5話 銃よりも速い

 ハンドガンの間合いをつくるトニーの足取りは、なめらかだった。石や木の根の凹凸を落ち葉が隠した地面でも、つまずくことがない。

 ソニも提案された手段に呼応する。膝をゆるめ、瞬時で反応できる姿勢をつくる。

 とはいえ、ルジェタに対したときに使っていたシグP 224オートマチックは、言われるままトニーに渡してしまっていた。

 こういった場面になることをトニーが想定していたのかはわからないが、自分だけ銃がなくてもアンフェアだとは思わなかった。スポーツではない。

 トニーが、不意に歩みをとめた。

 同時にソニは、肩幅より少し広く足をひらく。緩めた膝にタメをつくる姿勢をとった。

 右手を腰のサイドで浮かせているトニーは、ヒップホルスターから銃を抜く直前の姿勢。

 ここで止めているのは、最後の呼びかけだった。ソニが折れれば撃たないという。

 ソニに、そのつもりはない。

 しかし、手がなかった。

 何もしないでいるほど撃たれる可能性は大きくなる。命乞いをしている人間でも、必要とあれば撃てる人なのだ。

 ソニは一弾指の間に答えを出す。瞬間的に右手を肩の上にあげた。強い声で宣言する。

「この距離なら、アントニアさんの銃より、わたしのナイフのほうが速いです」

 トニーが探るように見据えてくる。手は動かないままだ。

 ソニも静止したまま、トニーの身体全体をみる。

 呼吸すらはばかられる張り詰めた空気のなか、時計の長針が一周する時間が流れた。

 トニーが爆発的に動く。手が刹那でグリップを抜くと同時に左足を前に出し——

 出し抜けにバランスを崩した。地面に膝をつく。

 間合いを一気に詰めていたソニは、そのままトニーの手を鋭く蹴った。ハンドガンを蹴り飛ばす。

 返す足刀で、頭部を狙う。

 バックキックを外された。転瞬でトニーの手が届かない間合いに逃げる。

「⁉︎」

 トニーの様子がおかしかった。

 アンクル・ホルスターからナイフを抜き、隙のない体勢をとってはいるが、呼吸が乱れている。

 ソニは警戒の姿勢をとき、自然体で立った。

「やめましょう。意味がありません」

 ナイフをおろさないトニーにため息をつく。

 トニーがよろめいたのは、踏み出した左足が石でも踏んだのだと思った。すぐに体勢を直してみせたが、取り繕えていないところがある。

 普段の生活からタバコも酒も呑まずに節制していた。ソニが離れた二ヶ月の間で、生活が激変したのでもなければ、この程度動いただけでトニーの呼吸が荒いままなどありえなかった。

「撃たれたところ、まだ完治してないのですね」

「怪我の有無は関係ない」

「あります。そんな身体でわたしを試すとか、アントニアさんは失礼です」

 ソニは腕を組み、何もしない意思表示をしてみせた。

 それでやっとナイフをおろした。ぐったりとした深い息をつき、身体を弛緩させた。

「……悪かった」

「そんな身体でどうして……」

「素手を相手にするんだから、これぐらいのハンディがあってもいいでしょ」

「わたしがナイフを持っていないとバレていましたか?」

「目が慣れてたら、シャツ一枚程度じゃシルエットでわかる」

「それにしても、力づくで以外での選択はなかったんですか?」

「ほかに方法を思いつかなくて……しまらないな」

 途中から力なく笑った。

「わたしを<フェロウ・インダストリーズ>にとどまらせるための?」

 頷いたトニーへの返答に困った。

 そこまで思っていてくれたのだと嬉しい反面で、仲間として見てもらうには、まだ足りないのかという凹んだ気分と。



 澄んだ空気の郊外の夜は、風がますます冷たく感じる。

 さえぎってくれるものがない吹きさらしのなかをトニーは歩いた。

 さほど寒く感じないのは、ひとりではないせいか。

「無理しないで、ゆっくり行きましょう」

 ソニがぴったり左側についていた。

 工場のワークシャツしか着ていない。寒いだろうと先を急ごうとすると、引きずっている足を気遣って、すかさずこうした忠告が入った。

「汗かいて身体冷えてない?」

「慌てて歩いてアントニアさんがコケるよりましです」

「…………」

「<フェロウ・インダストリーズ>までは車で? 足は平気だったのですか?」

「ここに来るまではね」

 到着したら鎮痛剤を飲んでおくつもりだった。飲む直前になって、忘れてきたことに気づいた。近くに薬局は見当たらないし、安静にしていられる状況でもない。飲まないままルジェタと対した。

ジュエムゥレェン掘墓人>に関わるなという警告にしたければ、ソニの窮地を利用する方法もあった。利用する方策を考えないまま、ソニの援護に動いていた。

 本心のところでは、ただソニを助けたかったのか……。

 熟考する時間がなかったでは言い訳にならない。仕事中の突発的な展開に、行き当たりばったりで動いたも同然だった。

 本能で最適解をかぎわけているといえば格好がつくが、ラッキーがセットでついてくるとは限らない。

 いまだにバイロンが、レポートでの報告を課してくるわけだ。起こった事実の経過を整理し、その結果になった事由をまとめよ。イコール、行動量と同じぐらい考えろ。さらに、行動展開中に考えられるようになれ。この調子では、まだ当分の間はレポートを書かされる。

<熟練者>に昇格してなお、バイロンは常に試してきた。

 慢心すると見捨てられるが、進歩のための猶予は必ず与えてくれる。そして、もっと高みにいけと鼓舞してくる。

 られているのは、悪いことばかりではなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る