第一章 ゴブリンたち 第七話 人間たちの動き
族長ダンとの話し合いを済ませ、正人らはイオタの指導により開拓を進めている現場に来ていた。
「
めざとく正人を見つけたイオタは、その前に急いで駆けつけ膝をつこうとする。正人はそれを手で制すると、
「進展はどうかな?」
「はい。現在、計画している範囲の開拓、開墾が進めば、三倍の人口になっても支えられるだけの収穫が見込めるようになります。」
イオタはいつもの間延びした口調でなく、しっかりとした口調で返答する。
暇な時は暇なりの口調になってしまうのが、彼女の特徴だったりする。
「その収穫が見込めるようになるのに、どれくらいかかる?」
予想された質問なのだろう。イオタは即答する。
「窒素肥料や有機リン肥料、天空の城にて開発している品種改良作物を使うことで、三年後には見込めると。」
「わかった。必要な物はカイと相談してくれ。ただ、
「わかりました。」
正人の意を理解しているイオタは恭しく一礼すると、作業指示へと戻っていき、それを見送った正人らはベータのいる診療所へと向かった。
ーーー
診療所は、その名前から受ける印象よりも遥かに大きく、立派な作りになっていた。
「まるで大病院だな。」
この集落には不釣り合いな、鉄筋コンクリート造りの五階建て建造物。
集落周辺を流れる水路を活用した水流発電により、もう薄暗くなり始めたにも関わらず診療所の周囲は明るい。
「あ、マサト!!」
診療所から出てきたダァは、めざとく正人を見つけると声をかけてくる。
その隣にはミィレがいる。
「ダァとミィレか。診療所に来てたってことは、病気にでもなったのか?」
正人はミィレの方を見ながら言う。ダァはさっき会った時も元気だったし、診療所に用があるとしたらミィレの方だろうと推測したのだ。
「そんなんじゃねえよ。ちょっと、な。」
ダァは少し恥ずかしそうに視線を逸らし、ミィレははにかんだ表情で自分のお腹を愛おしそうにさする。
「妊娠、ですね?」
アルファが優しく微笑みながら、確信を持った声音で問いかける。
小さく頷くミィレと、気恥ずかしそうに横を向くダァ。
「へえ、そうなのか。
でも、ダレは何も言ってなかったぞ?」
正人は先ほどまで話していたダレを思い浮かべつつ、疑問を口にする。
「安定期になるまでは、黙っておくようにと私がお二人に
診療所の扉を開けてベータが声をかけてくる。
「そういうことか。」
ベータの言葉に正人は納得する。
あちらの世界で、妊娠したと聞いてはっちゃける親がいると、そう聞いていたからだ。
親の期待が過度に高まってしまうと、それが
「それよりもダァ様、ミィレ。
外で馬車を待つのではなく、中で待っていてはどうですか?」
ベータは二人に提案する。
診療所はその用地を確保するために、集落のはずれに建設されている。
そのため、来院するための馬車を定期運行しているのだ。
緊急の場合には、自動車が走ることもある。
「そうさせてもらおうかな。」
ダァは遠慮することなく、診療所の待合室で待つことに決める。
「順調に育つとして、予定日はいつくらいになるんだ?」
「これまでの
ベータによれば、
「三ヶ月とは、随分と早いんだな。人間だと、十月十日なんて言ったりするけどな。」
さらに言えば小鬼族は多産であり、平均で3〜4人を出産するというから、増えるのもかなり早い。
ダァたちと取り留めのない会話をしていると、集落中央への乗合馬車が来たようだ。
「じゃあなマサト。
また今度な。」
ダァはそう言って正人に手を振ると、ミィレの手を取って乗合馬車に乗って行った。
乗合馬車を見送る正人に、
「ご
アルファが声をかける。
「子供が欲しくなったってより、自分にも子供ができたらどうなるのかなって、思っただけだよ。」
家族の温もりを知らない自分が、はたして親になることができるのだろうか?
そんな思いが
「まあ、相手がいないのに考えることじゃないんだけどな。」
頭を掻きながら、正人はアルファたちにそう言って苦笑する。
「それよりも、視察したことのレポートを書かないとな。じゃないと、ウイルドに嫌味を言われちまう。遊びに行ってたのかってね。」
肩をすくめると、
「拠点に戻るよ。」
診療所の運営という仕事があるベータを残して、正人たちは車を走らせるのだった。
ーーー
正人たちが拠点に戻った頃、カティン大森林の周辺を治める領主であるヴラツロフ辺境伯の居城には、ポルスカ王国第三王子ヘンリクがわずかな供を連れて来訪していた。
応接間へと案内されたヘンリクは、ヴラツロフ辺境伯との会談に望む。
ヴラツロフ辺境伯コンラートは、ガラス細工のグラスにポルスカ王国でも最高級とされるワインを注ぎ、ヘンリクの前に置く。
ヘンリクはグラスを手に取ると、ワインの香りを楽しむ。
「うん、相変わらずこのヴラツロフ産のワインは、良い香りがするな。」
相好を崩して感想を口にすると、ワインを一口口に含ませる。
「この芳醇な香りと味が堪らないな。」
その感想にコンラートも大きく頷く。
「今年の出来は、この十年で一番と職人たちも言っております。」
「なるほど。その自負も納得だな。」
もう一口、口に含ませるヘンリク。
「そういえばこのグラス、王都に最近入り出したものに似ているな。」
「王都にも入り出しましたか。利に聡い者が持ち出したのでしょうな。」
この口ぶりからすると、ガラス製品をヴラツロフ辺境伯は一旦自分で買い占めているのだろう。
「辺境伯領でガラス細工が作られているとは知らなかったよ。」
「残念ながら、我が領で作られたものではありません。カティン大森林で作られた物です。」
「カティン大森林で?」
ヘンリクは少し考え込む。
カティン大森林はポルスカ王国の北西部に位置する、その名の通りの広大な森林地帯である。ポルスカ王国としても、幾度となくその全容を解き明かそうと探索部隊を送ってきたものの、外周というべき地域しか入ることができないでいる。
その外周部で人族と交流を持っているのは
だが、その
「新たな種族にでも出会ったのか?例えばドワーフとか?」
ヘンリクの推察は、誰もがそう思うものであって突飛な発想では無い。
「いいえ。まさかとお思いでしょうが、持ち込んできたのは
持ち込んできたのはガラス製品だけでなく、こちらも。」
ガラス製の器に入っている、少し茶色がかった粉状のもの。
ヘンリクは器を受け取ると蓋を開ける。中から漂ってくる甘い香り。
「まさか砂糖か!?」
粉を少しだけ摘んで口の中に入れる。紛れもなく砂糖の甘さだ。
砂糖は南方の植物からしか採れないはずのものだ。
あのカティン大森林には砂糖が採取できる植物があるのだろうか?
再び考え込むヘンリクを見て、ヴラツロフ辺境伯はテーブルの上に置いてある銀の鈴を鳴らす。
扉をノックして入ってきた家令に指示を出し、家令は一礼して退室する。
そして戻ってきた家令の手には、多種多様な果物を載せた籠がある。
「果物か。持ってきたということは、食べろということだな。なら、まずは林檎からもらおうか。」
ヘンリクは遠慮なく林檎を指定し、家令は林檎の皮を剥き、カットして渡す。
「これは!?
今まで食べた林檎よりも酸味が少ないな。それでいて甘味は強い。」
次々に提供される果物を食べると、ヘンリクは腕組みをして考え込む。
通常であれば、これらの果物は市場に流せば良いだけのことだ。ヴラツロフ辺境伯の領地では質の良い果物がたくさん採れると評判になるだけのこと。
なのにそれをせず、自分に試食させるということは・・・。
「カティン大森林か。」
導き出された答えを口にすると、ヴラツロフ辺境伯は大きく頷く。
「まったく、カティン大森林で何が起きているというのだ?一度に情報が入り過ぎて、頭が沸騰しそうだ。」
嘆きともぼやきともつかぬ口調で、ヘンリクは言うと、
「カティン大森林の今後の扱いについて、議論をする必要がある。
今夜のうちに、陛下への報告書を作成するぞ。」
随行してきた部下たちを呼び寄せ、ヴラツロフ辺境伯は自身の秘書官を動員して作業に取り掛かった。
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