4話 世間の正解は、わたしの不正解
暗くて足元がほとんど見えず、木の根や石につまづきそうになる。ソニは、けもの道を急いだ。
ルブリに引き止められた遅れを取り戻さなければいけない。トニーとこのまま離れてしまいそうで焦ったが、ついてくる気配がなくて待っていてくれたのか、すぐに追いついた。
森にさほど深く入ったわけではないので、木々の間から街の明かりが遠くに見えてきた。ゆっくり歩を進めていたトニーが、森の外に出る手前で足をとめた。
この近くにあるのはスポーツ施設と公園、人家はぽつぽつとしかない。住宅地から外れた場所なので、日が暮れると人通りがなくなる。それでも人の目を用心していた。
ソニも足をとめ、トニーから三メートルばかりの距離をあけて立つ。
あらためてトニーの姿を見やった。わずか二ヶ月ではない。ソニにとっては長い時間だった。
求めていた人が、目と鼻の先に立っていた。
言葉が詰まる。やっと出たのは、
「少し痩せましたか?」
「脚を撃たれてから、運動不足になってたからね」
重なった木が月明かりのじゃまをして表情がうかがえない。平坦な声の調子に、再会を喜ぶ感傷的な様子はなかった。
初めて会った頃を思い出させる、心情を悟らせない、淡々とした口調。
ソニは密かに気持ちをかきたてた。その面持ちを崩したい。本音を聞き出したい——。
「さっき取りあげた
前置きなしで本題に入ってきた。
「バイロンから返せと言われなかった?」
「逆です。必要になる時がくるから、持っておけといわれました。隠し方や保管のやり方も教えてもらいました」
「ここの森を利用すれば、ルジェタから逃げ切ることは出来たはず。とどまった理由は?」
「力を持たなかった頃は、避けて逃げるだけでした。それをまた繰り返したくなかった」
「反撃できる自信もできたんだ」
「そこは思ってもいなくて……」
ルジェタへの怒りが先にあった。大切に思っている人の上部だけを模倣され、愚弄されたように感じた。
しかしトニーには、感情に囚われて動いた愚かしさを知られたくなくて言いよどむ。
「自分の力に溺れてない?」
そんなことはない——と言いたかったが、
「自分の能力の程度を忘れていたかもしれません……」
相手は実戦経験を積んできたルジェタであり、実技の土台をつくってくれた人である。当たって砕けろで挑んでいい場面でもなかった。
「誰かの命令があったわけでも、報酬が発生してる仕事でもない。自分から危険を掴みにいくような馬鹿はするなっていうのは、もう忘れた?」
ソニは正直に答える。トニーだからこそ、本当のことを知っておいてほしかった。
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「存分に力を発揮していると、心地よさを……興奮を覚えることがあります。これは、ルジェタ・ホッジャから逃げなかった答えでもあります」
沈黙の時間が流れた。
トニーの表情は、葉がつくる影で見えない。これのために木立の中から出なかったのかと思う。
トニーの応えを促すつもりで言った。
「バイロンさんが厭う、トリガーハッピーと同じような素養があるのかもしれません。そのぶん……言い訳みたいですけど、自分を客観的に
「仕事を手伝わせておいて、いまさらだけど……」
ようやく返ってきた答えは、やはりという内容だった。
「ソニには、人としての感覚を忘れずにいてほしいと思ってる。力に酔っても自覚できているならセーブもできる。代替できるものを探せばいい。力は生き残るためのツールになるものだけど、そんなもの必要ないところで生活できるほうがいい」
「一般社会からみた正解は、わたしが以前の仲間の元に戻ることではなく、<フェロウ・インダストリーズ>で得る技術とツテで生きていくことでしょう。アントニアさんも、そう考えるのですね」
「あたしは『一般社会』というやつをよく知らない。正しくあれば生きていけるなんて夢もみていない。それでも、ね……」
「わたしは、安全で平穏な生活に憧れていました。強く求めていたはずなのに、いざそうなると……足りないんです。
非合法な仕事が好きなわけではありません。けれど、普通と呼ばれている社会のなかでは、どれだけ仕事や運動で身体をいじめても、燃えきらないというか……気持ちが悪い? すいません。言葉の勉強は続けていますが、いまの気持ちを言い表す言葉が、まだわかりません」
「自分に正直になれば、幸せに生きられるというものでもない」
「はい……。けれど、わたしがこれまでで一番の幸せだと感じたのは、アントニアさんたちと一緒にいるときでした。もう一度、アントニアさんと組んで仕事をしたい」
「アドレナリンが心地よかっただけだよ。代わりになるものは、そのうち見つかる」
「交感神経の問題だけじゃありません。ルジェタ・ホッジャとの仕事より、アントニアさんと一緒のときのほうが強く感じました。これは……わたしが求めているのは、単純なスリルや闘争じゃなくて……」
シンプルに訴えられる言葉が見つからない。もどかしくなる。
「あたしが……<
トニーの声に苛立ちが混じり始めた。
「だいたい、これまで仕事がこなせたからといって、これからも無事とは限らない」
「わかっています。リスクは承知しています」
「いや、わかっていない。更生施設にいる、いまの機会がどれだけ大事か」
正面に向き直ったトニーの顔を薄い月明かりが浮かび上がらせた。
怒っているわけではなかった。
じれったいような表情に、ソニは困惑する。
見下ろしているソニの目の高さが、少し高くなっているように感じる。
トニーは、気のせいだとわかっていた。実際の身長が変わっていなくても、精神的に圧されているのだ。
レストランの地階で見つけたときから、ソニは力をつけてきた。
けれど、この程度ではまだ足りない。
「あんたは仕事の入り口を経験しただけ。バイロンが〝
「自分の居場所は、自分で決めます」
ソニも譲ろうとはしなかった。
確かにそうだ。他人にいわれて従うものでもない。
だからトニーは、強硬手段をとる。それができる場所にいた。周囲に人家はなく、通りかかる人影もない。
「戻りたいっていうなら、あんたの力を証明してみせて。生半可な能力のやつが仲間になるのは迷惑」
ソニを見たまま、後ろに退がる。
銃を持っていなくても油断できる相手ではない。ともに仕事をして、ソニの働きぶりを傍で見ていたトニーは、十二分に理解していた。
それでもわからせるために、シンプルな手段で決着をつける。
言葉より、力の世界の方法で。
「迷惑なのは、危機に陥った仲間は助けないといけないからですか?」
「力不足の窮地は本人の責任。そんなときは見捨てると決まっている。危険に巻き込まれる迷惑をこうむりたくないだけ」
そばにルブリやリザヴェータがいなくて幸いだった。
「では、力があると認めてもらえればいいのですね?」
自信があふれる双眸に、思い上がりはうかがえない。
さあこれは、自分の首を絞めたことになったか……。
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