3話 承服の枷

 ソニをうながすでもなく、トニーがさっさと歩き出した。ついてこないなど疑ってもいない様子。

 ソニは素直に従う。<テオス・サービス>に連れ戻されるのか、また別の場所に行くのか。なんにせよ、トニーとの話はまだ終わっていない。

 ポケットには、ついさっきルブリから預かったものがあった。


 

「これ、ウィダに渡しといてくれるか」

「はい……?」

 包んでいた濃紺のハンカチがとかれる。

 受け取ろうとした手がとまった。トニーの存在も忘れて、ルブリが持っているものを凝視する。

 顔に苦悶の色をうかべたソニに、ルブリは手を引っ込めた。

「いや、おれが渡しくよ。急ぐもんでもないだろうから、向こうに帰ってからでも——」

「いえ、わたしにやらせてください」

「そんな決死の表情をしなきゃいけないものを任せたくないなあ」

 困ったように笑う。確かに、淹れた紅茶を手渡すようにはいかない。

「ひとことでは説明できないんですけど、わたしがやることで伝えられることがある気がして……こんな理由じゃ、だめですか?」

 ルブリが包みをもう一度とりだした。

「じゃあ、まかせる。けど、ひとつ約束してくれ。やっぱり無理だと思ったら、おれに戻せ。これは、これからのソニに必要な練習だと思う」

「わかりました。でも、練習というのは?」

「例えば……ソニが戻ってきたとしたら、組むのはいつもウィダとは限らない。おれたちとも組める関係をこれからつくってほしい。だから、頼ることや断ることも覚えてくれ。お互い無理なく付き合えるし、信用してる証でもあるだろ?」

「『できない』を受け入れられる関係に?」

「そんな感じ。あとこれは、おれの個人的希望なんだが、仲間は裏切らないでいてほしい。家族だなんていうつもりはないけど、拠り所にしておきたいから」

「わたしは……」

 言いたいことが溢れてくる。ただ、表現する言葉がわからなくて伝えられない。

「引きとめといて何だけど、早く行かないと追いきれなくなるぞ」

「あ、はい」

 ソニは、包みをワークシャツのポケットに入れた。落とさないように、しっかりとファスナーを閉める。

 これからの進退をどうするのか、気持ちはすでにかたまっていた。

 ソニの生活には、一般的に普通とされている当たり前がなかった。

 毎日の食事、保護してくれる大人の存在、ひとりの人間として扱われること……皮肉な話だが、非合法な社会に入ってから、それらが、ひとつひとつかなっていった。

 この世界にいる代償はわかっているつもりだ。

ジュエムゥレェン掘墓人>という組織に、家族をみているわけではない。それどころか、フーバイロン婉月ワンユェという〝グーラ(屍食鬼)〟の腕の中にいる限り、いつか惨たらしい死を迎えることだってありうる。

 それでも初めて居場所と思えたところへ、トニーのもとへと走る足はとまらない。

 その手前でNoを突きつけられたとき納得してもらえる方法は、言葉ではない気がした。

 ルブリから手渡された、重く、シリアスなものも、味方になってくれるはず。


 

 銃を見つけないと帰れない。ハンディライトの明かりを頼りに、ルジェタが捨てたオートマチックを探す。

「ふたりだけにさせといて、大丈夫なのかな」

 リザヴェータは地面をなめるように見ながら、近くにいるルカと、やっと追いついてきたルブリに訊いた。

 バイロンからの指示は、ルジェタ・ホッジャの捕獲と移送だった。トニーとソニの行動には干渉しなくていいとはいえ気になる。ほかのメンバーに訊いた。

「ソニが自己主張するようになってたでしょ。そこが心配なんだよね」

「レフリーストップかける人間がいたほうがいいよな」とルブリ。

「デスマッチを想定してるみたいな言い方だけど、あんたさっきソニを送り出してたじゃない」

「結果はどうなっても、本人たちの好きにやらせてみたい気もするんだよ」

「やらせりゃいい。これほどの見せ物は——うっ!」

 さりげなく口を挟んできたルジェタの首の側面を手刀で打つ。

「捨てた場所も覚えてないトリ頭なら、もう寝てろ」

 流花が失神という手段で黙らせた。

 リザヴェータにしても、ソニのこれからに口を出すつもりはなかった。

「ソニって将来、この業界のエリートになりそう」

 ボールペンや木の枝を迷いなく突き刺す冷酷性を獲得してる反面で、命令を守り、とどめをさす前にとめる冷静さもある。育成を継続させれば、バイロンがお墨付きを与える構成員になり得る。

 一方でバイロンは、「社会復帰」の通行手形も残していた。ソニの真意を問う以上に、トニーを関わらせてどう出るか試しているようにもみえる。

「最終審査っていっても、ソニには念押しでしかなくて、どっちかっていうとトニーの審査してるみたい」

「あ、おれも。生きがいフロラをなくしたウィダのこれからの仕事は、ソニとの関係がでかい気がする。そのために対峙させて、次のステップに進めるかテストしてる——とか」

 この業界で本人の意思尊重なんて手ぬるいといえる。が、バイロンの指示だと、新たな何かを掘り出す手段である気がしてくる。

「こんな手間かけるなんて、うちのボス、やっぱり変わってる……いや、おもしろがってるって言ったほうが本人も喜ぶか」

 聞いているだけだった流花が同意してきた。

「『おもしろい』は効率的でなかったりもするけど、惹かれるよね。掌上で転がされてることさえ気にしなきゃ、離れられなくなる」

 並んだライバルから抜け出て、幹部の椅子をものにしたのは、新事業で組織の収入をアップさせたからだけではない。

 古参幹部が捨ててきた人材をバイロンは活かしてみせた。

 ほかのトップが、見過ごしたり読み損なっていた資質を、別の視点からみる柔軟さ。拾われた人間は、恩義を枷にされながらも、バイロンにひざまずくことにやぶさかではなかった。

「<ジュエムゥレェン掘墓人>に入るのがいいと積極的には思えないけど、ソニの身の上で『社会』に入ってシアワセになるのかも、わかんないよね……」

 ソニ本人は答えを出しているようだが、教育係はなんと応えるか——

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