第二十五話 月下に憂う

 ——星光の街路ステラストリート一帯で、集団昏倒事件が発生。


 そのしらせが入ったのは、会議も佳境に入った時の事だった。

 軍議の間へもたらされた一報に、場は騒然そうぜんとした。



「ふむ……詳細は?」



 上座に着席した陛下が眉根を寄せ、しらせに飛び込んだ騎士へ訪ねた。

 騎士は礼を取って頭を下げ、答える。



「申し訳ございません。広範囲に及んでおり、未だ掴み切れておりません」

「警備の騎士は? どうなっている」

「該当区域の者とは連絡が取れず……何らかの妨害工作が為されていると思われます」



 陛下は「とんとん」と指を机に打ち付ける動作を繰り返し、考え込んで片肘を付いていた。


 師団長たちはざわつき「対応は……」「まさか帝国の間者が……」など、憶測を飛び交わせている。


 この王都でこのような事件が起こるとは前代未聞だ。


 何より——。

 ルーカスは商店街マーケットを見て回ると行った四人の安否が気になった。



(彼女達が心配だ。まさかとは思うが、巻き込まれてはいないだろうか……)



 妙な胸騒ぎがした。



「何故そのような大事な事を報告しなかった!?」

「も、申し訳ございません!」



 一瞬、思考にふけっている間に何かあったようだ。


 父が、足を運んだ師団長の男性に怒声を上げていた。

 ひたすらに頭を下げ謝罪を述べる師団長と、盛大なため息をつき椅子に深く背をもたれる父の姿がある。



「何かあったのですか?」

「ああ……。どうも昨晩、星光の街路ステラストリート付近で不審者の目撃情報があったらしい。だが、見間違いだと思って報告をあげなかったそうだ」



 ルーカスの問い掛けに、レナートは静かな怒りを含ませた低い声で答えた。


 軍では常々情報を第一としている。

 それがどんな些細ささいな事であれ、だ。


 報告をおこたった彼の職務怠慢しょくむたいまんである。

 後程、厳しい懲罰ちょうばつが下る事だろう。


 だが、まず優先されるべきは現状の把握と解決だ。



「陛下、閣下かっか。私が団員を連れて現場へ先行します。どうか許可を」



 ルーカスは起立し、陛下とレナートに許しを求めた。

 こういった事案は特務部隊の得意とする分野である。


 それに——もしかしたらと言う懸念けねんもあった。


 一拍、おもんばかったのち「許可しよう」と、陛下から許しが出る。

 父も首を縦に振り同意を示した。



「ありがとうございます。では早急に事に当たります」



 ルーカスは一礼を返し、「失礼します」と告げて足早に軍議の間を出た。



(何事もなければいいんだが……)



 嫌な予感程、当たるものだ。

 ざわつく胸を押さえ、彼女らの無事を願いながらルーカスは任務へ出た。






 ——そして現在。


 該当区域に入り、人々が倒れている有様を目にしたところで、遠くから僅かに響いた雷鳴を聞き駆け付けた先、黒いローブの小柄な人物と対峙たいじする彼女の姿を見つけ——ルーカス達は屋根の上の黒いローブの少女へ四方から武器を突き付けた。


 ルーカスは少女の正面で刀を向けながら、顔を後方へかたむけ、少女と対峙たいじしていた彼女へ視線を向ける。


 なびく銀の髪に勿忘草わすれなぐさ色の瞳——。

 右手に銀の剣を構えたイリアの姿があった。


 その背後にはシャノンとシェリル、それにリシアが座り込んでおり、周囲には戦闘の跡がうかがえる。


 そしてリシアが淡い新緑の光を放ちながら、双子の姉妹に治癒術をかけているところを見るに、負傷したのだろう。


 ざわりと感情がうごめく。

 「冷静になれ」と、ルーカスは己の内に生まれた、猛然もうぜんたる感情をおさえ込んだ。



騎士ナイトのお出ましってわけね」



 小鈴を鳴らしたような少女らしき声がして、声の主へ向けた刀のを握る力を強めた。



「動くなよ。一歩でも動けば——斬り捨てる」



 ルーカスは目を細め、黒いローブの少女を射抜いた。

 刀の刃に光が反射して、まぶしく耀かがやく。


 目前にとらえた少女は、全身をすっぽりとおおい隠す黒のローブを羽織り、背格好は小柄で細身。


 フードから見える肌は白く、つやがあって色付いた唇に、つゆのこぼれ落ちそうな大きな鮮やかな桃色ロードクロサイトの瞳、顔のパーツのバランスからどことなく幼さを感じさせる容姿の少女だった。


 年は、見た感じでは双子の妹たちと同じかそれよりも幼く見える。



「何者だ?」

「さあ? ご想像にお任せするわ」

「……目的はなんだ」

「ふふ。何でしょうね?」



 ころころと少女が笑った。

 四人に刃を向けられた状況で、おくする事もない。


 相当肝が据わっている。



随分ずいぶんと余裕だな。……まあいい。調べればおのずとわかる事だ」



 もしこの少女が彼女を狙って来た者だとすれば、その正体には心当たりがある。

 であれば、騒動の原因は十中八九この少女だろう。



(妹達に怪我を負わせたのも、恐らくは……)



 ルーカスは内に湧き上がる怒りをほんの僅かににじませ言い放つ。



「覚悟しておけ」



 少女の桃色の瞳が大きく見開かれる。

 つやのある唇の口角がにいっと持ち上がり。



「あは、あははは! その殺気、ゾクゾクしちゃう」



 少女は頬を染め、恍惚こうこつの表情を浮かべて笑った。


 殺気を向けられて喜ぶなど、まったもって理解できない。

 被虐ひぎゃく趣味でもあるのだろうか。


 ルーカスは嫌悪感を隠せず眉をひそめた。

 左方向から剣を向けるハーシェルも「うわぁ……」と顔を引きつらせているし、他の団員も顔をしかめている。



「——でも、ごめんね?」



 ルーカス達を嘲笑あざわらうかのように、少女がパチンと指を鳴らした。

 そうすればその姿は一瞬のうちに暗霧へ包まれ霧散する。



「んなっ!?」

「消えた……?」

「団長!」



 剣を突き付けた相手が忽然こつぜんと霧の中に消え、ハーシェル、アーネスト、ロベルトが狼狽うろたえるが、ルーカスは冷静だった。



(常識でははかれない力。

 やはり少女は……そうであるのだろう)



 心当たりが確信に変わる。



「遊んであげてもいいんだけど、今日はここまでね。また会いましょ♪」



 どこからか鈴の様な少女の楽しそうな声が響いた。

 まるで新しいおもちゃを与えられて喜ぶ幼子のように——無邪気で不気味な声だった。






◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇






 その日の夜半——。


 ルーカスは自室の、庭園が一望できるテラスで夜風に当たっていた。

 普段は邪魔になるからと、後ろでまとめた髪もいまは解いているため、長い黒髪を風が揺らす。


 欄干らんかんに腰をえ、腕を組んで双子月をながめれば今夜は満月で、月明かりがまぶしかった。


 白昼の出来事に思いをせる。


 騒動の原因はやはりあの少女だった。

 精神に干渉する大規模魔術を使い、王都の一角を混乱せしめた少女の狙いは——イリア。


 彼女を連れ去ろうとしていたそうだ。


 シャノンとシェリルは幻影を操る少女に応戦し、窮地きゅうちおちいった時——イリアは自身に眠る力、戦う術を思い出したそうだ。


 だが、過去の記憶については依然と思い出せない様子だった。


 今回の事件のあらましを知るのはごく一部だ。

 おおやけには〝謎の襲撃者による王都混乱を狙った事件〟とされ、首謀者は捜査中という事になっている。



(しかし、こうも大胆に動いて来るとは……。

 ますますあちらの事情が理解できないな。

 一体どんな思惑が動いているのやら)



 潜入捜査を任せたディーンからの確たる報告はまだない。


 たまに来る報告は、やれここの店のこの料理が美味いだの、どこそこの観光地の銅像が不格好で傑作けっさくだの——どうでもいい感想ばかりだ。


 それでも陰では真面目に職務はこなしている事だろうと、ルーカスは夜空を見上げて思った。


 不意に「コンコン」とノック音が響く。


 意識を音が鳴った方へ向けると、扉の開く音が続いた。

 顔をのぞかせたのは桃髪の姉妹立だった。


 慣れた様子で部屋に入り、二人はテラスにたたずむこちらの姿を見つける。

 と、静かな足取りで歩を進め、テラスへと辿り着いた。



「お兄様、こんばんは。お邪魔でしたか?」

「いや。こんな時間にどうしたんだ?」



 昼間あんな事があったせいだろうか。

 二人の表情は硬く、緊張した様子で、シャノンに至っては顔を伏せている。

 よそおいも軍服のままだった。



「イリアさんのことよ」



 うつむいていたシャノンがつぶやく。



「ねえ、お兄様。私、知ってる。ううん、聞いただけだけどわかるわ。あの力は……!」

「それにあの少女の力も。お兄様、彼女たちは……」



 顔を上げたシャノンがまくし立て、シェリルが続く。


 その鮮やかなあかの瞳には、揺るぎない光を宿していた。

 彼女たちが振るった力、常識を超えたに思い当たる節があったのだろう。


 あの力を間近に見たのだ。

 気付いても可笑おかしくはない。



(……やはり話すべきか)



 昨日も同じくことを考え思い留まったばかりだが、二人がイリアの護衛である限りいつかは知る事だ。


 また、彼女が戦う術を思い出した今となっては、事情を知っていた方が動き易いだろう。



「ああ、そうだな。二人は知っておくべきだ」



 ルーカスは双子月を見上げた。


 月下を照らす月明かり、蒼白く輝くは蒼月セレネ、紅に輝くは紅月メーネ

 この星はかつて創造の女神が創ったと言われている。


 世界樹にマナ。

 当たり前のように世界に存在する神秘しんぴの力——。

 それらはすべて、世界とそこに生きる人々を慈しんだ女神がのこした愛、恩寵おんちょうだ。


 ならば、闇夜に輝くあの二つの月もきっと。


 ——女神。そう、女神だ。


 彼女たちが持つあの力は、女神が世界に贈った恩寵おんちょうたる神秘の一つ。


 ルーカスは重い唇を動かして、答えを待つシャノンとシェリルに告げる。



女神の使徒アポストロス



 一陣の風が吹く。

 木々を揺らしてさざめかせ、髪をさらってなびかせる。



「彼女たちはそう呼ばれる存在だ」



 〝女神の使徒アポストロス

 女神の恩寵おんちょうたる神秘アルカナを宿し、その身に証である聖痕せいこんを持ち、女神のしもべとして使命をびる者。


 強大な神秘アルカナと言う力を持った使徒達の多くが帰属するのは——世界樹をようし、世界の中心にするアルカディア神聖国、アルカディア教団。


 渦巻く陰謀は——そこにある。


 教団への疑問が募る中、教皇聖下がおこなう五年に一度の聖地巡礼ペレグリヌス、その開催の時は刻一刻と迫っていた。

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