第一章 ゴブリンたち 第8話 ヴラツロフ辺境伯。

 夜を徹して行われる報告書作成作業だが、中には「なんでこんなに急がなければならないのか?」とぼやく者もいる。


「パヴェウ、そうぼやくな。」


 そう嗜めるのは最年長のマレク。


「ぼやきたくなる気持ちもわかるがな。」


 後退した髪の生え際を撫でながら言葉を続ける。


「ですが、これは辺境伯のやるべきことであって、殿下が手助けするようなことでしょうか?」


「パヴェウは、中央に来てどれくらい経つ?」


「三年です。」


「三年か。すると、王宮に勤めるのはまだ一年になるかどうかといったところか。」


 パヴェウは地方出身者であり、その優秀さから地方貴族の推薦により王都の騎士学院に入学している。

 騎士学院では二年間の修練が課され、各部署に配属されることになる。

 パヴェウは昨年の夏に第三王子ヘンリクの近習として配属されている。


「学院内にも派閥はあるから、それなりに王宮内の派閥について知っているだろう?」


「ええ、それくらいなら知っています。」


 最大派閥は第一王子でもある王太子派。

 次いで大きいのが王弟派だ。第三派閥になるのが第二王子派。

 そして、第四派閥に第一王女派があり、最小の派閥が第三王子ヘンリク派になる。


 第一王女派にしろヘンリク派にしろ、野心に乏しく王太子の王位継承に異議を唱えるつもりなどない。それは第二派閥である王弟派も同様なのだが、問題なのは第二王子派だ。

 第二王子アルフレトはその野心を隠そうとすらせず、

「自分こそが次期国王に相応しい!」

 そう公言しているほどである。


 当然ながら、王国の秩序を乱しかねないアルフレトを嫌う廷臣は多いのだが、同時に変革を求める者たちには人気がある。

 下級貴族やパヴェウのような地方貴族からは、大きな期待を寄せられている。とはいえ、パヴェウ自身はアルフレトを「野心だけは大きい世間知らず」と見ており、地方貴族の息子というだけでやたらと勧誘を受けたことを苦々しい思い出としている。


「そのアルフレト殿下を支持する者に、ポモージェ辺境伯がいるんだよ。」


「ポモージェ辺境伯?」


ポルスカ王国我が国に辺境伯は何人居る?」


「そりゃ、東西南北の四方位に配置されているから四人ですよね?」


「そうだ。で、ポモージェ辺境伯はどの方位に領地を持っている?」


「北ですよね、たしか。」


「カティン大森林は?」


「北西・・・、あっ!!」


「やっと気づいたか。カティン大森林はポモージェ辺境伯と、ヴラツロフ辺境伯双方の領地に接している。」


 ここでパヴェウはようやく気づく。

 野心家であるアルフレト王子に与するポモージェ辺境伯が、カティン大森林での経済活動なり軍事活動なりで成功を収めた場合、それをもってアルフレト王子派が勢いづく可能性がある。それを防ぐには、カティン大森林関連の問題を主導するのがヴラツロフ辺境伯でなければならない。

 その一方で、ヴラツロフ辺境伯もなるべく波風を立てないようにしており、その証拠に最小派閥のヘンリク王子を通じて報告書を提出しようとしている。


 ヘンリク派は最小派閥とはいえ、その王子という肩書きは非常に強いものがある。ヘンリク王子を通じての提案が通れば、アルフレト王子派を掣肘することができ、それでいて最小派閥であるため王宮内の政治力学に与える影響は少ない。


 作業を進めながら、パヴェウはよく考えられたものだと感心する。


 そこに、


「辺境伯、殿下!!」


 辺境伯の部下が扉を開けて飛び込んでくる。


「どうした、騒がしいぞ!」


 辺境伯が一喝するが、


「申し訳ありません。ですが、エウクの領主カレンバッハ男爵が、カティン大森林の小鬼族ゴブリンと接触しようとしているとの報が入りました!」


「なに!?」


 ヴラツロフ辺境伯は驚きの声をあげる。

 エウクは大きな町ではないが、ヴラツロフ辺境伯が管轄する領域では最もカティン大森林に近くにある、それなりの規模を持った町だ。

 これまでもカティン大森林探索の拠点となってきた町でもある。


「カレンバッハ男爵とは?」


 この地域のことに疎いヘンリクが尋ねる。


「カレンバッハ男爵は、エウクとその周辺の村々を統治しております。

 軍事的能力はさして無いのですが、慎重な性格の男です。」


 だから、こちらになんの報告もなく勝手に接触している理由が思いつかないのだ。

 エウク周辺で何か大きなことが起きている可能性もあり、調査も必要になる。


「どうする?エウク周辺の調査をした上で、報告書を提出するか・・・」


「いえ、まずは今の報告書を提出しましょう。」


 ポモージェ辺境伯に先んじることを優先する。

 だが、それだけではいけないと、ヴラツロフ辺境伯は机上の鈴を鳴らして家令を呼び、


「デルフィナを呼んでくれ。」


 そう指示を出す。

 退室した家令は一〇分ほどすると妙齢の女性を連れて来る。


「お父様、お呼びとのことで参りました。」


 短く切り揃えた金髪は室内の蝋燭の灯りを受け、より輝いているように見える。そして切れ長の瞳は勝気さを。


「突然のことだが、明朝にカレンバッハ男爵の下に行ってもらいたい。」


 デルフィナは小首を傾げつつも、その視線は父親を外さない。その説明を求めるような視線を受け、ヴラツロフ辺境伯はヘンリク王子に目配せする。

 どこまで話して良いかという確認だが、ヘンリク王子は大きく頷くことで、全てを話すように合図する。


 王子からの了解を得たことで、ヴラツロフ辺境伯はデルフィナに今までのことの説明を始めた。



 ーーー



「私は明朝、ヘンリク王子とともに報告書を持って王都に向かわねばならん。

 本来なら、アウグストかフレデリクに行かせるところだが、二人はここに残って私の代理とその補佐をしてもらわねばならん。」


 アウグストはヴラツロフ辺境伯の長子であり、後継者である。フレデリクは次子であり、兄であるアウグストの補佐をする立場だ。


「私の名代としてお前を遣わすのだ。その意味を忘れるなよ?」


 ヴラツロフ辺境伯はデルフィナにそう念を押す。


「わかりました、お父様。

 それで、私の部下を連れて行ってもよろしいのでしょうか?」


 その言葉にヴラツロフ辺境伯は数瞬だけ考える。


「お前の部下にはカレンバッハ男爵の娘が居たな。

 一緒に連れて行け。」


 カレンバッハ男爵の娘を連れて行くというのは、両家の関係を思い出させるための道具としてであり、一種の脅迫とも取れる。


 その意図を読み解いたデルフィナは、


「わかりました。」


 とそう言って退出しようとして留まる。


「そうそう、大切な人にご挨拶を忘れておりました。」


 そう言ってヘンリクの前に立つと、


「お久しぶりでございます、ヘンリク殿下。

 それとも、お義兄様とお呼びした方がよろしいでしょうか?」


 貴族令嬢として一分の隙の無い立ち居振る舞いをみせる。


「ロザリアとの結婚式以来だね。

 呼び方は好きな方でかまわないよ。」


 ロザリアとはヴラツロフ辺境伯の長女であり、デルフィナの姉である。


 ヴラツロフ辺境伯が長女ロザリアをヘンリクに嫁がせたのは、当然ながら政略の意味が大きいのだが、長女の相手を第三王子にしたのはヴラツロフ辺境伯家としての生存戦略である。


 警戒されるほどには宮廷への影響力を持たず、かといって軽んじられるほど影響力がないわけではない相手としてヘンリク王子に嫁がせたのである。


 下手に欲張って王太子などに嫁がせれば、周囲に野心ありとして警戒感を与えることになる。それは、時と場合によっては家を滅ぼしかねない事態になりかねない。

 かといって、宮廷関係者と婚姻関係を全く結ばないのも、「独立しようとしている」と捉えられかねない。

 それらを防ぐために、王族に連なりつつもさほどの影響力を持たない相手と姻戚関係を結ぶ。そうすることによって、ヴラツロフ辺境伯家は宮廷からの疑念を防ぎつつ、侮られない程度の影響力を維持してきたのだ。


「わかりました。

 それでは殿下、私は明日の準備のためお暇させていただきます。」


 デルフィナは一礼して退出する。

 その後ろ姿を見送り、


「姉妹でも全然違うものなのだな。」


 ヘンリクは自分の妻を思い浮かべつつ、そう言って苦笑する。

 妻ロザリアは、例えるなら春の陽光のような女性だ。穏やかで笑みを決して絶やさず、周囲を和ませる。

 だが妹のデルフィナはどうだろうか。初夏の陽射しのようであり、周囲を忙しなくさせる。


「ええ、本当に同じ母親から産まれたのかと、不思議に思うこともありますな。」


 ヴラツロフ辺境伯はヘンリク感想に同意する。


 二人が思考の寄り道をしたのはここまでで、すぐに報告書の作成へと取り掛かっていく。



 ーーー



 自室へと戻ったデルフィナは、すぐに部下を召集すると、旅の準備を命じている。


 命じられた準備をするために部下が去ると、


「なにやら面白いことになりそうね。」


 そう呟いていた。

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