事がイリアは苦しかった。
「元気そうで安心したよ。……またね」
(その言葉の意味を、知らないと)
一言一句を記憶しようと、イリアは目を
「————」
知ってしまった言葉に、ズキズキと頭が痛み始めた。
(痛い、痛い、痛い……!)
きっと
突き刺すような痛みが訪れ、イリアは
前方から足音が聞こえる。
音が、遠ざかって行く。
(彼は、私の……。私は、彼の……!)
認識した事実をどうすればいいのか。
痛む頭ではまともに思考出来ず、けれども彼の姿を探して
視界がぼやけて、世界が歪んで見えた。
——でも、白の、彼の姿はもうない。
「大丈夫か? 何があったんだ?」
上へ顔を
見上げた事で重力に逆らえなくなった目尻の
「……さん」
「え?」
彼の唇が形作った言葉を、
「ねえさん」
あの唇は確かにそう形作った。
「彼は、私を
ルーカスの瞳が大きく見開かれた。
彼の唇が形作ったのは「
それが意味するのは——。
頭の痛みが治まらない。
脳裏に「ガンガン」と警鐘のような音が響き渡り、重く、
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