第一章 ゴブリンたち 第6話 平穏な日々

 小鬼族ゴブリンたちとの接触から二年。


 カティン大森林は大きく様変わりしている。


 ダンやダレたちの呼び掛けや説得により、大森林の中に点在していた小鬼族ゴブリンの部族が取りまとめられていったのだ。


 ダンたちの集落を基礎として、集まってきた小鬼族ゴブリンたちの生活する街が建設されていき、その周囲には森を切り拓いてできた広大な農地がある。


 豊かな実りをみせる小麦畑に、種々の果樹が植えられた果樹園や、多種多様な野菜を育てている畑もある。

 少し離れた場所では山羊や羊、豚や牛を飼育もしている。


 そしてなによりも変わったのは、小鬼族ゴブリンたちの意識だろう。正確には変わったのではなく、変わらざるを得なかったと言うべきか。

 なにせ正人は、民生技術に関して天空の城の技術力や科学力を出し惜しみする事なく教えたのだから。


 その結果、開拓のペースは大幅に早まっただけでなく、農業生産力も大幅に上がっている。大幅に上がって生産力によって生まれた余剰作物を、カティン大森林近郊の人族の村々や小規模な町に売ることで現金収入を得て、さらにはその現金収入を活用して交易も生まれている。

 カティン大森林近郊には、小規模とはいえ小鬼族ゴブリンを中心にした経済圏が生まれていた。


 賑わいをみせる小鬼族ゴブリンの街の中心部を、正人はのんびりと歩いている。

 お供にはメイド姿のアルファと執事姿のカイが付いている。


「随分と人が増えたな。」


 正人の素直な感想だ。


「はい。直近の三日ほどで、新たに二つの部族が加わったと報告を受けております。

 さらに三つの部族が加入を望んで交渉を求めており、五つの部族が加入を検討しているのだそうです。」


 カイの説明に、


「そりゃ凄いな。」


 と、現実感を感じられない正人は気の無い口調である。


「ええ、凄いのです!

 我が主人マイ・ロードの威光の前には、戦わずとも皆が平伏すのです!!」


 カイの熱弁には陶酔が多分に含まれている。

 そんなカイの様子を見て、


“そんなふうに作成したかなあ?”


 と、正人は首を傾げている。


「あれ?マサトじゃねえか。」


 不意に声をかけられる。

 声をかけてきたのはダァだ。


「今日は何しに来たんだ?」


「視察だよ。ここで働いてもらってるベータやイオタ、ミューやニューの様子を見に来たんだ。」


「彼女たちなら、しっかり働いてくれてるぞ。

 ベータ先生・・のおかげで子供が死ななくなったって女衆は喜んでたし、イオタのお陰で力仕事が楽になったと男衆も喜んでたぞ。」


 ベータには医療・治癒特化型の能力を持たせており、その部下たちもそちら方面の能力を持たせている。同様に、イオタとその部下たちには機械開発や魔法人形ゴーレム作成、操縦に特化した能力が与えられている。

 二人は協力して、小鬼族ゴブリンの集落の衛生環境改善にも尽力している。


「へえ。じゃあミューやニューも役に立ってるのか?」


 正人の素朴な疑問に、ダァは露骨に目を逸らしながら、


「あ、ああ、とても役に立っているぞ。」


 と、上擦った声で答える。


「なぜ目を逸らすのです?」


 ダァの背後からの声に振り返りつつ、


「そ、そりゃあ、とんでもなく厳しいか・・・ら!!!」


 答えようとして声の主を見ると、気絶山羊ミオトニック・ゴートのように突然気絶してその場で泡を吹いて倒れてしまった。


「よほど厳しくしているのですね、ミュー。」


 ダァの背後に立ったボーイッシュな姿と、それとどこか不釣り合いなメイド服を着た人造人間ホムンクルスに、アルファが声をかける。


「やりすぎないようにとも、注意したはずですけれど。」


「だけどアルファ。小鬼族ゴブリンたちに人族の言葉をしっかりと習得マスターさせるには、少しくらい厳しくしないとダメなのよ。」


 この2年で、近隣の人族の村々との交易が始まり、これからも人族との交流は増えていくだろう。

 そうなると、小鬼族たちも人族の言葉をしっかりとした発音で話さなければ、対等の交易相手と看做されなくなる可能性が高い。


「まあ、それは理解しているけれど。」


 アルファもそのことは理解しているのだが、問題は自分たちのあるじの認識だ。


「第一世代だから仕方ないと思うよ。今後の第二世代以降は、そこまで厳しくしなくてもやっていけるさ。」


 心配しているアルファに対し、正人はそう言って笑う。


「何事も、初めが肝心だよ。」


 第一世代が人族の言葉をしっかりと話せるようになれば、それは第二世代にも受け継がれていくことになる。


 ダァを介抱するカイを見ながら、


「ニューの方はどうなんだい?」


 ミューに質問する。


「はい、ニューの方は第一次募集の三〇〇名余の小鬼族ゴブリン軍事教練・・・・を終了させており、第二次募集をかけているところです。」


 ミューの返答に、


「そういえば、ダァは軍事教練には参加していないのか?」


 カイの介抱によって、息を吹き返したダァを見ながら質問する。


「それは・・・」


「参加してないぜ。」


 ミューが答えかけたのを遮り、息を吹き返したダァが答える。


「だってオレ、戦いなんて向いてないからさ。」


「いいのか?族長は参加するように言ってたんだろ?」


 族長のダンは、後継者候補として参加させると言っていたが、当人はその気が無いようだ。


「族長なんてなりたくないし、兄貴たちもいるんだからさ。参加しなくたって問題ないって。」


 確かに族長候補にはダギがいるし、そもそもその前の世代としてダレが次期族長として決定している。


「そうは言っても、族長を補佐する役割を期待されてるんじゃないのか?」


 そのためにニューやミューの教育を受けているのだ。軍事はニューに、対外交渉はミューにと。


「いいんだよ。荒事は兄貴たちに任せて、オレは交渉の方に専念するんだから。」


 ダァの言葉に正人はミューを一瞥し、ミューは小さく頷く。

 意外と、ダァは交渉に向いているということだろう。


「あっ!これからミィレのとこに行かなきゃなんねぇんだ!」


 ミィレとはダァの妻となった小鬼族ゴブリンの女性のことだ。


「ミィレとベータ先生のところに行くから、暇があったら来てくれよな!!」


 ダァは大きく手を振って、走り去って行く。


 ダァを見送り、


「ミィレとベータのところに行く?」


 正人は疑問を呟く。


「ミィレに妊娠の兆候があると、ベータより聞いております。」


 正人の呟きが聞こえたのか、アルファが答える。


「へえ。ミィレが妊娠かあ。それなら何かお祝いの品を準備とけばよかったな。」


「いいえ。妊娠していたとしても、安定期になるまではそっとしておいた方が良いかと。

 下手にお祝いの品を渡してしまうと、それが重圧になってしまうかもしれません。」


 アルファに諭されると、それもそうかと思い直す。


「前世でも、周囲の重圧から流産したって話も聞いたことがあったっけ。」


 入院中に、そんな話を何度も聞いたことがある。


「安定期になったかはベータに確認して、それからでもいいかな。」


「はい、その方がよろしいかと。」


「じゃあ、とりあえずは予定通り、ダンのところに行こうか。」


 視察をするにしても、族長であるダンを無視するわけにはいかないのだ。

 正人たちは族長の屋敷へと歩き出して行く。



 ーーー



「これは正人様、よくぞお越しくださった。」


 ダンは正人らを出迎えると屋敷の中へと案内する。


 屋敷とはいっても政庁としての機能もあり、文官とでもいうような小鬼族ゴブリンたちが忙しく動き回っている。


「この二年で、多くの部族が集まりましたでな。人数が増えただけ色々と問題も起こっております。」


 屋敷の奥へと歩きながら、簡単に現状を説明する。


「耕作地の拡張や、居住地の拡張、食料生産力の増大と、やらねばならぬことも多くあります。」


 建設関連なら、イオタとその部下たちによる工作部隊が力を発揮しているはずで、そこまで大きな問題になっているとは思えない。

 すると、より大きな問題は、


「当面の食料か。」


「はい。現状であるなら、まだなんとかなりますが、更に増える可能性が高いものですから。」


「カイもそんなことを言っていたな。必要ならミューなりカイなりに伝えてくれ。天空の城から運ばせるから。」


 天空の城でも食料生産はされており、大量に貯蔵もされている。千人や二千人どころか、万単位の人間を複数年に渡って支えるだけの能力がある。


「ありがとうございます。」


 ダンは謝意を示し、


「それから、そろそろ小鬼族ゴブリンの代表職を辞そうと思っております。」


 もう歳も歳ですからと笑う。

 小鬼族の寿命とされる五〇歳を超え、六〇歳近い年齢なのだからいつ引退してもおかしくはない。


「次は決めているのか?」


「はい。ダレに任せようと考えております。

 ここまで集落が拡大する中、尽力しておりましたでな。その働きは新参者たちも認めておりますゆえ。」


「そうか。ダレなら任せられるな。

 それで、引退する時期は決めているのか?」


「ひと月後に、エウクという街の領主と交易のための会談を持つことになっております。

 それをまとめてからにしようかと、そう考えております。」


「わかった。引退後は、なにかしたいことはあるか?」


「そうですな。もし、可能であるならば、このカティン大森林を空から見てみたいですな。」


「わかった。そのための準備を進めておくよ。

 それは、この拡大していく集落、集まった他部族をまとめ上げてくれた礼だ。」


「そのような褒美をいただけるならば、なんとしてもまとめてこなければなりませんな。」


 正人とダンはひとしきり笑いるあっていた。




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