8章 Home bittersweet home.
1話 リベリオン
死角——木立を利用して上から襲ってきたソニに、ルジェタは回避が間に合わない。
治りかけている右肩に激烈な痛みがはしった。
よりによって右肩とは忌々しい。宇江田アントニアにやられたときのことを思い出した。
左手で傷口を探る。突き刺さっているモノを引き抜いた。
ボールペンだった。
凶器として誤使用された筆記具を投げ捨てる。ナイフを左手に持ち替え、周囲を探る。ベリシャの姿はとっくに消えていた。
斜め後方から、小さな乾いた音。ナイフで振り払いながら振り向く。
異物が目を襲った。
思わず目をこすりそうになって、やめる。少し湿った感じは土かもしれない。
ルジェタ・ホッジャには、<アクイラ>の人員確保に余興をかねたバス襲撃からソニを見出し、育て上げてきた自負がある。ソニが使う戦術は、すべてルジェタから学んだものだ。
その教え子に、木立ちの中で翻弄されていた。
教え、実戦してきたのは市街地行動ばかりで、こんな野戦じみた経験はないはずだった。
視界を潰されていることが相まって、焦燥が膨れあがった。
気配がよめないソニを牽制して、ナイフを逆袈裟に切り上げた。さらに後方。振りむきながら横
右脚が熱い。
涙で土埃を流し落とした目をこらして見る。右脚から木の枝が生えていた。
思わず歯噛みする。宇江田アントニアに反撃されたときの悪夢そのままである。
わざとだ。ソニは同じ箇所を狙ってやっている。
「いい性格になったね、ソニ」
「褒めていただけて嬉しいです」
ルジェタは、声がした方向を即座にサーチする。
「こんな森林戦まがいの戦い方を教えたことはないはずだけど」
これも宇江田アントニアから受けたというのか。新しいボスのもとで、さらに進展したソニが腹立たしい。
「いま考えつきました。考えることも武器になると教えられました」
異物を流す涙でにじんだ目が探しあてる。木の幹のシルエットが、不自然に膨らんでいた。木をバリケードにしたソニ・ベリシャに、シグP224を
「髪色や長さを変えたのは意図してのこと。身長や体型もウエダと似た感じで、ちょうどよかった。だから、わたしにも精神的な報復をした?」
「怪我したところ、ウィークポイントを狙うのは常套手段です」
「そのくせ、撃てるときに、すぐ撃たないのはなぜ? ちゃんと教えたはず。一般人になって、むやみに撃てなくなった? それとも——」
気分が高揚してくる。声が少し高くなった。
「暗がりで見るこの姿が、ウエダと重なって撃てない?」
「あからさまな挑発にのると思いますか? ここで殺すと、あとでわたしが困るだけだからです。死体の処理は手間がかかりますから」
淡々と告げる声に、ルジェタは片方の口角をわずかにあげる。
「いい答え。更生施設にはいっても変わってなくて安心した」
ソニの表情は暗くて見えない。声の調子で精神状態をさぐる。返答に一瞬遅れたのは……
「でも、その答えには嘘がある。死体の処分を楽にしたいなら、さっさと山に移動させるべき。放置しておけば、生息する獣が食い散らかしてくれる。
なのに、ここでグズグズしているのには訳がある。撃たないんじゃなくて、撃てない。ここからどうするか迷ってる」
足場が悪い。ルジェタはゆっくり踏み出した。
「撃てないのはなぜかな。わたしがおまえの先生で、飼い主であるマスターだから? それとも偽者だとわかっていても、宇江田アントニアは撃てない?」
ソニの右肩がひくつくように、わずかに揺れた。
「撃ってこい、ソニ。ナイフ相手に銃は卑怯だなんて、もちろん言わない。わたしがそう教えたんだから。
わたしは不肖の教え子と決着をつけたい。わたしの願望を実現するために、おまえの周りの人間を狩ってから追い込むという方法をとってやろうか?」
「させません」
「わたしに勝てる気でいる?」
視力を回復させたルジェタは勝算を見いだした。
ソニが持っているのは、木立ちに入るまえに捨てたシグP224だ。ルブリが小細工をしていたとすれば、九ミリ弾がこちらの頭を散らすのではなく、P224が破損事故で射手を襲う可能性がある。
視線をソニに固定したまま、ゆっくり歩を進めた。間合いを詰める。
ソニに技量はあっても、成長途中の身体にはパワーが不足している。銃を持っていても、接近戦に引き込めば逆転できる。
互いが圧力をかけあう緊迫感が満ちる。
世界が、ソニ・ベリシャと二人だけになったかのような幻想をみる。
ソニまで四メートルを切る。
そこに無粋な声が乱入した。
「ふたりとも動くな」
ルジェタにとって、聞くだけで全身の血が逆上し、頭が熱くなる声だ。
ソニにとっては待ち焦がれた声だった。
しかし、よりによってこのタイミングで来るなんて——
「ソニ、銃をおろせ。あんたは撃たなくていい」
両手でハンドガンを固定したトニーが近づいてきた。
足場の悪さを感じさせない動きで銃口を安定させ、指示に逆らう者は躊躇なく撃つ気配を発散させる。
「わたしは撃つなとは、どういうことですか?」
「あんた素直じゃなくなったね」
「話をそらさないでください」
「ソニの本質は変わってない。汚すのは簡単だが、キレイに戻すのは不可——」
ルジェタに最後まで言わせなかった。銃創が癒えたばかりとは思えない俊敏さで、トニーが肉薄する。
トニーを援護しようとしたが、ソニに出番はなかった。
ルジェタの脚に突き立てた枝がダメージを与えていた。枝を生やしたままのルジェタの足が折れ、身体が傾ぐ。
立て直すスキを与えず、トニーがナイフを蹴り飛ばした。
続けて、横面を膝で刺す。地面に倒れたルジェタに、さらに蹴り下げをもう一発。
足でルジェタの身体をひっくり返して仰臥させ、地面にぬいつけた。
膝で胸を押さえつけて動きを封じると、感情の入っていない目で見下ろす。かつて、ブックマーカーを見つけたときにソニにむけた目と同じだった。
「センスの悪いヘアスタイルになってたんでわからなかった。倒れた仲間をほったらかして、ひとりで逃げ出したやつだな。自分しか見えてないおまえが、他人の本質なんてわかるの?」
「八つ当たりするなって」
「おまえの話をしてるんだ。そらすな」
胸部を押さえられて呼吸をつまらせながらも、ルジェタが愉悦の笑みをうかべる。
<アクイラ>時代の記憶から、ソニは思い当たる。ルジェタのこの手は……
「可愛がっていた仔犬が噛みついてきたのがショック——」
「黙れ」
トニーが左拳をひいた。
いけない。これはルジェタの手だ。ソニが声をあげるより、トニーの左拳の方が早い。
殴りつけた左手がつかまった。
安い挑発に引っかかってくれた。ソニより、ちょろい。
ルジェタはつかんだトニーの拳を顔より左方向へと引いた。
腹筋を使って引きつけた右膝で、トニーの右脇腹を打ち抜く。
ダメージを受けたトニーが呼吸をつまらせた。それでもハンドガンは手放さない。体勢を崩しながらも撃ってきた。
銃口が逸れても、顔の横で撃たれてはたまらない。ルジェタは発砲という小爆発のダメージを耳で食らった。
鼓膜が痛い。思わず耳を押さえたくなるが、つかんだ手は離さない。
ゼロ距離のトニーの左腕の下に右腕をまわす。腹臥させたトニーを体重で押さえ込み、脇固めで極めた。
ソニに刺された右肩はまた使い物にならなくなり、右腕はサポート的にしか使えない。それだけに渾身の力をそそいだ。
極めているトニーの肘関節が
あと少しで折れる——
突如として乾いた破裂音がした。右上腕が灼けるような熱さで弾かれた。
暴発ではない。ルジェタが捨てたオートピストルが、撃った者に加勢した。
ルブリから細工のないP 224を渡されていたのか? そんな疑問など、どうでもよくなった。ルジェタの形相が憤怒に満ちる。
「ソニ、おまえっ……!」
撃ちやがった。
ソニの銃口がルジェタをフリーズさせる。
ソニにとってのルジェタ・ホッジャは、先生(Master)だった。
そして<
壊れた家庭にいたソニは、保護者に支配される生活をしていた。生きる場を<アクイラ>と移すことで、そこから抜け出したと思っていたが、ルジェタのもとで同じことを繰り返していた。
気づかせてくれた人が言った。
——ソニ、銃をおろせ。あんたは撃たなくていい。
銃で生きているトニーが、銃を否定した。
新しく<フェロウ・インダストリーズ>への道筋をつけた、トニーの気持ちは変わっていなかった。非合法組織で安住するな、と。
ルジェタに後手をとったのは、微妙に動きが悪い脚——左脚の怪我が治りきっていないせいだ。怪我をおしてソニと代わったのだとわかっていても、おまえには出来ないと突き放されたように感じた。
はじめて自信をもてた〝力〟を捨てろと言われた。
トニーの思いやりだと頭で理解できても、気持ちで納得できない。
ソニによかれと思ってやってくれた。しかし実は、こうあって欲しいという願望ではないのか。
——わたしは不肖の教え子と決着をつけたい
そういったルジェタと同じく、ソニも自らの力でルジェタから訣別したかった。
ルジェタから逃れるための交渉ゲームのなかで、トニーから言われてことは忘れていない。
——もっと自分のための判断をしろ。
——仕方ないで流されるな。クレイジーと言われようが構うな。誰かに自分の生き方を決めさせるんじゃない。
ルジェタへの思いも、これからのことも、答えは出ている。
ソニは、トニーの言葉を実践してみせる。
トニーの腕を破壊しようとするルジェタにむけて、再びトリガーを絞った。
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